第6話

今、お屋敷には私一人しかいない。

3人ともいないというのは本当に珍しい事だから、私はどこか不思議な感覚を覚えていた。


お母様はリーゼを連れて、朝早くから出かけていった。

二人の会話の内容から考えて、きっと買いもに出掛けたのだろう。

…なんでも、リーゼは近く、気になる相手である人と会う機会があるらしい。

そこで相手の心をつかみ取るべく、まずは身なりから気合をいれる様子。

…私としては、さっさと結ばれてくれてもうリーゼの顔を見なくても済むようになればそれが一番いいのだけれど…。


そしてお父様もまた、今はいない。

お父様はあたり一帯の土地を管理する仕事をしていて、それゆえに顔が広い。

ずっと前の事だけれど、私がここを抜け出して近くの建物に隠れていた時、土地勘の強いお父様にすぐに発見されて無理やり連れ戻されたこともあった。

…もしかしたらお父様には知り合いが多いから、「愛する娘がいなくなったから一緒に探してほしい」とでも言ったのかもしれないけれど…。

そんなお父様は今日、知り合いの人の食事会に招かれているそうだ。

お相手の人は最近羽振りがいいと言っていたから、きっと豪華な料理をお腹いっぱい食べるのだろう…。


「…ぅぅ…」


そんなことを考えてしまったからか、ごまかしていた空腹感が私の体によみがえる…。

空腹感は本当に厄介な存在だ。

少し痛みを感じたり少し汚れを感じるくらいなら、我慢しようと思えが我慢ができる。

でも空腹感だけはどうしようもない…。

放っておいて良くなるものでもないし、だからといって何かでごまかすこともできない。


その時、私はふと思った。

…今ここには私しかいなのだから、少し食べ物をもらっても大丈夫なんじゃないだろうか、と…。


――――


そう思ってから考えるまでもなく、私は食料が保管されている部屋を目指して歩き進んでいた。

…ばれたらどんな目に合うかもわからないけれど、それでもかまわないと思えるほどに、お腹の空腹感は苦しくてたまらなかった…。


私が足を踏み入れたその場所は、よく知る場所だけれどまったく私には縁のない場所。

食材を運ばされる時にはよく出入りするけれど、その食材が直接私の体に届くことは絶対にないからだ。

私に与えられる死なない程度の食事は、3人の残したもの、食すにはあまり向かない部位、そして痛んだ食材や水だけなのだから。


「な、なんでもいいからなにか……」


私は早速、思い当たる棚を順番に開けてみていく。


「ここには確か、パンが……」


ガラッ


「…えっと、ここにはミルクが置いてあって…」


ガラッ


「…この中には、フルーツが…」


ガラッ


「……」


…私のほんの少しの期待さえ裏切るかのように、そこには何もなかった…。

…けれど、考えてみれば誰にでもわかること…。

…家のお荷物である私に勝手に食べないように、事前に食材を空にしておいただけの事…。

…この家において生きる資格がない私に、ここに置かれている一流の食材を口にする権利なんてない…。

…ただそれだけの事…。


「……ぁ…」


考えてみれば簡単なこと。

それだけの事なのに、私の頬にはうっすらと涙が伝った。

…最後に涙を流したのはいつかさえ、覚えていないのに。

殴られたって蹴られたって、言葉で暴力を受けたって涙を流したことなんてなかったのに。

…それでも、今の私の心を深く強くえぐるに相応しい現実がそこにはあった…。

ほんの淡い期待でさえも壊されてしまった私は、それまで以上に全身が重たくなる感覚を感じ、その場に体を倒してしまう…。


「…なにやってるんだろう、私…」


誰に向けて言うわけでもなく、私はそう独り言をこぼした。

もちろん、答えてくれる人なんていない。

受け入れてくれる人なんていない。

それでも、そう言わずにはいられなかった。

…それほどに、悲しみを隠せなかった…。


「…??」


その時、私はふと視線の先に違和感を感じた。

扉を開け、中にはなにもおかれていなかったその棚。

…けれど、陰になっていて気づけなかったその場所に、きれいな袋に包まれた何かが置かれている。

私は残った力を振り絞り、その袋に手を伸ばした。


「……これって…」


可愛らしい袋に包まれたそれは、まぎれもないお菓子だった。

…中に入っているのは数枚のクッキーと数個のドーナツ。

それがこの上なく絶品に見えた私は、それが誰のどんなものかなんて考えることもせず、夢中で袋を開けてその勢いのままにクッキーを口に運んだ。


…なにから言えばいいかわからないほど、いろいろな感情が私の中を駆け巡った。

…こんなにおいしいものを食べたのは、いつが最後だろうか?

…こんなに甘いものを食べたのは、いつが最後だろうか?

…そしてこんなにおいしいものを、周囲の目におびえることなく食べることができたのは、いつが最後だっただろうか…??




…それはきっと、あの日が最後だったんじゃないだろうか??


――――


「大丈夫ですよ、…様。そんなに勢いよく食べなくても、クッキーはたくさんありますから♪」

「だっておいしいんだもん!…ぁぁ、もうなくなっちゃった…」

「なくなったら、また作って差し上げますから♪」

「え?それって……ぼ、僕と結婚するってこと?」

「っ!?」


――――


苦しい毎日を送る中で、それは私の中に封印された記憶だった。

たぶん、私が今よりもっともっと小さかった時の会話の記憶…。

話していた相手は、私よりも年が少し上で、でもかわいいところも多くて、それでいて私の目にはすごくかっこよく映っていて…。


思い起こせば起こすほど、心が温かくなっていく記憶。

けれど、それは突然に絶たれた。




「なにしてるの、お姉様」


私の前には、ごみを見るような眼を私に向けてくるリーゼの姿があった。

普段からは考えられないほど低い声で言葉を発しているあたり、相当機嫌を悪くしているように見える。

そしてその原因はきっと、私がたった今食べたこのお菓子にあるのだろう…。

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