第7話 慈愛の天使少女リリ。

「おにーちゃん。わたし、こんなの見ていられない。昨日は我慢してたけど、もうイヤ! ごめんね、治癒魔法使うの!」


 僕らは、とある縁で仲良くなった少年ハリーの母親を街中にある教会付属の治療院に連れて行った。

 しかし、治療院の中は血と膿の匂いで充満。

 待合室すらも、血に濡れた包帯まみれの人々が床にさえ転がって、うめき声を上げている。

 そう、まるで戦場にある野戦病院の様相を呈していた。


「ちょ、リリ! ちょっと待って」


 僕が止めるも呪文を詠唱し始めたリリ。


「え!? こんなところで魔法を使うなんて。貴方、一体何を!?」


 その様子に、治療院の医官や看護師は驚きの表情をリリに向けた。


「みーんな、大丈夫だよ。痛いの痛いの、飛んでけー! 『大回復グレートヒーリング』!!」


 リリの周囲に、若草色の暖かそうな光が舞う。

 そして、それは優しい風となって目深にかぶっていたフードをめくり、ローブをふわっと広げる。

 銀糸なプラチナブロンドのボブヘアーが風になびいて広がり、慈愛あふれる瑠璃色の瞳が光る。

 風は光をまとって治療院の待合室、いやそこからも遠くまで広がっていった。


「え!? さっきまで死戦期呼吸をしていた方が、普通の呼吸に??」

「こっちの人は、出血が止まったどころか傷跡が無くなって……!」

「なんだ、これは? こんな大規模治癒魔法なんて本部教会の上級神官でも出来やしないぞ!?」


 今まで、患者に迫る死と必死に戦っていた医務官や看護師の人たち。

 リリの起こした「奇跡」に驚愕していた。


「あーあ、やっちゃったかぁ。まあ、この事態を見ていられなかったのは僕も同じだけど。これ、後から口止めしなきゃダメなパターン?」


 僕は周囲の様子を見ながら、ぼつりと呟いてしまう。

 しかしニッコニコなリリの表情を見、今は叱るタイミングでは無いと、僕は言葉をぐっと飲み込んだ。


「あのぉ。もしかしてリリ様は……。わたしも足の痛みがすっかり引いたのですが」


「お母様、くれぐれもこの事は御内密に。この子、少々天然アホの子なんですよ。自分の立場を考えずに人助けしてしまう。まあ、僕も他人の事は言えないんですがね」


 後ろでクスクス笑っているアカネさんを視線に入れながら、僕は少年の母親へ念のために口止めをした。


「はい、分かりました。ハリー、貴方もナイショよ」

「うん、母さん。リリお姉さん、ありがとー」


「いえいえ、どう致しまして。もー、トシおにーちゃんってば。リリ、アホの子じゃないもん! みんな、苦しんでいるから助けたかっただけだもん!」


「はいはい。その考えは立派だよ、リリ。ただ、時と場所、場合を少しは考えようね」


 僕は、可愛い頬をぷっぷくと膨らますリリを適当に相手しつつ、こちらに向かってくる医務官の方に視線を向けた。


 ……まったく天然な天使さまだよね、リリったら。さて、上手く話をしましょうか。


「すいません。一体何が……」


「えっと、お医者様。ここでは何ですので、診察室でお話ししましょう。ちょうど、この方を診て頂きたいですし」


 僕たちは急いで話を切り上げ、周囲の目を避ける様に診察室に逃げ込んだ。


「母さんの具合、どうですか、先生?」


「そうだね、坊や。お母様は、かなり関節が壊れていたんだけど、お嬢さんの治癒魔法で殆ど治っているよ。ただ、病気が改善された訳じゃないから、また壊れだす。しばらく投薬で時間稼ぎにはなると思う」


 医務官の方、眼を魔法で光らせて、ハリー君の母親を診断してくれている。

 以前、人体の異常を察知できる診断魔法が神聖系術に存在すると、共和国の衛生兵メディックさんに聞いたことがある。

 その衛生兵さんも、治癒魔法と診断魔法の使い手だった。


「先生、お母様はどんな病気なの? もしかしたら、わたし治せるよ?」


「さっき、怪我人を助けてくれたのは君だったね。一体、君は…」


「先生。リリの事はまた後で説明します」


 また勝手にリリが動きそうなので、僕は一旦制止する。

 だが、リリは天然アホ娘なのでどうにもならない。


「お姉さん、母さんの事頼める? 僕、なんでもするからお願いします」


 少年がリリに懇願するし、お母様も頷いた。


「では、説明しますね。お母様のご病気は自分で自分の身体を壊してしまう病気、膠原病こうげんびょうの一種、リウマチっていうものなんだ。自分で関節や身体の柔らかい部分を壊してしまい、歩けなくなったり、手が握れなくなったりする。薬で病気進行は遅く出来るんだけど、完治は難しいんだ」


