第58話 胸が痛いのは
「っ!!」
親愛なる妹へ。という書き出しで始まるこの手紙は、つまりヴァネッサお姉様からのもの。
まさかお姉様からお手紙を頂く日が来るとは思ってもみなかったので、伯爵様の前だというのも忘れて驚いてしまいましたが。
読み進めていく内に、それは別の驚きへと変化していきました。
(私が、病弱……?)
聞いたことがありませんし、何より私は一度もお医者様に診ていただいたことがありません。
自分では割と元気な体を持っていると思っていたのですが、お姉様から見ると痩せすぎていたので、そう思われたのでしょうか?
(次期伯爵様の、子供……)
その言葉に、どこか少しだけ恥ずかしさと嬉しさがない交ぜになったような気持ちになりましたが。
そのことを重圧だと感じたことはないと、お姉様に指摘されて初めて気が付きました。
ただ。
(婚約者を、代わる……?)
それはつまり、私がスコターディ男爵家に戻り。
ヴァネッサお姉様が、マニエス様の婚約者になるということで。
「っ……」
そのことを考えるだけで、どうしようもなく胸が苦しくなります。
お姉様は私を気遣ってくださっているのかもしれませんが、今回ばかりはそのお気持ちを素直に受け取れそうになくて。
(いや、です……)
ソフォクレス伯爵家から、出ていくのは。
マニエス様の、お隣に立てなくなるのは。
(マニエス様の、お隣に)
ヴァネッサお姉様が立っている姿を、見るのが。
とてつもなく、嫌なのです。
(……あぁ、そうだったのですね。私は)
もうずっと前から、マニエス様をお
胸が痛いのは、マニエス様のことをこれ以上ないほど好きになってしまったから。
ヴァネッサお姉様のご好意を素直に受け取れないのは、私がその場所を譲れないから。
(気付くのが、遅すぎます)
思わず
けれどだからこそ、この胸はさらに痛みを覚えて。
(どうすれば、よいのでしょう……)
お姉様からのお手紙には、私の返事があり次第お父様に掛け合ってくださるとありますが。私は、この提案に乗ることができません。
けれどだからといって、せっかくのご好意を
だってこのお手紙の中でお姉様は、私を案じてくださっているのですから。
「読み終わったのかな?」
「……はい」
「そうか」
静かな執務室の中。伯爵様と私の声だけが、響くこともなく空気に消えていきます。
それはまるで、私の中にある不安を表しているかのようで。
「それで……君は、どうしたいのかな?」
「……私、ですか?」
伯爵様の問いかけの意味が掴みきれなくて、思わず首をかしげてしまった私に。
そっと私の手の中から手紙を抜き取って、伯爵様は優しく微笑みかけてくださいました。
「この手紙を読んで、どう思った? 君はこの先、どうしたいと思った?」
「私、は……」
どう思ったのか。
マニエス様のお隣は、どなたであろうと譲りたくないですし。かといって、ヴァネッサお姉様にご心配をおかけしたまま、ご好意を踏みにじるようなこともしたくない。
そんなことを考えてしまう私は、とてもわがままで欲張りになってしまったような気がします。
「もしかして、彼女の提案通りマニエスの婚約者を降りたくなった?」
「まさか! そんなことは決してありません!」
伯爵様の問いかけに、思わず全力で否定してしまった私は。口に出してしまってから、ふと気が付きました。
これはもしかして、マニエス様へ
あとから考えれば、必ずしもそうではなかったと思えたのですが。この時の私は、気が付いたばかりの恋心に全く余裕がない状態で。
思わず口を押さえて、下を向いてしまいました。熱くなった顔を、隠すために。
「そうか、なるほど。君がそう言ってくれるのなら、今回のこの提案はなかったことにしておこうか」
そんな私に、伯爵様は気付いていらっしゃるのか、いらっしゃらないのか。
いえ。お気付きにならないはずがありませんよね。
きっと分かっていながら、そこにはあえて言及しないでいてくださっているだけなのでしょう。
「それで? 結論は出ているのに、どうしてそんなに困った顔をしていたのかな?」
それどころか、伯爵様には全てお見通しのようです。
この状況で、今さら否定するのもおかしな話ですし。
それに、これから家族になるのに不誠実だと、伯爵様もおっしゃってくださっていましたから。
「実は……」
私も、素直に本心をお伝えしてみることにしました。
伯爵様のほうが、私などよりもずっといい案をお持ちかもしれませんからね。
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