第36話 初めての街

「わぁ~……!」


 初めての街は、どこもかしこも見たことのないものばかりで溢れていました。

 街の中心にあると教えていただいた、大きな広場。その中を無邪気に駆けていく子供たち。

 それにあちらこちらから、とてもいい匂いがしていて。


「はぐれないようにね?」

「は、はいっ!」


 おかしそうに笑うマニエス様の手を離して、差し出された白い日傘を両手で持ちます。

 貴族や商人の女性は、外を歩くときには必ずこうして日傘をさすのだそうです。

 お庭をお散歩している時も、日差しが強い時には同じように持っていましたから。どう使うべきなのかは、熟知しています。


 ちなみにこの日傘は、白いレースを使われているそうです。レースがどんなものを指すのかについては、今も私は理解しきれていないのですが。

 ただ。使用する分には、あまり関係がないことも知っているので。少しずつ、必要なことから、様々なことを知って学んでいっている最中なのです。


「そうだな……。最初は少し、露店を見て回ってみようか」

「ろてん、ですか?」


 聞いたこともない言葉に、私が首をかしげると。


「食べ物を売っているのが、屋台。それ以外の品物を売っているのが露店、と覚えればいいよ」

「食べ物以外……」


 具体的に何があるのか、全く想像がつきません。

 ですがマニエス様がそうおっしゃるということは、きっと私にとって未知のものがたくさんあるのでしょう。


「おいで、ミルティア。まずはあそこから見てみよう」

「はい、お兄様」


 腰に手をまわして、さりげなくエスコートしてくださるマニエス様。

 こんなに素敵なお兄様がいたら、きっとずっと後をついて回ってしまっていたことでしょう。


(それにしても……)


 普段からこうして、マニエス様はさりげなくエスコートしてくださっているので、私も慣れてきましたが。最初の頃は、どうすべきなのか分からない部分も多くて。

 そもそもエスコートという行為自体、知識でしか知らなかったので。まさか私がエスコートされる側になる日が来るなんてことは、想像もしていなかったのです。


「ほら。ガラス玉が売っているよ」

「わぁ~! 素敵ですね!」


 そんなことを考えながら、覗いたその先で。私の目に飛び込んできたのは、色とりどりの輝きを放つ透明な球体。

 中にはいくつもの泡のようなものが入っていて、それが日に当たると様々な方向に光を反射しているように見えました。


「いらっしゃいまし。商人様の仕入れですかな?」


 店主のおじ様が、マニエス様にそう問いかけます。

 つまり本当に、この変装姿が商人に見えているということ。


「いや、今日は休日でね。妹に色々と見せてあげようと思って」

「なるほど! それでしたら、いくらでも見ていってください!」


 買わない可能性があるのに、なぜか上機嫌な店主のおじ様。

 もしかしたらこれは、私が気に入って購入したら次回から仕入れてもらえるかもしれない、という期待なのでしょうか?


(だとすると、少し緊張しますね)


 そんな私の変化を、マニエス様は感じ取ってしまわれたのかもしれません。


「色々と回ってみるよ。機会があったら、その時はよろしくね」

「こちらこそ! 良い休日を!」

「あぁ、ありがとう」


 本当の商人のように会話を交わして、笑顔まで見せて立ち去るマニエス様。

 私はそのエスコートに逆らわず、そっとその場所をあとにしました。


「……大丈夫だよ。彼らは少しでも愛想よく振舞っておいて、いつか必要になった時に贔屓ひいきしてもらおうと考えているだけだから」

「そう、なのですか……?」


 小声でそう教えてくださるマニエス様。

 つまり、今回は必ず商品を購入する必要はない?

 それならば、もう少し気楽に見て回ることができるかもしれません。


「僕もね、最初の頃は侍従に助けられていたんだよ」

「まぁ! マニエスっ、お兄様が?」


 あ、危なかったです。

 危うく普段通りに、マニエス様とお呼びするところでした。


「そう、だねっ……」


 それに気付いていらっしゃるのでしょう。笑いをこらえるように、小さく震えて。

 けれど次の瞬間には、馬車を降りた直後と同じ笑みを浮かべていらっしゃいました。


「次は、あっちを覗いてみようか」


 その切り替えの早さに、お見事と感心していたのですが。


「はい、ぜひ」


 商品を購入しなくていいという安心感に背中を押されて、好奇心が勝ってしまった私は。

 いつの間にか広場にあるほとんどの露店を見て回ってしまっていたことに、全く気が付いていませんでした。





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