056: 罪咎 -- 砂漠にて

―――――


 センリもまた、焦りを抱えていた。

 森の戦況は深刻に見えた。暴れる竜の周りには氷のようなきらめきがあちこち輝いていたが、それが大した傷を付けられていないのは遠くから見ても明らかだった。

 早く向こうへ合流しなければ。しかし目の前の敵は、そう簡単に倒せるものではなかった。


「ええんですか? こんなところで油を売って」


 『マスカレード・ファミリア』のメイドに扮していたマサは、すっかり京都弁の混じる口調に戻ってそう言った。


「あの竜を倒せるんは、あなただけやと思いますけど。ねえ、センリくん」


 センリは答えず手足の影を解き、手中に現した黒い刀を翻す。


「<刀神解放: クラオカミ>」


 動じた様子も見せずマサはただその刀で、影のほとばしる刃を受け止めた。


「駄目じゃないですか。対話の否定は知性を捨てるということですよ」


 マサは戦火の中にいるというのに、ただ歴史を俯瞰して眺めているような、そんな穏やかな声でセンリを諭した。

 その隙を逃さず切り込んだカナギは、マサの背後から刀を振り下ろし、驚愕の一声を上げる。


「なっ……今、入ったはずじゃ!?」

「ふふ、見事な一撃でした」


 マサはほのかに笑みを浮かべ、センリを弾いたそのままの勢いで刀をカナギに振りかぶった。

 【妖刀クラミツハ】の力で加速したカナギはなんとか刃を避けたものの、その動きはかなりの動転を感じさせた。

 それもそのはず。確かに入ったカナギの一刀は、マサのHPを微かに減らしただけだったのだ。


「なんやマッさん。チートはあかんで」

「そんな冒涜はしませんよ」


 カナギの側へ着地したセンリは、重い空気をなんとかするために、あえてふざけてみせた。普段通りの軽口のように答えるマサは、しかしその剣呑な空気を和らげることはなかった。

 じゃあどうして、とセンリが問おうとしたとき、森の方がにわかに明るくなった。見るとその木々が火を吹き上げ、竜を取り囲むように煙の柱を生じている。

 センリははっと目を見開いた。その黒煙をかき分けるように、金色の輝きがこちらへ向かってきていた。


「これは僕のスキルです。パラメータを弄れるんですよ。もちろん、制限はありますが」


 それを聞いたカナギは、合点がいったように声を漏らす。


「ああ、つまり、常にパラメータを調整することで攻撃力、防御力、行動の速さすらも両立させているのか……」

「ええ。結構難しいんですよ? シンプルな効果だからこそ熟練の技が光るというもの。あなたが発現したスキル、<展延>と同じですね」


 カナギとマサが向かい合わせにそう語っていると、上空から突然声が降ってきた。


「それならさあ、あたしの弾丸は効くってことだよね!?」


 空から勢いよく飛び降りてきたのは、重々しい銃を両手に携えたカーマだった。


「<命を運ぶ弾丸クーゲル・デス・レーベンス>!」


 彼女がそう叫ぶと、心臓の辺りから勢いよく弾倉が生え、空高く連なっていく。そしてそれらが翼のように背中に接続されると、カーマは二つの銃口をマサに向け、ためらいなく引き金を引いた。


