夏、幽霊と少女

鈴椋アマネ

夏、幽霊と少女

 僕はどうやら幽霊になってしまったらしい。理由は分からないけれど。


 地面から少し浮いているし、道行く人に無視をされるから、思い切って車に轢かれてみたけれど、車は僕の体を通り抜けていった。でも天国や地獄に運ばれる気配もないから、ただゆらゆらと彷徨っているだけの幽霊だった。


 そんなことより記憶がなかった。人間、という存在は分かるけど、人間だった頃の記憶が抜け落ちている。家に帰ろうにもここがどこだか分からないし、誰かに訊ねようにも皆僕を無視して行ってしまう。交番に行っても分からないので、知らない家に勝手に入って、ここは違うか、みたいなのを繰り返していた。もしかしたら何か思い出すんじゃないか、と考えていたけど、丸一日粘っても成果は出なかった。感情もあまり湧かなかった。


 そうして諦めた僕は、どこかのバス停にあるベンチに座って(と言っても少し浮いているけれど)いた。


 青い空を眺めていた。遠い入道雲や木陰のベンチが懐かしくて、気温は感じないけれど、夏みたいなのを一人感じていた。見入っていた。多分忙しくて、自然に目をやるのを忘れていたからだ。


 ずっとそうしていると、いつの間にか、僕の隣に人が座っていることに気づいた。中学生くらいの少女。肩くらいまで伸ばした綺麗な黒髪に、どこかの学校の制服を着ていた。うつむいて鼻をすすっていたから、恐らく泣いているのだと分かった。また、いじめられたんだろうか。……また?


「どうしたの?」


 少女はばっ、と顔を上げて、驚いたような表情でこちらを見た。が、目が合わないから、声だけ聞こえたという印象だった。


 それよりも。瞳が大きく幼さが残る、小さな可愛らしい顔。僕はこの顔に見覚えがある気がした。


「誰?」


 嘘を言っても仕方がないし、僕はありのままを彼女に話すことにした。


「僕は……自分でも分からないけれど、幽霊になってしまった元人間だよ。どうやら君にだけ声が届くみたいだ」

「……変なの」


 彼女は汗を拭って、ため息をついた。ため息を吐きたいのは僕の方なんだけどな。


「君は誰なの?」

「私は詩音」


 彼女は憂鬱そうな面持ちを変えることなく、随分と短い自己紹介をした。仲良くする気がないのか、仲良くなることを諦めているのか、どちらかだろう。


「詩音は何かあったの?」

「別に。でも幽霊ならいっか」


 詩音はそう言って続ける。


「私、友達いないの」


 彼女は恥ずかしそうにそう告げて、ふぅ、と息をついた。ということは、ボッチにだけ声が届く幽霊が僕なのだろうか。どういう理屈なのだろう。


 僕は彼女をからかうように言う。


「情けないな。今、中学何年生なの?」

「情けなくないし。あと私、高校生だし」


 彼女はむきになって答える。あぁ、懐かしいな。


 もちろん、この子のことは全く知らないし、なぜ懐かしく感じるのかも謎だ。でも僕は段々と、詩音の為に何かしてあげたくなってきていた。


「よし、じゃあ僕が友達作りを手伝ってあげよう」

「幽霊なのに?」

「失礼だな。幽霊だからこそ、君に間近で助言を伝えられるんだぞ」

「ふーん」


 詩音はあまり期待していないような声を出した。


「今は何時?」


 詩音はポケットからスマホを出して「五時、夕方」と教えてくれた。


「じゃあ今から河川敷と公園と図書館に行こう。誰か生徒がいたら片っ端から声をかけていく」

「河川敷も公園も隣町にしかないよ。図書館は、まぁ、あるけど」


 あれ、そうだったっけ。じゃあ僕はどこのことを言っているんだろう。


「ていうか、その方法力業すぎない?」

「でも力業だからこそいいんだよ」

「何が?」

「あれだよ……とにかく、行くよ」

「あっ、ごまかした」


 そして僕たちは図書館まで炎天下の道のりを歩いた(僕は浮いているけど、歩く素振りはしている)。僕は何か話そうとして何度か声をかけたけれど、さらっと軽く流されたり、無視されて僕自身の存在を疑う羽目になったので、途中から二人とも無言だった。


