060: 終幕
「<氷盾>!」
スピネラが氷の盾を展開し、降り注ぐ火の矢からセンリたちを守った。クーシーの残した持続回復効果のおかげで、それなりに猶予は作れそうだった。
「お前熊だったのか!? 俺はてっきり牛のビーストかと……」
カナギが思わず目を丸くして言った。センリもまた、ゴーズィの白く丸い耳に衝撃を受けていた。
「まあ、そう見せるための兜だったからな。HP特化だと思わせるだけで、持久戦を嫌がるソーサラーをけん制できる」
「熊はCON特化の種族……なるほど。それで、あんだけ大きな斧を軽々振り回せるっちゅうわけやな」
耐久地に関するパラメータ、CONとPOWにはそれぞれ隠し効果がある。POWが魔法の使い過ぎによる頭痛を抑えるのに対し、CONは重たいものを持ち上げる力、いわゆる筋力を増強させることができるのだ。
ゴーズィはスピネラを下ろし、険しい顔をセンリたちに向けて言った。
「そういうわけで、俺はあいつの魔法を耐えることはできない。一度でも当たればおそらく死ぬ」
横のスピネラも同意するように深く頷いた。彼女もまた、度重なる戦闘で疲弊しているように見えた。
「だから俺たちは、お前たちに繋げる活路を開く」
「献身的なギルドマスターってことをアピールするチャンスだもの!」
それでも彼らは希望に燃えた目で、センリとカナギを見つめていた。
「分かった。俺とカナギで倒す」
「何か策があるのか?」
センリがさらりと請け負うと、カナギが不思議そうにそう尋ねた。その問いに頷いて、センリはずっと握っていた黒い刀をかざす。
「こいつの特徴はダメージ計算にSPDの値を用いること。龍の力を使えば、かなりの威力が出るはずや」
「分かった」
短い返答。それだけで、彼の考えていることを全て理解できた。
「そろそろ盾が壊れるわ」
スピネラが静かに言った。緊迫した空気に満ちた。
氷の向こうのマサも、そろそろ溶かし切るという手応えがあるようだった。
数珠が太陽のように輝いた。
その中央で、マサはしとやかに舞う。
「“いかばかり 善き業してか 天照るや 昼目の神を 暫し留めん 暫し留めん”—」
センリは息を呑んだ。
人の感性を理解するAI、その開発のために用いた古典文学のデータの中に、その歌はあった。
神楽歌の一種、「昼目歌」。天照大神を引き止めようとするものだ。
おそらく、『SoL』のデータにも入っている。もしそれが詠唱として受理されてしまえば、どれほどの威力になるだろう。
「行くぞ、センリ」
「ああ」
カナギの藤の瞳は、一切の揺らぎもなかった。
「—<火群舞>」
氷の盾が割れた。その氷の破片すら押し流すように、炎の波が押し寄せる。
「<氷盾>!」
「<聖なる障壁>!」
スピネラとゴーズィが盾を展開する。それで徐々に距離を詰めながら、センリとカナギはじりじりとその時を待った。
「今だ!」
カナギが叫んだ。その足がぐっと砂を踏み込んだ瞬間、盾が破られ、HPの尽きたギルドマスターたちが消えていく。
刀と数珠がかちあった。再びマサの足元から炎が巻き上がり、カナギの黒髪を飲み込んだ。
「またその刃は届かなかったようですね!」
「そうですね。“俺の刃”は」
「なっ……」
炎が盛れば盛るほど、彼の影は濃くなった。
センリはマサの背中を捉えた。呆然と振り返る彼の腹に、センリの刀が迫る。
「<刀神解放: クラオカミ>! 炎を消し飛ばせぇぇぇ!」
マサの姿がゆらめいた。<夢幻泡影>でダメージ軽減を図ったのだろう。
しかしそれでも、刃から溢れる影は止まらなかった。
黒い本流が彼の腹を突き破った。マサは一瞬だけ目を見開き、そっと血を吐き出す口を微笑ませた。
「僕は君が羨ましい。僕はずっと、母上との……家族との平和な日常を夢見たかった」
マサの微かに残ったHPは、血となって刀を流れ落ちていく。
「僕は三度、大切なものを燃やしました。家族、居場所、守るべき人……。僕がいなければ、きっと何事もなかった」
鍔に溜まった血が、センリの指に触れた。
温かい。この世界は血の温もりすら理解している。
「僕には、許してくれる人なんていないでしょう」
マサはそう言って笑った。
センリは、自分を兄の下へ送り届けてくれるのが、彼一人だけであることを思った。
センリ自身すら我儘で無益だと感じるその面会に、唯一付き合ってくれるのが彼なのだ。
「俺には兄さんを許す権利がある。そう言ってくれたよな」
センリはマサの苦しそうな笑みを見上げた。
「そんならマッさん、あなたも、あなた自身を許す権利がある。自分自身こそ、分かちがたい家族そのものやろ」
マサはその狐らしい目を見開いた。センリと同じ縦長の瞳孔が、揺れていた。
「自分を許すために戦い続ければええ。俺は俺の才能を許すために、未来の可能性を追いかけ続ける」
マサは細い息を吐いた。その肺が震えたのが、刀を通してセンリに伝わる。
やがて彼は瞳を閉じ、穏やかな声で言った。
「罪も、傷も……背負っていくと言うのですね」
そうだ。自分は罪であり、傷でもあるのだった。
カナギが傷によって刀を振るい、刀によって罪を背負ったように。
「ああ」
「そうですか……。やっぱり、僕は君が羨ましいです」
マサは軽口のようにそう言って、刀が腹を貫くのを厭わず、センリの肩をそっと抱いた。
そしてもたれるように口を寄せ、密やかに言う。
「この世界はドクターの——」
その言葉は明瞭にセンリの頭を打った。驚きを顔に出すのを抑えて、センリはマサが消えていくのをずっと眺めていた。
『試合終了。転移開始まで5、4、……』
—————
イベント直後、『仇花の宿』の屋敷にて畳の上に身を投げ出したセンリは、ごろごろと寝転がりながら思考を巡らせていた。
マサが伝えてくれた言葉。あれが真実だとするなら、ドクターの策を封じるのはほとんど不可能だ。
それならどうするべきだろう。課題解決が不可能ならば、別の課題を考えなくては。
そのとき、ふいに襖をさっと開く音がした。
「レーセネに着いたってさ。マサさんから連絡」
そっと顔を出したのはカナギだった。
今日は『マスカレード・ファミリア』の最後のログイン日らしい。
彼らは最後の挨拶回りをしているらしく、最後まで敵同士だった『仇花の宿』にも、顔を見せてくれることになっていた。
そしてカナギもまた、マガミとの長い話し合いを経て、今日を限りにギルドを辞めることになっている。
「ああ。ほんなら迎えに行くか」
そう言ってセンリは立ち上がり、カナギが浮かない顔をしているのに気づいた。
「どしたん。なんか心配事か?」
「いや……」
カナギは震える息を吐いた。そして俯きがちに、藤色の瞳を覗かせる。
「俺は結局、最高の使い手になれなかった。人を斬るのに躊躇うばかりで……試合でも、お前の力になれなかった」
センリは迷いなく彼に歩み寄り、その前髪をそっと払った。
「お前は最高の使い手やで。これまでも、これからも」
カナギの両目は数度瞬いて、すぐに嬉しそうに細められた。
センリはなんとなく照れくさくなって、ぱっと手を離して軽口を叩く。
「ま、俺自身は『仇花の宿』専属ってわけやないし。無所属になってからも贔屓にしてな」
「はは! 流石センリ。ちゃっかりしてる」
そしてカナギは、何か連絡が来たらしくきょとんとした顔をした。
「なんかマサさんたち、噴水のところで絡まれてるらしいぞ」
「絡まれてるって、誰に?」
「機械仕掛けのサーカス団っぽい人だって。セペルフォネから着いてきたらしい」
「ああ……」
その正体に見当がついたセンリは思わずため息を吐いた。
『マスカレード・ファミリア』という客を失いたくない『幻想遊劇団』の連中だろう。特にカーマのアトリエで会ったリルは、かなり粘ってきそうだ。
「『ゆきみの館』も来たらしくてすごい騒ぎになってるって……あ、ヨウからも連絡が」
「そこに俺らも行かなあかんの?」
「行くしかなさそうだ。ヨウが『なんとかしてください!』って言ってるし、ゴーズィが迷子になってるらしいし」
「それはいつも通りやん」
そんな会話をしながら縁側へ出ると、たしかにレーセネはいつもより騒がしかった。
噴水広場の上空に見事な氷華が描かれるのを眺めながら、センリとカナギは肩を並べて歩き出した。
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