「そうか、固定ダメージなら……!」


 センリはそう期待したが、マサは余裕のある微笑みを見せた。その面影が残るほどの速さで真上へ跳んだマサは、空で身を躍らせながら周囲に火の玉を浮かべて一斉に放つ。


「まずい……!」

「“星とは神の言葉、魔法とは神の模倣。星の怒りは沈黙の中に、人の罪科は沈黙の中へ”」


 センリたちが慌てて炎球から逃れようとした瞬間、クーシーの詠唱が空から聞こえてきた。火の玉は一つ残らずかき消えて、着地したマサは少し残念そうにしてみせる。


「クーシー!」


 カーマが叫んだ。MPを使い果たしてしまったらしく、浮力を失ったクーシーが空から落ちてきた。

 それでも彼女は冷静に、飛ぶことのできない羽を用済みだと言いたげに引きちぎった。


「<変貌せよモーフ妖精女王の覚醒アウェイクン・ティターニア>」


 黄金のきらめきをたなびかせながら落ちる彼女に、カーマは銃を振り捨ててでも駆けつけようとした。

 その衝動的な行動を制止するように、センリは急いで声をかける。


「俺が行く! マッさんを抑えといて!」

「……分かった!」


 感情を飲み込んだらしいカーマの返答を背中にセンリは駆けた。そして足に影をまとい、黒豹の跳躍で空中のクーシーを抱き留める。


「ありがとうございます」


 手の中のクーシーは、全く動じた様子を見せなかった。視線を戦場へ走らせ、筆で何を描くべきか考え始めているようだ。


「こうなるって予想しとったやろ」

「ええ。あなたならこうするだろうと思っていました」

「全く。あんま危ないことをするとカーマが暴れるから気ぃつけや。おかげさんで助かったけど」


 クーシーを無事に地上へ下すと、カーマが待ち焦がれていたようにクーシーの元へ駆け寄ってきた。そして無事を確認した後、センリの方を向き直って言う。


「お兄ちゃん。もうお兄ちゃんが行くしかないよ。あの竜のところに。そうしたくないのは分かるんだけど」


 顔をしかめるセンリに、カーマは言いづらそうに言葉を重ねた。


「きっとマサ兄の狙いはそれなんだ。お兄ちゃんにあの竜をぶつけるためだけに、この舞台を用意したんだよ」


 そう言いながらカーマは銃に火を吹かせた。

 カナギと鍔迫り合いをしていたマサは、銃弾を認めた瞬間その姿を揺らめかせた。そして避けるついでと言わんばかりに、いつの間にかセンリたちの傍に笑顔で佇んでいた


「カーマちゃんの言う通りです。僕が本当に欲しかったデータはカナギくんのものじゃない」


 センリは息を詰まらせた。敵意のない手がポンと肩に置かれた。それだけで身がすくんで、動けなくなりそうだった。


「さあ、僕に見せてください。罪悪感の牢獄から飛び立つ姿を!」


 利用されていたのはカナギの方だったのか。

 カナギの才能を再び開花させるために、自分は友人という役割を与えられたのだと思っていた。

 しかしそれは逆だったのだ。

 センリの兄が起こした事件。その罪の清算をし、センリの才能を縛る鎖を断ち切るための刀。それがカナギなのだ。


「お兄ちゃん!」


 銃声が響き、センリは我に返った。ふと横を見ると、カーマが必死の形相で呼びかけている。


「もうお兄ちゃんしかいないの! お願い! あの竜を止めて!」


 銃口を向けられたマサは、少し首を傾げてくすくすと笑っている。その髪がひらひらと舞っているのは、カーマの銃弾が起こした風のせいだろう。


「センリ!」


 そこに飛び込んできたのは、黒髪をなびかせるカナギだった。刀と刀が打ち合う音が響いた。

 二人の剣士は同時に飛び退り、同じ動きで刀を構え直した。


「俺を救ってくれるんだろ、センリ」


 彼はそう言って、ちらりとこちらを振り返った。藤色の瞳がセンリを捉えた。


「俺は、お前と過ごす平穏な日常が楽しかったよ。その真意がなんであったとしても、それは間違いなく、俺にとって救いだった。だから……」


 カナギはにっと笑った。センリと出会ったばかりの彼とは違う、心の底からの笑みだった。


「早くこの戦いを終わらせて、日常に戻らせてくれよ」


 彼にとっては他愛ない頼み事だったのかもしれない。しかしその言葉は、センリの覚悟に火をつけた。


「……ああ、せやな。そんならぱぱっと終わらせてくるか」


 センリはそう言いながら数歩歩いて、カナギたちを背後に森を見上げた。

 これをするのは、できることなら避けたかった。

 センリは刀を持たない左手に影をまとわりつかせた。その指先が豹の爪を伸ばしていくのを見て、深く息を吸う。

 嘆くように顔を覆い、その爪を突き立てる。流れる血に影が混じり、開かれた左目を覆っていく。


「俺の目が欲しかったんやろ。……<召喚:イチモクレン>」


 突如、風が激しく吹き上げた。砂塵がぐるぐると舞った。

 腕の影は散るように消えていき薄緑の鱗がその下から現れる。左目から流れる血は影と混じって固まり、眼帯となって結ばれた。

 一目連。それは鍛冶の神とされる、片目が潰れた風龍の名。

 まさに暴風そのもの。その力を身に宿したセンリは鼓動すらも狂い、溺れた人のように荒い息を吐き出した。

 思い出した。

 自分が背負う罪。

 それは兄を殴る父の腕、兄を責める母の声、そして兄を助けずに、ただ傍観する自分の瞳だ。

 今まで思い出すことを禁じていた記憶が、洪水となってセンリを押し流そうとする。

 しかし、カナギが思い出させてくれた誓いが、与えてくれた絆が、センリの行くべき道を指し示してくれた。

 センリは砂を蹴り飛び上がった。風がその身体をどこまでも連れていく。

 猫のビースト。伝令を使命とする天使の身体は、のびやかに空を駆けた。


「お前の力も借りるで。<刀神解放:クラオカミ>!」


 視界に腐竜を捉え、センリは愛を籠めて詠唱する。瞬間、黒い刀から影が吹き上がる。

 突風となったセンリの一撃は、何よりも鋭く、腐竜の首を突き破った。

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