番外編・二次創作「愛の滑落」福山典雅様・著
二次創作ありがとうございます。
コメント欄に寄せられた福山典雅様の「愛の滑落」シリーズ
いよいよ最終回!!
「愛の滑落」 第3話 ―直接対決―
「馬鹿な事をしている」
僕は春雨が舞う夜の中、傘もささずに佇んでいた。遠景に霞む街のネオンが混乱した僕の心の様で、ひどく虚しく感じる。だけどその混乱の中、確かに感じる温もりがあった。それは彼女の家が灯す温かな光だ。
僕はストーカー行為にまで及んでしまう自分を恐れながらも、否定できない燃える様な想いに抗う術もなく、自制を失くしたまま途方に暮れていた。もうすぐ彼女の治療が終わってしまう。
「馬鹿な事をしている」
僕はもう一度自虐的に呟くと、行き場のないこの惨めさを抱えたまま、踵を返そうとした。
「……先生」
そっと頭上に傘が差し出された。
振り返るとそこには、淡いベージュのレインコート着たキリコが静かに立っていた。美しい彼女の顔がただ曖昧にその感情を押し隠し、深く沈んでいる様に見えた。
「先生、もう帰りましょ」
「……」
穏やかに囁くその声は、優しさに満ちた響きを持っていた。
だが、僕はどうしょうもなく激しくイラついてしまう。
「君はなぜここにいる?」
皮肉めいた視線で、冷たく彼女を見据えた。
「……せ、先生のご様子がおかしかったものですから……」
「ふざけるな」
僕は右手でかざした傘を強く跳ね上げた。勢いのまま傘は彼女の手から離れ、力なく道端に転がった。
「余計なお世話だ。いったい君は何様のつもりだ! 僕を心配するふりをして、支配でもするつもりか?」
「そ、そんな! 私はただ先生の事が……」
「その押しつけがましい態度にいらいらする、僕は女性のそういう部分が最も嫌いだ。もう僕には構わないでくれ!」
途端、彼女はその瞳に涙を溜めて、縋りつく様に激しく抱き着いて来た。
「そんな事は言わないで下さい! お願いします、どうか、どうか、もうあの女の事は忘れて下さい! このままでは、先生が先生で無くなってしまいます、私は嫌なんです、怖いんです!」
「君に僕の何がわかる、君は何もわかっていない!」
「わかっています!」
彼女は泣きながら、その瞳で僕を真っ直ぐ睨んだ。
「だって、彼女は小夜子さんにそっくりじゃないですか!」
パァーン!
僕はキリコを跳ね除け、その頬を激しく叩いた。
「その名前を口にするな」
糸が切れた人形みたいに濡れたアスファルトの上に倒れ込んだ彼女が、びしょ濡れのまま手をつき恨めしそうに僕を見上げ叫んだ。
「先生は小夜子さんの影を、あの女と重ねているだけなんじゃないですか! もうそんな事はやめて下さい!」
「君に指図される言われはない」
「私は先生の事を愛してます。私の事がどうでもいいのなら、なんであの時私を抱いたんですか! 先生は、先生は、一体何を考えているんですか!」
「……君は何もわかっていない」
僕はそれだけ告げると踵を返し、振り向かずに歩き始めた。
「うわぁあああああああああああああああああん」
背後から悲痛な彼女の鳴き叫ぶ声が、空気を切り裂き僕を批判するみたいに轟いて来た。
かつての僕の婚約者であった小夜子、外科医の兄に奪われた愛する人。僕は苦い思い出をすりつぶす様にただ歩いた。
キリコ、君はなにもわかっていない。僕の気持ちなど君には到底わからないだろう。治療中の彼女に求めるこの気持ちは、誰にもわからない、いや、わかるはずがない。
僕は肌寒い夜雨の中、孤独と渇望が押し包む愛を抱えている。どうしょうもない虚しさに濡れながら、報われぬ想いのやり場を見失い僕は彷徨った。誰にも推し量れない愛の滑落が、僕を捉えて離さない。
「愛の滑落」 最終話 ―愛―
あの夜の翌日、一番に出勤する私よりも先に先生が来ていた。
「昨日は悪かった」
先生はそう言うと、私を優しく抱きしめてくれた。
わからなかった。先生が何を考えているのか、私にはわからなかった。それでも、慰め者にしか過ぎない自分で構わないと思った。私は馬鹿な女だ。
先生は他の患者よりも、小夜子さんと似たあの女に対し、ことさら丁寧に治療を行う。その小夜子さんとは先生の元婚約者で幼馴染だった。医療法人グループ、その家の次男である先生は生死を預かる事を嫌い、歯科医を目指した。そして小夜子さん婚約を解消し、グループの跡取りである先生の兄の元に嫁いだ。
私は小夜子さんを思い出させ、先生の心を乱すあの女が憎い。先生が何を考えているのか分からぬまま、平穏に数日が過ぎた。
そしていよいよ明日が治療の最終日となった。私は早めに準備をしっかり整え、完璧に終わらせようとぬかりはない。そんな時だ。