「そうなんだ。じゃあ、呪いに近いよね。だったら、これでどうかな?」


 またまた勝手に呪文を詠唱していくリリ。

 僕、ため息しか出ないし、アカネさんに至ればクスクス苦笑しちゃっている。


「みーんな、元気になぁーれー! 『完全治癒リフレッシュ』!」


 再び、リリの周囲から若草色の光を伴った優しい風が周囲に広がっていく。

 プラチナ色のボブヘアーが風でめくれ上がり、医務官先生の目にもリリの長耳がはっきりと映った。


 ……あー。もう、どうとでもなーれ。もーいーや。皆、元気になるんだから、結果オーライだよぉ。


 僕は、難しい事や今後の事を考えるのを放棄した。


 天然アホ娘は、自分の立場や重要性なんて何も考えない。

 目の前で困っている人がいたら、何も考えずに助けに行く。

 損得なんて一切考えないし、自分が困っても気にしない。

 リリは、泣いている子供を笑顔にすることしか考えていないのだ。


 ……そんなリリが、僕は大好きだけどね。


「診察中、申し訳ありません、先生。また大変な事が起きましたぁ。さっきまで喘息発作ぜんそくほっさで苦しんでいた子が急に元気になって……。あ! ……、はい、内緒にします」


 びっくりして扉を開き診察室に飛び込んできた女性看護師さん。

 にっこり笑いながらみどり色の風を纏うリリを一瞥して、そのまま回れ右して扉を閉じた。


「……。凄い。病巣が完全に無くなってます。リリさんと言いましたね。貴方は、一体……」


 医務官先生も、びっくり顔でリリを見ていた。


「先生。申し訳ありませんが、この事はナイショにお願いできますか? 特に領主様に知られてしまうと大変な事に……」


「おにーちゃん、どうして内緒にするの? わたし、みんなを助けたいんだけど?」


 まだ危機感が無いリリを放置プレーしながら、僕は医務官にお願いをする。

 リリの正体がバレれば僕だけでは無く、リリの身も危険になる。

 それは何としても阻止したい。


「そうだ! 治療院は寄付を受け付けられていますよね。今回、武闘大会の賭博で『あぶく銭』が入ったんです。どうぞ、お受け取り下さい」


「……え! こ、こんなに。受け取る事は……。あ! そういう事ですね。はい、リリさんの事は決して他言致しません。というか、寄付共々、感謝しかございませんです。実は最近、領主様からの入金が少々滞っていまして……」


 ……医務官先生。察しが良い方で良かったよ。ミッションが終わるまでは、僕らの正体はナイショにしたいしね。


 僕は口止め代を含めて、賭博で儲けたお金の四割ほどをIDカードで寄付した。

 予想よりもかなり多く儲かった事もあるし、ここで治療を受けていた重傷な怪我人たちは、昨日スラム街で領主の軍隊から銃撃を受けていた被害者たち。

 暴動を起こし街を破壊していたとはいえ、その罪として受けたものとしては少々酷い。

 罪や身分にかかわらず多くの人を救っている人を、僕は助けたいから。


「そうそう、武闘大会の決勝戦後にも怪我人が沢山出そうなので、それに対しても準備をお願いしますね」

「はい?」


 僕らは、一言助言をして感謝しきりの治療院を後にした。


「トシ坊、お疲れさん。天使さまと一緒だと大変だね」

「ええ、アカネさん。アホな天然天使さまには困りますです」

「えー、わたし天使じゃないし、アホの子じゃないもん!」


 その後、スラム街の端にある少年の家に向かう。

 そしてハリーくんとお母様に現金化した賭け金を渡した。


 ……ハリーくんが賭けた金額の払い戻しに少し足して渡したんだ。僕にはこの先、共和国から成功報奨金も貰えるしね。


「こ、こんなに沢山!」


「このお金は立派になるために君が勉強したり、お母様の為に使うんだ。簡単には他人に渡したりしない様に。君ら家族が、そして多くの人達が幸せになるために使うと良いよ」


「ありがとう、お兄さん、お姉さん!」

「何から何まで、ありがとうございます。この御恩は一生忘れません」


「こちらこそ、ありがとう」


 僕は二人から感謝を受け、心が温かくなった。


「おにーちゃんのお人好しぃ。随分と損したんじゃない?」


「そういうリリも考え無しのお人好しだぞ? まあ、良いじゃないか。ちゃんと今晩贅沢できるくらいのお金は残っているしね」


「アンタら、ホント似たもの兄妹きょうだいだね。アタイも楽しくなっちゃうよ」


 僕らは笑いあいながら、宿屋への帰路に就いた。

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