最後の刻 Record5.5 After the Reward

鈴ノ木 鈴ノ子

最後の刻 Record5.5 After the Reward

 疲れている時に甘いものと言うのは実に素晴らしいことなのだけれども、年齢を重ねてくるとその量が問題となってくることもある。あとは血糖値などの一般的な疾患が頭を擡げてきて、それが原因で食べることができないこともある。


「ただいまぁ…」


 脳神経外科の部長で手術の腕前も良い石巻先生が、9時間というロングランの手術を終えて医局に帰ってきたのは、確か時計が20時をまわったあたりだった。


「雪島先生、1個貰うね」


「石巻先生、お疲れさまです。どうぞ」


 そう言って箱から1つ取り出して石巻先生に手渡す。その手が少しだけ震えていた。もちろん色々な感情もあるだろう、そして、手術でメスなど数多くの術を終えて加齢による疲れからなのかもしれない。


「ありがとう」


 笑顔で受け取った石巻先生はそのまま医局の奥にあるソファーにドサッと音を立てて座り込むと、ゆっくりとお菓子のパッケージを見つめていた。外科系の医師は2種類に分類することができると思っている、私生活において、大雑把か・繊細か、石巻先生は後者のタイプでパッケージに記載されている成分表でも確認しているようだ。

 医師が自分自身の体調が悪くなった時は自ら処方をすることは法律で禁止されている。だから、職場の先生なり、友人の先生などに診察を受けたり、強引に処方だけを頼み込んだりして薬を受け取ることもある。

 そんな中、真面目な石巻先生は予約を取り、休日に病院に現れ、患者さんと同じように待合に並び、各種検査のため院内を歩き、診察に呼ばれて診療を受け、長い会計を待ち、支払い、処方箋を受け取って帰る。という、患者さんからすれば鏡であるし、同業者からすれば迷惑千万とも受け取ることのできる行動をする先生でもあった。内科部長の等々力先生が病状安定のため定期投薬で対応可能と判断し、大部分の悪戯心で内科研修の宝田先生に予約を振り分け診察させた。

 その翌週から脳外科研修で顔を合わせた際に驚愕至らしめた。笑い話の1つである。


「雪島先生、半分、どうですか?残すのは偲びなくてね」


「ええ、頂きます」


 数個を食べたところで石巻先生はパッケージの残りを差し出してきたので、それを受け取ると、ご馳走様といって部屋を後にしていった。おそらく、今日は病院に泊まるために仮眠室にでも向かったのだろうと思いながら、ふっと、昼間に今田先生と話した際のことを思い出した。


「なかなか、病院の子供向けお菓子ってないんですよね」


「コンビニに売ってるだろ?」


「いや、あれって子供さんによっては食べられない物も入ってるんですよ。それに小児病棟に遠慮してか品数も少ないですしね」


「確かに商品棚に子供菓子は少なかったなぁ」


 職員食堂でカツカレーを2人して頬張りながらそんなことを話していた。美玖ちゃんは食べることを許されていたが、それ以外の入院している子供さんによっては食べることができない子もいるし禁忌とされている場合もある。薬と同じように食生活も気を使わなければならないのだ。


「何とかなるといいんですけどねぇ、ね、先輩」


 そう言ってこちらに流し目のような視線を向けてくる。女性顔という言い方をしては大変失礼だけれど、イケメンと言うより美人顔で性別判断が非常に困難な顔つきのこの後輩が時より誰彼構わず振り回す一種の武器だ。

 まあ、相手が悪い、耐性はすでに取得済みである。


「そっちが頑張ってみれば?」


「そんな冷たいこと言わないでくださいよ…」


 悲しそうにそう言いながら、人が最後の楽しみに取っておいた最後の一切れのカツを悪びれもなく奪い取っていった恨みは今も腹の底に抱えているが、そう考えてみると、子供だけではない、大人にも関わってくることのあるモノであるかもしれないと思案しながら、手近にあったメモにそんなことを書き連ねていたのが、17時間前のことだった。


「先生、これって何です?」


「ああ、山崎さんそれはね…」


 新薬アルキアの進捗状況について聞いている最中に偶然、そのメモを目ざとく見つけてメモを指さした。


「なるほど…。確かにそうかもしれませんね。パッケージを小型化して量を少なくしても、まぁ中身は変わんない訳ですし…」


「うん、あ、そうだ。山崎さんちは菓子屋じゃん、どうにかなんない?」


「いや、実家みたいに言うの止めてくださいよ。そりゃグループですけど、たぶん難しいかもしれません、販路が限定され過ぎですし…」


 営利企業なのだから儲けのない分野に開発費を投入することに及び腰になることは当たり前だろう、それ以前にこんな企画を持ち込むことすら会社の上司から怒られることになる案件かもしれない。


「だよねぇ。じゃぁさ、巻き込めるだけ巻き込むことができたらどう?」


「巻き込むだけ、巻き込むですか?」


「そうそう」


 こうして物事を面倒臭くして面白がる人種は1人目を絡め取ることに成功したのだ。後は芋ずる式にお菓子メーカー系列の医薬品会社のMRさんを徹底的に誘い込み、今田先生をカツの恨み込みにて2週間後に巻き込んで、院内で第一回目の治療薬(?)の会議が開催された。

 不思議だったのは、皆が乗り気であったことだ。もちろん、美玖ちゃんの話はしていない。ただ、全員が何かしらの成人病に罹患していたり、その一歩手前だったりしたからなのかもしれない。

 数回の会議の後には、各社の創薬部長クラスを交えての意見交換会へと発展した。普段ならば共同研究などという行為をここまで大々的に行うことなどないはずなのに、なぜだろうかと意見交換会後に山崎さんへ聞いてみた。


「ああ、プライドの問題でもあるんです」


「プライド?」


「たまに出向してくる上級職がいるんですがね、まぁ、なんと言いますか、薬屋と菓子屋のプライドがぶつかったりするのですよ。これ以上は話さないですけどね」


 影が差した山崎さんの顔を見て聞いてはならないような気がした。


「な、なるほどね。まぁ、お願いします」


 早々にその話題から逃げ出した。

 後々分かったことだけれど、各社共通の根深い問題であったらしい。それがこの企画に最終的に火をつけたと言っても過言ではないかもしれない。各製薬メーカーが骨子を纏め上げ、合弁会社の設立と共同研究開発に至るまでのスピードは製薬以上の速さであったことは確かだ。


「楽しそうなことをしているじゃない、私もまぜてよ」


 何処から話が漏れたのか、はたまた、勝手に聞きかじってきたのか、大学病院の神谷教授にまでが分野が違うのに、忙しい合間と長い距離を物ともせずに夜半の病院会議室に現れる始末だ。


 数年後に数十種類の内容にてそれは完成した。

 パッケージのデザインはキャラクターを使わずに動物の影柄だけとなって質素だが、一般製品と混ざることでの不慮の医療事故を防止するためらしい。試験的に大学病院と当院で使用されてゆくことになった。

 そのお菓子を食べている入院患者さんを目にして、少しでも辛い治療の支えになってくれればと思うばかりだ。


「これは、心にも、体にも、どちらにも効きますかね…、薬ではないですけど…」


 そう言って微笑む合弁会社へ出向となった山崎さんの声は弾んでいた。

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