そして二人の青年は終焉へ向かい駆け出した
000へと続く物語
広大な草原を駆ける人影があった。煙のような短髪がふわふわと風にそよぎ、簡素な袴の袖は弧を描いて翻っている。
その名はカナギ。少し前まではPKプレイヤーとして活躍していた剣豪だ。
しかし今はPKを引退し、フィールドを巡る日々を楽しんでいる。
かつての自分と決別するかのように断髪した彼は、その二つの目をあちこちに巡らせて戦いに備えていた。
そして何かの接近に気が付いた彼が足を止めると、その目の前に白い狐が現れた。その首には数珠のような宝珠が巻き付いている。
ジェムフォックスと呼ばれるモンスターだ。この辺りのモンスターにしては手強いが、さしたる脅威ではない。
「身体慣らしには丁度良い相手だ」
カナギがそう言って抜き放ったのは、峰と刃が逆についた独特な刀だった。
銘を【逆鱗刀】というそれは、殺人を厭うカナギのために特別に作られた、人を斬らない刀なのだ。
その不殺の信念を体現した刀を構え、カナギは駆け出した。
狐は甲高い鳴き声を発しながら、白く発光する炎を巻き散らす。
それらを悠々と避けきったカナギは、刀を振り上げて強烈な峰打ちをお見舞いした。
狐は衝撃のあまりよろめく。その隙を見逃さず、カナギは刀をくるりと持ち替えて、その逆さに付いた刃で狐を切り払った。
「うん。逆さでも結構戦えるな」
カナギがそう呟いて、狐の血が残る刃を拭ったときだった。
草原の向こう、PKエリアであるアルカジアの森の中に、巨大な影があった。
それはあまりにも大きく、黒々とした人骨だった。頭蓋には花嫁のベールのような霧がなびき、瞳があるべき窪みには青白い火が燃えている。
「新しいモンスターか? もし誰かが襲われていたら……」
カナギは一瞬ためらったが、すぐに迷いを振り切って走り出した。
草原から森へと入る。PKエリアへの入場を知らせるように、一瞬肌がひりついた。
アルカジアの森はかつてのカナギの主戦場だった。幾人もの命を奪った感覚がまざまざと蘇り、カナギは逆刃の刀をそっと握りしめる。
その小さな森の中央に、神秘的な花畑がある。白い百合のような花が咲き乱れるそこに、黒い化け物はいた。
肋骨から上のみが地表に露出したような姿。森を包むように腕を投げ出し、青白い目の炎をちろちろと揺らしている。
「<展延>」
カナギがそう唱えると同時に骸骨がその伽藍の目を向けた。黒い顎がかたかたと震え、空気が振動する。
『ああ、また邪魔者が来てしまいましたのね』
「なっ……」
カナギはその双眸を見開いた。
喋るモンスター。そんな存在は見たことも聞いたこともなかった。
『ワタクシの最愛の人、守り切って見せますわ』
骸骨の声は大人びた口調のわりに幼い少女のようだった。彼女はその長い腕を振り上げ、じたばたする子供のように勢いよく下ろす。
カナギはさっと飛び退き、冷静に刀を振った。
元々人型相手の戦いは慣れている。その事実に胸を冷やしながらも、逆さに構えた刀で的確に腕と首を寸断した。
『なんですの、この埃頭は!』
「だ、誰が埃頭だ!」
身体をばらばらにしながらも、その骸骨は喋り続けた。やがて黒い骨は塵のようにさらさらと空に溶けていき、後には青白い火の玉だけが残る。
そのときカナギは、彼女の肋骨が囲んでいた場所に、少年が一人倒れ伏しているのを目にした。
「おい、大丈夫か!?」
慌てて駆けより、カナギははっと息を呑む。
うつぶせの彼の腹からおびただしい量の血が流れていた。傍には、恐らく彼の腹を切ったであろう小刀が落ちている。
カナギは急いでインベントリから回復薬を取り出し、少年の顔をそっと持ち上げて薬をその口に流し込んだ。
『つまらないですわ。折角手に入れるチャンスでしたのに』
いつの間にかカナギの傍にあの火の玉が漂っていた。その声で目が覚めたのか、少年がゆっくりとその目を開ける。
銀髪の中に尖った耳が見えている。恐らくエルフなのだろう。
そしてようやく表れた瞳は、鮮血のような赤だった。
「あなた、誰ですか」
ふらふらと体を起こした彼は、まだ夢の中にいるような調子でそう尋ねた。
「通りすがりの剣豪だ。それより少し聞きたいんだが、この刀はお前が使ったのか」
カナギはそう答えて、落ちていた小刀を差し出した。少年はぼんやりとした目でそれを見、何の変哲もないと言いたげにただ頷いた。
