第8話 豪華なお食事
「あぁ、そうだ。何か食べられないものはあったりするのかな?」
案内されるまま、食堂へと入り。席に着くのと同時に、伯爵様が私にそう問いかけてくださいました。
質問の意図としては、きっと苦手な食べ物がないのかどうかを聞いてくださっているのだとは思いますが。
ソフォクレス伯爵家の女性の使用人が引いてくれた椅子に、お礼を言って腰かけつつ。私は伯爵様に答えます。
「いいえ、ありません。食べられるだけでありがたいことですから」
スコターディ男爵家では、食べられない日もありました。それだけ貧しかったので、仕方がないことなのですが。
空腹に耐えていたのは、なにも私だけではありませんからね。お父様やお母様も痩せていらっしゃったのが、その証拠です。
「……そうか」
けれどその経済状況を外でお話しするのは、よくないことだと教わりましたから。
複雑そうな表情を浮かべる伯爵さまは、そのことに気付いておられたのかもしれませんが。私からは、あえて口にすることはありませんでした。
「貴女が来るのが楽しみすぎて、少し作らせ過ぎたかもしれないの。食べられるだけでいいから、好きなものを好きなだけ食べてね」
「ありがとうございます」
真っ直ぐな長く艶のある黒い髪を、サラリと揺らしながら。髪と同じ色の神秘的な瞳を優しく細めて、ゆったりと微笑む伯爵夫人。
柔らかな物腰と表情に、私の緊張が少しだけほぐれます。
真っ直ぐに切り揃えられた前髪のせいか、少しだけ幼くも見えてしまいそうな外見をしていらっしゃいますが。やはり伯爵夫人。場の和ませ方をよくご存じでした。
「お待たせしました」
そんな風にゆっくりとお話しさせていただいていると、食堂の扉が開いて。現れたのは当然、マニエス様。
……の、はずです。
「マニエス。家の中ではローブを脱ぎなさい」
「ですが、父上……」
「彼女は客人ではない。これから家族になるのだから」
「それはっ……!」
そう。マニエス様はローブを着たままだったのです。
もっと言えば、フードを被ったまま。
「見なさい。私は初めからこの格好で、彼女を出迎えている」
「っ……」
何か、訳があるのかもしれません。だからこそ、ここまで頑ななのでしょう。
私にはその理由は分かりませんが、きっとマニエス様の中ではとても大切なこと。
けれどだからと言って、ご家族の問題に私が安易に口を出すわけにもいきませんでした。
(まだ、正式に婚約してるわけでもない間柄ですからね)
ここは静かに成り行きを見守るべき、なのでしょう。
が。
「お取込み中、失礼いたします。旦那様、お食事の用意が整いました」
伯爵様よりも明らかに年上の男性の使用人が、私たちが通ったのとは別の扉から現れて。そう告げながら、少しだけ腰を折りました。
格好からして明らかに使用人なのですが、その姿はとても優雅で。やはり伯爵家の使用人ともなれば、かなりの教育を受けてらっしゃるのだと、思わず感心してしまいます。
「あぁ。運んでくれ」
「かしこまりました」
マニエス様とのやり取りが、一瞬なかったかのように。伯爵様は、使用人の男性に答えていらっしゃいましたけれど。
「誰か、マニエスのローブを部屋に戻してきなさい」
次の瞬間には、誰もが逆らえないような威厳を持って、そう命じられていました。
伯爵様が言い終わるのと同時に。壁に控えていた比較的若い男性の使用人が、マニエス様に歩み寄ります。
「……はぁ。わかりました」
それを受けて、とうとう観念したマニエス様は。素直にフードを取り、そのままローブも脱いで使用人へと手渡します。
そうして、隠されていたフードの下から現れたのは。
伯爵様と同じ金の瞳と、銀と黒の艶やかな髪の、中性的なお顔立ちの男性。
(伯爵様も、大変な
マニエス様の場合は、お母様に似ていらっしゃるのか。美少年とも美青年とも取れるような、絶妙な見た目をしていらっしゃいました。
お声は明らかに男性なのですが、知らなければ一見女性のようにも見えてしまうそのお姿は、隠したくなるのも理解できます。
このお美しさでは、男女関係なく言い寄られて大変そうですから。
「マニエス、自己紹介を」
「……はい、父上」
促されたマニエス様は、どこか仕方なさそうに私に歩み寄ると。
「初めまして、ミルティア嬢。ソフォクレス伯爵家が
優雅な動作で、見事なボウ・アンド・スクレープを披露してくださったのです。
私のような格下の家の人間には、もったいないほどの名誉。むしろそれを受ける資格が、果たして私にあるのかどうかも怪しいところではありますが。
とはいえ、
次の動作に気付いてくださった女性の使用人が、私が立ち上がるのと同時にサッと椅子を後ろに引いてくださいます。
(なんて気が利く方なのかしら……!)
内心では、とても感心しながら。マニエス様が披露してくださった、ボウ・アンド・スクレープに恥じないように。
「お初にお目にかかります、マニエス様。スコターディ男爵家が次女、ミルティアと申します。至らぬ点も多々あるかとは存じますが、これからよろしくお願いいたします」
私もまた、カーテシーを返すのです。
ちなみに、女性のカーテシーと同じ意味合いでボウ・アンド・スクレープを男性がすることは、滅多にないと教わりました。
基本的にはしっかりとした格式ある場や、王族に対して行われる動作なのだそうです。それと、ダンスの前の挨拶として。
ですから、この場でマニエス様がボウ・アンド・スクレープを披露してくださったということは。ある意味でこれが正式な婚約の申し出だったのだと、証明されたようなものなのです。
ボウ・アンド・スクレープ、教わった時の一度しか目にしておりませんが。知っていてよかったと今この瞬間、心の底から思いました。
「まぁまぁ」
うふふと優雅に微笑む伯爵夫人の声が聞こえたのと同時に、奥の扉が開いてお食事が運び込まれてきました。
「さぁ二人とも、席に着いて。食事にしよう」
伯爵様の言葉に、私もマニエス様も素直に従います。
(それにしても……)
こんなにも広くて豪華な食堂に入るのは初めてなので、改めて落ち着いてから見回すと、少し緊張します。
一体こんな素敵な場所で、どんなお食事をいただくことになるのでしょうか――。
「こちらは本日の前菜、エビとアボカドのテリーヌです」
「…………」
……待ってください!!
なんだかとっても豪華なお食事が出てきましたよ!? キラキラと輝いていますし!
こんなに素敵なお料理初めて見ました……!!
そしてこれは一体、どうやって食べるのが正解なのですか!?
「それでは、いただこうか。命の恵みと、領民たちに感謝を」
伯爵様がそう口にして、胸に手をあて目を伏せると。夫人もマニエス様も、同じように胸に手をあて目を伏せていらっしゃいました。
つまりこれが、ソフォクレス伯爵家における食事前のマナーということなのでしょう。
(ここは、全て皆様の真似をさせていただくしかありませんね……!)
初めてのことばかりに戸惑っていても、仕方がありませんから。私も同じように胸に手をあてて、そっと目を伏せます。
そうして、そっと皆様の様子を
私もゆっくりと、この豪華なお食事に手をつけるのでした。
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