第35話 初めてのお出かけ

「それじゃあ、行こうか」

「はい」


 マニエス様の手を取って、馬車に乗り込みます。

 今日はずっと心待ちにしていた、街歩きの日なのです!


「そのワンピース、すごく似合ってるよ」

「ありがとうございます」


 先日出来上がったばかりの、空色のワンピース。

 仕立て屋の女主人が、このくらいであれば街歩きに使っても派手過ぎないので、問題ないと教えてくださって。

 なので今日は、私やお義母様だけでなく侍女の皆様も含めて、全員一致でこの服が最適だと気合いを入れてきたのです。

 お義母様にも、日々のお庭のお散歩の成果をお話しして、合格をもらっておりますし。そのためにも、昨夜は早めにベッドに入っています。


(楽しみ切る準備は、万全ばんぜんなのです!)


 それに、気合いを入れた理由はもう一つ。


「マニエス様も、とってもお似合いです」

「ありがとう」


 白いシャツに、黒のベストと黒のズボンというシンプルな装いでいらっしゃる予定だと、侍女の皆様が話していたその通りの格好で。

 今日は暖かいので、コートは羽織っていらっしゃらないようですが。ベストからは、金色の鎖のようなものが見えています。

 ただ装いだけに目を向けると、白と黒だけの単調な色合いに見えてしまいそうですが。お義母様似の整ったお顔立ちだけでも華やかなので、むしろ十分なくらいです。

 しかも今日は、が違うので、なおさら華やかに見えています!


「でも、ありふれた金の髪と青の瞳にしただけで、結構印象が変わると思うんだけど。ちゃんと僕に見えるかな?」

「もちろんです!」


 そうなのです!

 今日のお出かけのコンセプトは、お金持ちの商人の兄妹!

 なので私もミルクティー色の髪を金色にして、まるで兄と妹に見えるようにしているのです!


(まさか初めてのお出かけで、変装まですることになるなんて!)


 スコターディ男爵家にいた頃の私では、想像もできなかったことです。

 ちなみに髪色は、単純に専用のカツラと呼ばれる道具を被っているだけなのですが……。


「ただ、マニエス様の瞳の色を変える方法だけが、私には全く分からなくて。不思議なのです」

「ふふ。内緒」


 人差し指を口元に持っていくその仕草が、なんだかとても色っぽく見えてドキドキします。

 ですがお屋敷を出る前からずっと、これだけは教えていただけないのですよね。もしかしたら、ソフォクレス伯爵家の秘術なのかもしれません。


「それよりも、お金持ちの商人の子供たちっていう設定だからね。僕は今日一日、君の名前に敬称けいしょうをつけないけど……いいかな?」

「もちろんです!」


 貴族ではなくあえて商人にしたのは、最悪見知った人物に見られても、他人の空似そらににできるからなのだとか。

 私もマニエス様も、基本的には顔を知られていないのですが。万が一の時に備えて、考えてくださったのだそうです。

 当然ですが、マニエス様がお兄様で、私が妹の設定です。そしてこの国に来るのは、妹は今回が初めてとのことでした。

 この設定は本当に、驚くほどよくできていますよね。


「ありがとう。兄に対して敬語というのは、まぁ問題ではないからそこはいいとして」

「……?」


 こちらをジッと見つめるマニエス様に、意図が掴めず首をかしげると。少しだけ困ったような雰囲気で、苦笑されて。


「君が、咄嗟にお兄様と言えるかどうかが、正直心配かな」

「……あ」


 そうでした。私は普段マニエス様とお呼びしているので、急にお兄様とお呼びするのは……。

 急遽言われたことだったので、少し難しいかもしれません。

 言われて初めて、マニエス様の表情の意味を理解したくらいですから。呼び方については完全に、頭から抜け落ちていました。


「……マニエスお兄様、でしたらどうでしょうか?」


 敬称だけ変えるのであれば、何とか間に合うような気がしたので。そう、提案してみると。


「そうだね。それで行こう」


 笑顔でマニエス様が頷いてくださったので、これで大丈夫のはずです。

 あとは私が、間違えないようにするだけ、ですね。


「さぁ、着いたよ。商人も、お金持ちなら使用人を連れているのが普通だから。君は何も心配しなくていい」

「はい」


 そうなのです。貴族ではなくても商人であれば、随行者ずいこうしゃがいてもおかしくないのだとか。

 今回の設定として商人が選ばれたのは、そんな理由もあるそうです。


「行こうか、

「はい、


 初めてのお出かけに初めての街歩きに、初めての変装。

 初めてだらけでドキドキとワクワクの中、お互いに設定通りの呼び方で微笑み合いながら。

 先に馬車から降りた、マニエス様の手を取って。私は明るい外の世界へと、最初の一歩を踏み出したのです。





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