第4話

「よし、これでしばらくは息ができるはずだ」

 それを確認した俺たちはすぐにこのサメの生態調査に乗り出した。

 まず、メガロドンの模様や傷を写真に撮ったりスケッチして特徴を記録。次に動物用の注射器で血液や生殖器の精液を採取、最後にはヒレの部分に大型の発信器を取り付けて調査は終了した。

 その間のスピードは約五分。早すぎるかもしれないが、サメはデリケートなために長くなると命に関わる。

「よし、ホースを外すぞ」

 そう言ってジョナサンと俺がホースを引っこ抜こうとするが、思いっきりかみしめているため、中々外れない。バルロ達が手伝いに来て、強力な顎を、五人がかりでこじ開けた。

 そうやって俺たちが悪戦苦闘しているうちに、油圧で持ち上げられていた、台座がゆっくりと水の中に沈んでいくことに気がついた。

「早く、ホーズを持って船に戻れ」

 船長のレクトラの叫び声が聞こえたが、今の目的はこのサメを生きたまま海に帰すことばかり考えていた。

 ホースを外し終えた俺たちは慌てふためいて、甲板に上がるはしごに登り、サメが泳ぎ出すのを見守った。

 六メートルの子供は海につかるやいなや、その巨体を暗い海の底に消えていった。

「はあ、これで一匹目の記録は済んだ」

 俺は一息ついてペットボトルの水を飲みこんだ。ジョナサンとミルルは汗拭き用のタオルで拭きながら、再び針に餌をつける準備を始める。

「見てよ、おっちゃん。この針すごい力で曲がっているよ」

「ホントだ、やはり子供でもこの力だとは驚きだな」

 二人が巨大ザメの力に戦慄している傍らで、俺は替えの針を用意していた。

「早く新しい餌をつけろ」

「わかってるよ」

「こんな針じゃ、使い物にならないからな」

 二人が悪態をついて作業に取りかかる間、俺はその合間を縫って、発信器の状況と秘密裏におこなわれている海底調査の状況を見に、パソコンを囲む職員達に近づいた。

「状況はどうなっている」

「最初のメガロドンは元気よく泳いでいる所よ。うまく発信器が機能している証拠よ」

 確認して見ると海図のなかでメガロドンの位置情報を示していた。

「鯨の死骸は見つかったか?」

「まだよ、海底の音波探知機を使って調べているけど、なにぶん結構な数の死骸があって、判別が難しいわ」

 鯨とは潜水艦、死骸とは沈没船の残骸の隠語だ。

水生人間に気づかないようにするための対策だが、まるでスパイ映画みたいだ。

「おーい、マサル。餌の準備はできたぞ」

 ジョナサンの呼ぶ声がしたため、俺はすぐに二人のいる所に戻った。

「あ、また、来たって」

 ミルルの指さす先に職員が旗で知らせたため俺たちはすぐに海に餌を投げ入れてた。

 周辺では魚竜がイルカのように水面から飛び跳ねているが見えたが、そんなことなどお構いなしに無線機を片手にメガロドンが食いつくのを待った。

『来た、食いついたぞ』

 無線からの声と共に再びブイがおかしな方向に動き出した。すぐに次のブイを次々投げ入れて、動きを鈍らせてワイヤーを巻き上げていく。

 徐々にその魚影が現れたが、それはサメではなく、さっき飛び跳ねていた魚竜だったため、俺たちはがっかりした。

 俺は無線を使って「写真だけ撮って針を外してくれ」と伝え、それを聞いた数人が水中カメラとペンチを片手に海に潜った。

三分位して、唸りを上げていた巻上機は勢いよく回り出し、それと共に奴らも海から上がって、撮影の完了と針を外したことを無線で伝えた。

「ああ、外道が釣れたか」

「外道って?」

「ああ、釣り用語で狙いとは違うって意味」

「・・・・・・今日は、あいつ来なかったね」

「大丈夫だ、餌はまだあるから」

 ジョナサンがそう言って巻き終えたワイヤーをたぐり寄せて、再び針に鯨の肉をつけた。

「今度は曲がっていなかったね」

「正直、運がよかったと思っているよ」

 ジョナサンはそう言って、次の機会を辛抱強く待ち続けていると、再び旗が上がり、チャンスが到来したことを俺たちに伝えていた。