 詩音は気温の高いのに歩かされているので、終始めんどくさそうにしていた。時おり、風が吹くと気持ちよさそうに腕を開いてそれを感じた。


「着いたよ」

「……なんかごめんね。日陰で涼んでたのに炎天下の中歩かせて」

「いいよ。図書館の方が涼しいし。それに」


 彼女は恥ずかしそうに小さな声で言った。


「友達、欲しいし……」


 その仕草はあの子みたいで、とても可愛らしかった。でも、あの子って、誰だっけ。


 図書館に入る。自動ドアをくぐるとエントランスがあって、さらに進むと本棚が沢山並ぶ図書館内部への自動ドアがあった。エントランスにも席があって、大声で話をしながら勉強をしたい人が陣取っていた。


「ここの人たちは手強そうだね」


 詩音は周りを気にして小声で応答する。


「うん……中に行こ……」


 さらに自動ドアをくぐり、図書館の中で入った。無数の本棚があり、窓に沿って外の景色を見れるように間隔をあけて席がある。ちらほら人もいて、そこそこ人気のある図書館らしかった。


 僕は見えないけれど、一人に指をさした。


「じゃあ、あの手前の人に声かけてみて」

「あの人、勉強に集中してるから辞めとこ?」


 僕は別の人を指さす。


「じゃあ二番目は?」

「顔が怖いからやだ」

「お互い様だろう」

「はぁ?」


 詩音は大きい声を出してしまって、慌てて周囲を見渡した。大丈夫、誰も見向きもしない。やはり、自分から話しかけなければ駄目なのだ。


「じゃあ三番目の子。大丈夫、僕が言う通りに話しかければ」

「う……分かった」


 詩音は手前から三番目の席に座る少女に近づいた。想定していたよりもぎこちない動作に、僕の方が心配になる。でも失敗しても広めるような見た目の子じゃないし、失敗が後に青春になる。そう勝手に解釈して作戦実行に移す。


「僕の言うことを繰り返して……何読んでるの?」

「な、ナニヨンデルノ」


 少々違和感があるか。まぁいい。少女は振り返った。


「……? 普通に小説だけど」


 少女は訝しげに言った。


「確か、詩音ちゃん、だっけ?」


 と、僕が話を続ける前に少女が話し出した。詩音は相変わらずぎこちない。


「え、なななんで知ってるの?」

「逆に私のこと知らないんだ……同じクラスなのに。てか、もう夏なのに」


 小声の会話は続く。


「あ、ご、ごめん……」

「自己紹介の時聞いてなかったか。私、志保。よろしく。小説好きなの?」

「あ、いや」

「とりま、ライン交換する?」

「あ、う、うん!」


 詩音は成り行きで友達の連絡先を手に入れていた。僕はまるで保護者のような目線で、それを誇らしげに見ていた。志保ちゃんのコミュ力の高さに感謝しよう。


 詩音はラインを交換した後、志保ちゃんの隣に座って話を始めた。


 偶然にも意気投合した詩音と志保ちゃんを見届けて、満足した僕は一人、図書館の外で陽光を眺めていた。夏はまだまだこれから、と言わんばかりに明るく、日が長かった。


 やがて話を終えたのか詩音が出入り口から出てきた。僕は彼女に声をかける。


「上手くいっただろう」


 詩音は少し驚いて、その後返事をした。


「うん。ほとんど志保ちゃんのお陰だけど。でも」


 詩音は笑っていた。


「ありがとね。一歩踏み出せた」


 不意に気づく。


 僕の体が先程よりも高く浮かんでいることに。僕はどこかで終わりを悟る。なぜなのかは分からないけれど。僕の成仏条件は、誰かの願いごとを叶えることだったのか。


「あっ、お母さんだ……偶然すぎ。タイミングも悪いし……」

「隠れてないで行きなよ」


 僕はこの世からおさらばするらしく、どんどん消えていく気がした。実際、手が、腕が、全身が少しずつ薄くなってきている。しかし、それを詩音には告げないし、そのことに悲しさも寂しさも感じない。


 僕は無念を晴らしたのか。見知らぬ彼女の願いを叶えることが? いや、僕の無念は、あの名前を思い出せない彼女の願いを叶えてやることだった筈だ。僕は詩音と、彼女の母親に目をやった。ああ、そうか。僕はその光景を見て、全てを察した。


 君は、大人になったんだね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏、幽霊と少女 鈴椋アマネ @_szmk_u

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