第15話 伯爵夫人の告白

 戻ってきた先ほどの侍女と、カーテンを開けてくださった侍女の二人に、顔だけでなく軽く体も拭いていただいて。

 そうして着せていただいたのは、これまた質の高い布をふんだんに使用したワンピース。スカートの裾は二重になっていて、動くたびにふんわりと揺れています。

 腰回りは後ろで結ぶことで、私のようなやせ細った体でも問題なく着ることができるようになっているようでした。

 さらには昨夜これでもかと洗われた髪を、丁寧にかしてくださって。


「いかがでしょうか?」

「……すごい、です」


 その手腕しゅわんにももちろん驚きましたが、お部屋の中に全身が映るような大きな鏡があったことにも驚きました。

 昨日はお部屋の中を詳しく見て回る余裕がなかったのもあって、目の前に立つまで全く気付かなかった自分自身にも驚愕きょうがくしますが。


(初めて、見ました……)


 姿見すがたみと呼ばれる、とても大きくて高価な鏡があることは知っていましたが。人生で最初に見る鏡が、これになるとは思ってもみませんでした。

 手鏡ですらスコターディ男爵家にとっては高額な品で、私は今まで見たこともありませんでしたから。まさかこんなにハッキリと、自分の姿を見ることができるなんて。

 窓に映る姿しか見てこなかったので、とても新鮮です。

 そして同時に。スコターディ男爵家の中でも、特に痩せ細っていたのだと実感しました。


(そう、ですよね)


 男として生まれることができなかった私よりも、先に生まれてきたヴァネッサお姉様により良い方をお迎えしてもらおうと思うのは、家として当然のこと。

 そのために私ほど見苦しくないとはいえ、社交界に顔を出すはずのお父様やお母様でさえ、食事を我慢していらしたのだから。


(……こんな私で、本当に大丈夫なのでしょうか?)


 伯爵家に相応しい方は、もっと他にいらっしゃる気がするのです。

 どうして私のような、痩せ細った役立たずが選ばれてしまったのでしょうか。


「ミルティア様、昼食はいかがなさいますか?」

「ちゅう、しょく……?」


 昨夜あれだけ豪華なお食事をいただいたのに、今日もまたいただけるのですか?

 ……いえ、待ってください。

 ここはソフォクレス伯爵家。ということは、食事が毎回出るのは当然のことなのでしょう。

 つまり……。


「すみません。今、何時なのでしょうか?」

「十二時を少し過ぎたところです」


 完全に寝坊しました……!!

 伯爵家に迎えていただいた翌日から、私は何という失態しったいを……!!


(ハッ!まさか……!)


 嫌な予感がして、私はおそるおそる尋ねます。


「は、伯爵様とマニエス様は、もしかして……」

「すでにお出かけになられております。不足や緊急のご用件などございましたら、使いの者を出しますが。いかがなさいますか?」


 そんな! 不足だなんて!

 むしろ起きられなかった私が悪いのですから!


「だ、大丈夫です! 少し気になっただけですから!」

「承知いたしました」


 このままだと、本当にお仕事のお邪魔になってしまいそうなので。出された提案は、しっかりとお断りして。

 お帰りになられてから、お時間のある時に昨日の続きを――。


「あら。やっぱりもう起きていたのね」


 夕食の時なら、皆さんお揃いかもしれないと考えていた私の耳に届いたのは。優しく、涼やかなお声。


「伯爵夫人……! おはようございます」

「えぇ、おはよう。でもできれば、お義母かあ様と呼んで欲しいわ」

「お、お義母様……?」

「はい」


 その笑顔は、とてもご子息がいらっしゃるとは思えないほど、お可愛らしくて。

 昨日の伯爵様とのやり取りを見ていて、とても仲のよいご夫婦なのだとは思っておりましたが。確かにこの笑顔を向けられてしまえば、伯爵様のお気持ちも理解できます。

 優しくお可愛らしいそのお姿は、守って差し上げたくなるのですよね。私などが、烏滸おこがましい限りではありますが。


「貴女が昼食をまだだと聞いたから、一緒に食べようと思って呼びに来てしまったの」


 しかも、なんと素敵なお誘いでしょうか……!

 私にはもったいないくらいです……!


「どうかしら? 私と一緒に、食堂で昼食なんて」

「ぜひ!」

「うふふ。じゃあ、行きましょう」


 せっかくのお誘いをお断りするなんて、そんなことはしません!

 うながされるままお隣を歩かせていただいて、伯爵夫人改めお義母様と一緒に食堂へと向かいます。


「旦那様がね、昨日は急なお引越しで疲れているだろうから、朝は起こさずにゆっくり寝かせてあげて欲しいって侍女たちにお願いしていたのよ」


 伯爵様が!?

 私のような役立たずに、そこまで気をつかっていただくなんて……。

 申し訳なさと感謝の両方の感情が押し寄せてきて、思わず形容しがたい表情になってしまった自覚はあります。

 けれどお義母様は、私のそんな様子を勘違いしてしまわれたのか。


「ごめんなさいね、貴女の意見も聞かずに。ちゃんと起こしてあげたほうがよかったかしら?」


 なんて、少し困ったように頬に手をあてていらっしゃるので。

 私は慌てて、つい本音を口にしてしまうのです。


「いいえ! 伯爵様のお気遣い、感謝しております! おかげでぐっすり眠れました!」


 首を左右にブンブンと振っていたせいで、少しだけ頭がクラっとしてしまいましたが。普段から空腹でよくあることなので、問題なく歩き続ける私に、お義母様は少しだけ驚いた顔をして。


「あらあら、無理をしちゃダメよ」


 口元に手を添えながら、もう片方の手で私の背中を支えるように、そっと触れて。ほとんど同じ目線だったところを、少しだけかがんでのぞき込んでくださいました。


「昨日の続きは、旦那様とマニエスが帰ってきてから聞けるはずだから。今の時間は、少しだけ私の話を聞いてくれる?」


 食堂の扉の前で、そっと笑顔で尋ねてきたお義母様に。私は何も考えず、当然のように頷いて。

 そうして始まった、お義母様との昼食で聞かされた真実は。


「私はね、この真っ黒な髪と瞳のせいで、実の家族からは虐げられて育ったの」


 お義母様……いえ。伯爵夫人の告白としては、あまりにも残酷な過去。


「けれど旦那様と出会ってから、今もずっと変わらず幸せなの」


 そして同時に。


「私は正直『嫁取りの占い』に感謝しているの。私を選んでくれて、ありがとうって」


 現状への、感謝でもありました。


「貴女がどんな過去を過ごしてきて、今どんな気持ちでここにいるのかは分からないけれど。少なくともソフォクレス伯爵家は、安全であたたかいところよ」


 だからこそ、なのでしょう。

 分からない、と。お義母様はおっしゃっていますが。


「卑屈にならないで。本音を隠さないで。貴女もここで必ず幸せになれるから、昔の私みたいに相応しくないなんて、思わないでいて欲しいの」


 まるで心の内を見透かされたかのような、その言葉の数々は。どれも真っ直ぐに、私に届いて。

 お義母様のこの言葉たちが、私の運命を決定づける助けになるなんて。今はまだ、何も知らないまま。

 ただ、今は少しだけ救われたような気がして。お部屋に戻って一人になっても、ずっと忘れられずにいました。

 心の中に、ほんのりとあたたかさを感じながら。





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