『マサル、覚悟決めた方が良いぞ』

「どうした、何かあったか?」

『海の生き物たちが逃げ腰になって、この海域から距離を取ろうとしている。恐らく、でかいやつが来るぞ』

無線で聞いた俺は「わかった」と言って無線を切るとすぐに二人にやつが来たと伝えた。

「ほんとにやつが?」

「海の状況がやばいらしい」

「これは、ウキを全部投入する覚悟を決めないと」

 ジョナサンは三度、海の中に餌を投げ入れて、二分もしないうちに映画に出てくるホオジロザメですら裸足で逃げ出すくらいの巨大な背びれが現れた。

 船の人間達の間に緊張が走った。これだけでかいと、出背筋が寒くなる思いだ。

 そう考えていた直後に凄まじい勢いでブイが消えてなくなり、ワイヤーも凄まじい力で引っ張り出された。

「来たぞ」

「すぐに、ブイを投げ入れるぞ」

 ジョナサンは次々とブイを海の中に投げ入れて、動きを鈍らせようとするが、投げ入れてもすぐに海の中に消えていく。

 十個目を投げ入れたところでようやく浮いたままになり左右に動いて行くのが見えた。巻上機は悲鳴をあげて巻き上げようとする。

「おい、この機械、大丈夫なのか?」

「お兄ちゃんの言う通りだよ。なんか、今にも壊れそうだけど?」

「そんな事、わかるわけ無いだろう。文句があるのだったら、この巻上機を作った会社に文句を言ってくれ」

 お互いにお互いを言い合っていると水面からその巨影が見えてきた。

 大きさは約十二メートルくらいはあり、ジンベイザメくらいはあるが、見るからにジンベイザメほどにおとなしい種類ではないことは頭を見ればわかった。

「あ、あいつだ」

 ミルルの声が震えているのがわかる。そして水かきのついた握りこぶしが震えていることも、俺の目から見てもわかる。

「間違いないな?」

「うん、こいつがここのヌシで友達の仇だ」

 ジョナサンとミルルが見ている中、大人のメガロドンはそのでかい図体を台座に移されて、まな板の魚の状態になった。

 目の前でそのメガロドンの調査が先ほどと同じように行っていると、ある職員が生殖器とお腹周りを見て叫んだ。

「この、個体は雌よ。しかもお腹に子供がいる」

 それはある意味で喜ばしい報告だった。このメガロドンが妊娠ともなればここでの繁殖が確認されたのも同然だ。

 妊娠を聞いた職員は人間のおなかの中を調べる機械でこの巨大な雌鮫の内部を調べた。

「この様子だと、もうすぐ出産しそうな状況よ」

「そうか、よし、すぐに作業を完了させて海に戻すぞ」

 そう言ってみんなは作業効率を早めて、海に戻す準備を始める。

 その頃、俺らは下を俯くミルルの葛藤を見つめていた。

「どうする。このまま、あいつを殺すか?」

「でもそうなると、おなかの中の子供も死ぬことになるぞ?」

「うるさい、そんなことわかってる」

 そんなやりとりをしていると、作業が終了したようで、みんなが台座から離れようとする。

「ちょっと、止めてくれ」

 ジョナサンが作業員に台座を水につかる程度で止めさせると、ミルルと一緒に銛を持って雌のメガロドンに近づく。

「ミルル、これで、お前がどうするか決めろ」

 ミルルは黙って頷くと、銛を力一杯握りしめて、何もできないサメをにらみ付ける。

 一方のサメはその強面の顔と一本が掌サイズの鋭い歯をむき出しにしながら、母性を感じさせる目でミルルを見つめていた。

 ミルルは意を決して銛を大きく振り上げて、そこから一気に振り下ろした。

「やめろ!」

 傍らで見ていた職員は思わず一斉に叫んで止めようとした。

 銛は、メガロドンの頭のすぐとなりの床に突き刺さり、そのまま一直線に立った。

「それが、お前の答えか?」

 ミルルが縦に首を振ったのを確認した俺らは「もう、下ろして良いぞ」と作業員に合図をして船に戻った。          

 台座が海に入るとメガロドンはゆっくりと巨体を揺らして、海に戻った。その中でカメラを持っていた水生人間はその泳ぐ姿を終始撮影していた。