「なんでそんな、自分で自分を傷つけるようなことを」
カナギはそう言いながら、かつて共闘した友人のことを思い出していた。
龍という封じていた記憶を呼び覚ますために、自らの左目を傷つけたあの姿を。
「あなたには関係ないでしょう」
少年は静かにそう言った。人らしさを感じさせないその表情に、人を信じることを辞めた悲しさをカナギは読み取った。
「関係ある。俺は刀が好きなんだ。刀が持つ、道を切り開く力を信じてる。こういうことに使われるのは辛い」
「それは僕には関係ありません。別に刀だろうとなんだろうと、傷を付けられればいいんです。薬の礼は言いますが、それ以上の言葉をあなたと交わす必要はありません」
少年はそう言い捨てて、まだ怪我の跡が残る腹を抑えながら立ち上がろうとした。しかしよろめいて、すかさずカナギがその身体を支える。
「礼を言うべきことが増えたな」
「うるさいですね。あなたが勝手に支えただけでしょう」
カナギが軽く茶化すと少年は一瞬顔をしかめ、カナギを突き放すように身体を離した。その年相応な表情に、カナギはそっと安堵する。
「俺が刀の使い方を教えようか。短刀でもかなり戦えるぞ」
「不要です。僕はネクロマンサーですから、戦う術を知る必要はありません」
「でもそこの人魂に頼ってばかりじゃ、いずれ心を壊す。腹を切るのが召喚の条件なんだろ? 自分を傷つけるのは、自分の心も傷つけることだ」
カナギがそう尋ねると、少年は反論できないのか口を噤んでしまった。その傍を飛び回る人魂は、幼稚さを感じさせる声色で彼に語り掛ける。
『こんな人を信じるというのですか!? あなたがどれほど他人に傷つけられてきたか……それを思えばまた誰かに怯えるよりも、ワタクシだけをお傍に置いたほうがよろしいでしょう!?』
火の玉がそうまくしたてると少年の瞳は分かりやすく揺れた。その青白い顔にカナギは、過去に苦しむ友人の面影を見た。
あいつは自分の辛さをひた隠して、俺の居場所を作ろうともがいてくれた。
そう思い返したカナギは、目の前の少年を真っすぐに見据えた。
「俺はただ刀の楽しさを広めたいだけなんだ。血を吸わなくても刀は美しいんだって分かってくれれば、それで十分だ。こうして出会ったのも何かの縁だと思って、しばらく俺の我儘に付き合ってくれないか」
少年は少し目を閉じて、小さく息を吐いた。
「……では、それが薬の礼ということにしましょう」
折れてやったと言わんばかりの口ぶりだった。これはかなりひねくれていると、カナギは内心苦笑する。
しかしそんな彼が少しでも歩み寄ってくれたことが、とても嬉しいのだった。
「俺はカナギだ」
そういって再び手を差し出すと、少年は白けた目でそれを見た。
「あなたの名前を覚える気はありません」
「じゃあ……師匠とでも呼んでくれ」
「はあ。まあ、呼んでやらないこともないですが」
そうして彼は恐る恐るカナギの手を握り、意を決したように口を開いた。
「僕は……イヅルです。そして、こっちのうるさいのが」
『イヅル様の忠実なる僕にて最強のアンデッド……その名も、ダイアナ!』
「これも覚えなくて大丈夫です」
センリとの出会いを運命的と評するならば、この出会いは致命的だった。
そんな未来をつゆ知らないカナギは、不揃いのようで息の合ったネクロマンサーとアンデッドのコンビに、満開の笑顔を向けたのだった。
―――――
岩戸の邸宅、その一室で千織は一心不乱にメモを走らせていた。
「月の女神の名を与えられたモンスター、ディアナ。ドクターの目的はその主たるネクロマンサーを殺すこと……」
ボールペンを置き、千織は息を吐いた。
この部屋は監視されている。この岩戸邸の中は全てドクターの目であり耳だ。
だからこそセンリはあえてドクターの作戦に乗ったふりをして、その寝首を掻く算段をずっと練っていた。
「ディアナの性質は残忍なものになっとるはずや。聖羅の作った神話が影響を及ぼしているなら。いやでもその場合、ディアナを滅ぼした天使たちも相応の力を持つはずやから、それを使えば……」
またいくつか文字を書き、千織はこれ見よがしに嘆いた。
「カナギが心配やなあ。そのネクロマンサーと出会ったりしてなかったらええんやけど」
その脳裏では、仕掛けるべき罠の姿が着実に組み上がっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます