057: 展延 -- 砂漠にて
渦巻いた風が竜の首を寸断した。竜の血をべっとりと被り浮遊するセンリは、その赤い液体が単なるエフェクトでないことに遅れて気が付く。
それがまとわりつく肌に微かな痛みが走った。そのせいだろうか、上手く力が入らない。
<腐食>。軽微な痛みとデバフを与える、全く見たことのない状態異常。
新しく生み出されるのは、スキルや武器だけじゃないのだ。
その事実をほとんど無理やり飲み下すように理解したセンリは、身体から血をぽたぽたと垂らしながら、恐々と後ろを振り返った。
首のない竜の死体が、ぼろぼろと溶けて崩れていく。
その背中には、にこりと笑ってお辞儀をする貞淑な女性がいた。
「ようやくお目にかかれました。センリさん」
ツインテールをなびかせる彼女は、そう言いながら蝶の仮面を外した。
どこか物憂げで、しかし幼くもある顔つき。
それは確かに、ブッファやセリアとの血縁を感じさせた。
「“マダム・バタフライ”……」
センリはすかさず刀を構え、警戒の姿勢を取る。
直後、センリはそれが悠長な態度だったと悟った。
肉が落ちていく竜の身体から、その身体を丸まる写し取ったかのような血の構造物が現れる。
“マダム・バタフライ”―ファーラは、その血管のような血の茨の上にしゃんと立ち、勝利を確信したような目つきでセンリを眺めていた。
センリが刀を振り下ろそうとした瞬間、血の群れから噴水のごとく血流が噴きあがった。それは蜘蛛の糸のようにセンリの身体を絡めとり、遥か上空へ、森も砂漠も遥か下方に見えるような高さへ、勢いよく運んでいく。
「まさか、この竜は俺を無力化するための罠か!」
『マスカレード・ファミリア』はどこまでも戦略で戦う相手だ。竜を呼び出して満足するような連中ではなかった。
ファーラがセンリを抑えている間にマサが他のプレイヤーを殲滅し、その後二人がかりでセンリを倒すという筋書きなのだろう。
眼下の砂漠で炎が巻き散らされていた。おそらくマサが放ったものだろう。
センリは磔にされた気分だった。身体には痺れるような痛みが走り、手足の先の方からだんだんと感覚が無くなってくる。
上空には太陽の光が満ちて、影はどこにもなかった。影を操るセンリの力も考慮に入れた作戦なのだ。
自分一人になった後、彼らとどう戦うか。センリが絶望しながら思考を始めたときだった。
黒い一閃が、絡む赤い糸を断ち切った。
―――――
マサの戦いぶりは、まさに変幻自在だった。
カナギが距離を詰めても刃は決して通らなかった。カーマの銃口が火を吹けば、彼は蜃気楼のようにすぐさまその姿を消した。
かといって逃げに徹しているわけでもなく、距離が空くと彼はすかさず炎魔法を展開した。
だからこそカナギは不毛だと知りながらも、魔法を撃たせる隙を作らせないためだけに、その懐に飛び込んでいくのだった。
「見て! 竜が……」
カーマの声を聞きカナギが森の方を見やると、センリが彗星のようにかけていった先で暴れる竜の首が弾け飛んだ。
あれがセンリの本気なのか。
カナギが思わず足を止めて見入っていると、それを戒めるようにマサの刀が肉薄した。
「戦場でよそ見とは、随分と余裕ですね?」
「くっ……」
ほとんど反射で刀を振り、カナギは刃をなんとかいなした。マサが飛び退いた瞬間、カーマの銃声が響き渡る。
広大な砂漠の中一人着地したマサは、刀を構えるでも魔法を詠唱するでもなく、ただ微笑んで言った。
「センリくんはまさに飛んで火に入る夏の虫。今や虫籠の中の哀れな蝶ですね」
カナギは目を見開いた。そしてセンリの無事を祈るような気持ちで、すぐに森の方を見た。
「センリ!」
思わず叫んだその声すら届かないであろうずっと空高くに、一切動かなくなった彼の姿があった。
その身体は赤い茨に縛り付けられ、まるで裁かれる罪人のようだった。
カナギは迷わず刀を構えた。
「<展延>——」
それを振りかざすと同時に、身体から力が抜けていく感覚がした。
この一撃に、魂を乗せているのだと実感した。
<刀神解放>と<展延>が合わさった妖刀は、その刃から影をほとばしらせ、空間を切り裂くかのような斬撃を放った。
目視できる範囲なら、この刃は届く。
目に止まった人ぐらいは守れるようになりたいという、カナギの切実な思いがこもった一撃は、センリを縛る赤い鎖を完膚なきまでにへし折った。
空を貫く赤い線が解けていき自由の身になったセンリが、こちらへ向かってこようとするのが見えた。
やがて空はぐるりと後ろへ回って、カナギの視界には砂ばかりが広がった。
もう体力の限界だった。
足で踏ん張ることもできず、振り下ろした刀をそのままに、カナギの身体は倒れていった。
「<命を運ぶ弾丸>は、命を奪うだけじゃない」
カーマがそう呟いた。
「カーマ! 一体何を——」
遠くからセンリの声が聞こえてきた。
続けて銃声。
カナギは、自分が撃たれたことを悟った。
しかし身体中に広がっていったのは、弾丸の熱にしては穏やかな温もりだった。
地面にぶつかる寸前、カナギは手をついて跳び、宙を舞って足から砂に着地した。その横にセンリが舞い降りて言う。
「カナギ! 大丈夫か!?」
「ああ」
ほとんど空になっていたカナギのHPは、すっかり全快している。
それを不思議に思う間もなく、どさっと何かが倒れる音がした。
「後は頼んだよ。あたしじゃきっと、無理だからさ……」
倒れ伏していたのはカーマだった。その身体に巻きつく弾倉が白い光を放って消えていき、彼女自身の身体も粒子となって空へ溶けていった。
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