「いま、あいつが出産したぞ」

「ふう、一時はどうなることかと思った」

「ああ、よく殺さなかったな、あの子はよく我慢できたよ」

 みんなが喜んでいるのを尻目に俺は船に戻った二人に近づいて「よく我慢できたな」と声をかけた。

「僕は、今でも迷っているんだ。本当にあの判断でよかったのか」

「あいつを恨む気持ちはわかるが、あれで正解だったんだ。少なくとも俺の時と違ってな」

 ジョナサンの言葉を聞いてミルルは首をかしげるが、俺はすぐに「次の捕獲に備えてくれ」と彼を遠ざけ、代わりに俺がその言葉の真意を聞いてみた。

「数百年前かな、まだ北極海にカイギュウがいた頃にお腹の大きな雌がいてな。その頃はほら、今みたいに生き物保護とかまったく考えなかっただろ。だから、妊娠していてもお構いなしで捕獲して、食料にした上で、骨や中の胎児とかヨーロッパの自然博物館に売って、生活のたしにしていたからな」

「まあ、そうだろうな。俺がまだ生まれたての頃なんかレイチェルカーソンの『沈黙の春』なんか荒唐無稽だと思っていたから」

 俺たちの会話を遮るかのようにまたメガロドンが来たことを知らせる合図が見えた。

「お、また来たって」

「餌の方はどうだ」

「まだ、つけ終わっていないぜ」

 そのようなやりとりをしながらどれ位たったか、太陽は地平線に完全に消えて、暗闇が空を覆い隠そうとしていた。

 仕事の終わったみんなは、この海のヌシであるメガロドンの出産を捉えた映像を映画の試写会のような形で鑑賞していた。

 その映像は協力した水生人間にも見せられた。普段、海にいる奴らですら、この映像を見るのが初めてだったらしい。

 俺はと言うと、力仕事が一段落したために、空の一番星でも見つけようと船の外に出た。

 そこに伯母のバルロがどこから持っていたのか缶ビールを二つ握っていた。

「お疲れ様、今日はお互い頑張ったわね」

「いや、まだ序の口だよ。今度はここのウミガメのアーケロンにカメラをつけるよ」

 それを聞いたロウガは口笛を吹いて「それはすごい大仕事になるわね」と言った。

「なに、アカウミガメとかで練習はしているから、多分できる」

「でも、大きいし、この海でいる関係上、気性は荒いわよ」

「でも、カメラをつけるという仕事に関して言えば楽だと思うけど」

 そう言って空を見上げて色が赤い一番星をみつける。

「じゃあ前祝いに沖縄の友人がお土産に持ってきたビールでも飲む?」

「わざわざ沖縄から?」

「友人はね、日本で絶滅したジュゴンの再導入に力を入れているの。でもなかなか定住しなくて困っているわ」

「そりゃそうさ。ジュゴンはデリケートなうえに環境の変化に弱いから、水族館でも長生きしたためしがほとんど無いよ」

 俺は渡されたビールのプルタブをはずそうとしてビールの名前をみると『オリオンビール』と書いていた。

「まあ、それはそうと、今日の星座は何かしら、オリオン座か雄牛座なのかな?」

(この人、気がついているんだ)

 すぐに話をそらすために話題を変えてみた。

「ミルルから聞いたが、あんた、海軍に入っていたんだって」

 バルロはそれを聞いて一瞬沈黙してオリオンビールの缶に力を入れた。

「そうよ、私が入隊したのが帆船から蒸気船に変わる頃よ。当時、海軍では私たちの高い能力に目をつけて、募集を始めたの。ほら、グルカ兵とか外人部隊とかと同じ考えよ」

「一体何の任務だったの」

「最初期の私たちがやっていたことは船に爆弾をつけて沈める破壊工作とかね。その後は色々やったわ。水中からの偵察に試作段階の人力潜水艦からの救助、それから機雷や障害物の掃海作業、何でもやったわ」

「それで、いつまで在籍していたの?」

「私は、二十世紀の初頭辺りまで任務に就いていたわ。その後は自らの経験を元にテロ活動とかしていたわね」

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