「キリコ、鳥さんの治療だが明日で最終ではなく、被せた後に様子見と確認の意味も兼ねて、その次で最後にするから」
突然、先生はそんな事を私に告げて来た。
瞬間、身体の中が猛烈に熱くなった。だが、その次の言葉で私の熱さが消えた。
「それで本当におしまいだ。もう彼女と関わる事はないよ」
皆が帰り、病院にはもう私と先生しかいない。先生は私をじっと見つめた。
「どうしても君に話しておきたい事があるんだ。少しだけいいかな?」
「……なんでしょうか?」
私がそう答えると先生は医院長室に誘い、ソファに座る様に促した。
私は少し緊張していた。いつもと何かが違う、そんな予感がよぎっていた。
「実はあの夜、兄から電話があった」
「えぅ?」
「小夜子が自殺未遂をしたんだ」
驚きの話だった。私はびっくりしてしまい言葉を失った。
すると先生は一息ついてから、何かを決意した様に静かに語り始めた。
「君に聞いて欲しい話というのはね、実は僕と小夜子はずっと不倫関係にあった。僕らは壊れてしまった愛の欠片をかき集める様な、そんな虚しい間柄だった。彼女はうちのグループ内で不動産部門を仕切る家のしがらみがあり、どうしてもうちとの繋がりの為、兄と結婚しなければいけなかった。僕達の想いなどなんの力もなかったんだ。
そんな関係を続けても先はない。それでも僕達は関係を辞める事が出来なかった。僕はそんな日々が苦しくてたまらず、君を抱いてしまった。酷く申し訳ないと思っている。僕は君に頼ってしまう自分の心の弱さが嫌だった。
そんな時に彼女が診療に現れた。
君は小夜子に似ているから、僕が彼女の事を好きになったのだと思っているだろう。それは半分正解で半分誤りなんだ。僕はわかって貰えないかもしれないが、彼女に『純粋な愛』を見ていたんだ。今の僕が失くしてしまったモノ、かつての小夜子に見ていた『純粋な愛』。そんなものはもうないのに、僕は彼女を治療しながら、自分への救いを求めていた。僕は失くしてしまった『愛』をただ彼女の中に見出そうとしていた。そんな事は決して叶わぬ事なのに、そんな幻想にただすがっていたんだ。
だけど、小夜子が自殺未遂をした。
幸い発見が早かったので、命に別状はない。精神的にも安定していて僕は翌日には彼女の要望で、兄の許可を貰い病室に話しに出かけた。
彼女は笑っていた。もうこれで兄と別れる事が出来る。自分は家のしがらみから解放されると言った。僕は驚いた。大人しかった彼女が、僕との不倫の果てに見出した結論は、この偽装自殺だった。彼女は僕とも別れると言った。もう全てを終わらせ、家を出ると言う。最後に『今までありがとう、さようなら』ときっぱり言われた。
その時、僕は愕然とした。僕には彼女ほどの強さはない事を改めて知らされた。怖かった、とても怖かった。自分を世界に繋ぎ止めていた鎖が突然無くなった様な気がした。
そんな時に頭に浮かんだのが君だ。
僕は卑怯で最低で、今まで君に冷たくしてした。だけど、僕は初めて側にいてくれる君の有難さに気がついたんだ。とてもわがままで、普通ならこんな事を言うべきじゃない事もわかっている。だけど、僕は君がいてくれることで、やっとまとな人間になれるんだとわかった。僕には君が必要だ。
キリコ、お願いだ、僕にやり直すチャンスをくれないか?」
先生はそう言って私を見つめた。
私の尊敬していた先生が、ひどく弱い人に見えた。ひどく小さな人に見えた。
不倫の果て、相手を自殺させる程追い込んでしまった、そんな最低で駄目な人間だ。その上、何一つ反省もせずに自分の事だけを考えて、私を求めようとする。有り得ない人間だ。私がたまらなく好きになった人は、最低のクズだった。
こんな人について行っても、きっと私は幸せになれない。彼はきっと側にいる女を必ず不幸にしてしまうタイプだ。そんな人だ。愛の意味もわからず、己の感情のままに周囲を惑わせ苦しめる、甘ったれたどうしょうもない人間だ。
だから私は答えた。
「……先生がそう望むなら……」
私は泣いていた。
悲しいからでも、嬉しいからでもない。
ただこの人の弱さに泣いていた。
駄目だとわかっていながら、この人の側にいる事を選んでしまう。
私も弱い人間なのだ。
私達の愛は底が見えない闇の中に落ちていく。まるでザイルが切れてしまった登山者のように。
私は自分の中にあるどうしょうもない弱さを見つめながら、この愛の滑落に身を投じてしまう。そんな自分に慄きながら、私をそっと抱きしめる先生の胸の中で、束の間の安らぎに身を委ねていた。
完
★★★★★God!!!!!
素晴らしい!私の歯医者通院も次回が最終回になることを祈ります。笑
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