055: 退場 -- 森にて
炎の渦が濡れた草葉の上を滑らかに動き回り、あっという間に辺り一面が燃え盛った。すぐさま逃げようとする道化師を、ヨウが茨ごと抱えるようにぐっと引き寄せる。
もうヨウも、そして炎の主であるコウ自身にも逃げ場はなかった。
ならば、この少年だけはここで一緒に死んでもらう。姉弟の心がようやく重なり合った瞬間だった。
「ねえ君。名前……たしかブッファだったっけ。カナギさんからちょっと聞いたことがあるよ。面白い戦い方をする子だって」
ヨウは身体のあちこちに刺さる赤い棘を気にせず、仮面の少年に語り掛ける。するとブッファというその少年は諦めたように足掻くのを止め、ヨウにその仮面を向けた。
「カナギを知ってるの?」
「うん。カナギさんは俺に刀を教えてくれた人だよ。いろんな大切なことも」
そこでヨウはちらりと姉を見上げ、その相変わらず気難しそうにしかめられた顔から、彼女の機嫌がそこまで悪くはないことを読み取って続けた。
「で、その話を聞いたときからずっと聞きたかったんだけど……。どうすればそんなに仲の良い家族になれるの?」
「何変なこと聞いてるのよ」
「あてっ」
いよいよヨウが本題を切り出すと、コウは呆れたような調子でヨウの頭を軽くはたいた。
ブッファは悩むように首を傾げてしばらく黙った。考え事に集中しているのか、茨が徐々にその形を失ってぽたぽたと垂れていく。
炎はいよいよ森の木にも燃え移り、ちょっとした山火事のようだ。火の粉がちくちくとヨウの肌を刺し、息がだんだん苦しくなってくる。
「……僕たちの家には悪魔がいたんだ」
ふと、ブッファがそう語り始めた。そのHPゲージはじりじりと減少を始めている。
「悪魔はママのことが好きだったけど、僕たち子供のことは嫌いだったんだ。僕たちは何もしなくても痛いことをされた」
ヨウは家庭の事情に土足で入り込むような、そんな質問をしてしまった己の無知を後悔した。しかし口の中はすっかり乾き、彼の話を止める言葉すらも吐けなかった。
「ママは僕たち二人をその悪魔の家から連れ出してくれた。ママは何回も謝って、僕たちはその度にいいよって言った。三人で平和に暮らせると思った。……でも」
ブッファは道化師の仮面を愛着のある様子で撫でた。そうしないと言葉が出てこないのかもしれなかった。
「今度は僕に悪魔が取り憑いたんだ。僕は痛くないと気がすまなくなって、壁を叩いたり、頭を打ったりした。……セリアが僕と一緒に戦ってくれるのは、僕のことを自分の責任だと思ってるからだよ。僕が僕自身を傷つけるのを止めるために、一緒になって誰かを傷つけてくれるんだ」
ブッファの声はどんどんと掠れて、息切れも激しくなっていった。
ヨウもまた、頭がどんどん重くなるのを感じていた。隣のコウが立っていられなくなったのか、ヨウの隣にそっと座り込む。
「薄々気づいてた。僕は演じてるだけなんだって。殴られても蹴られてもへっちゃらだって、ずっと嘘をつき続けてた。でももう、演じてる間に、元の自分がどんなだったか……忘れちゃった」
苦しそうな声だった。いてもたってもいられなくなったヨウは、煙を吸い込むのも厭わず口を開いた。
「新しい自分を見つけに行けばいい。昔の自分を思い出す必要なんて無いよ」
横でコウが身じろいだ気がした。
「でも、もし今の僕が思い返すことを辞めたら、昔の僕は一体どこへ行くの?」
「どこにも行かないと思うよ。ずっと付いてくるんじゃないかな」
ヨウはそう言いながら、自分の面倒を見てくれていた皆の顔を思い出していた。
センリもカナギも、マガミやゴーズィだって、どこか影のある顔をしていた。過去の亡霊がずっと付き纏っているような、そんな暗さだ。
それでも彼らは俯かず、覚悟の宿った眼差しでひたすら前を見つめていた。きっとそれが、過去を積み重ねて大人になるということなんだろうと、ヨウは幼いながらに感づいていた。
「背負えるときになったら背負ってあげればいいんだと思う。どうせ向こうは付いてくるんだし」
「……そっか」
ブッファがそう呟いたと同時に、彼のHPは底をついた。道化師の仮面が舞うように宙へ消えていった。
一瞬だけ見えた彼の素顔は、切なく笑っているように思えた。
「ヨウ。いつか私が、あんたのことを背負ってあげる」
「何言ってんの。俺が姉ちゃんを背負う方が早いよ」
「はあ? 私の方が強いっての」
いつもの口論が、とても嬉しく思えた。
炎とは違う温もりを胸の中に感じながら、ヨウは消えていく意識に身を任せた。
―――――
チームメイトの消滅を知らせるログが表示される。歯噛みをするスピネラには、笑顔を浮かべる余裕すらなかった。
「愛しい子たちを失ったようですね。お互いに」
腐り落ちた竜に腰掛け、ファーラは優雅にその二つに結った髪をたなびかせた。
その済ました女に辿り着こうにも、タランタシオの鱗が次々剥がれていくせいで登ることができない。
「あなたの愛と私たちの愛を一緒にしないでくれる? <鏤氷>!」
スピネラは刀を消し、蝶を模した羽を背中から伸ばす。すかさずそこに飛沫が飛んでくるが、間一髪スピネラは飛び立った。
MPの残量は心許ない。さらに魔法の使いすぎで、だんだんと思考がぼやけてくるのを感じる。
「スピネラ!」
ゴーズィの一声ではっと意識を取り戻したスピネラは、その一瞬でやるべきことを認識し、ありったけの力を振り絞った。
「<氷盾>!」
瞬間、そばの木々から水平の方向に氷の盾が生え出した。それらをゴーズィは次々踏み砕いて駆け上がる。
「<
ゴーズィが重力のままに繰り出したその一撃を、迎えるように竜は口を大きく開いた。
確かな手応えはあった。
牙と刃がぶつかる、重たい音が木霊した。
しかし、竜は痛みを感じる素振りを見せず、ただ口を閉じて騎士をその牙の間に捕らえた。
「ゴーズィ!」
スピネラが呼びかけても、ゴーズィは返事をしなかった。そのHPは赤い液体のせいかじわじわとすり減っていて、スピネラは何もできないまま、ただ焦りを募らせた。
「そろそろ幕切れにいたしましょう」
ファーラが静かに、しかしどこか高らかな響きでそう告げた。
竜はその人魚のような尾を空高く持ち上げ、羽虫を潰すようにスピネラ目掛けて叩きつけた。まるで癇癪を起こした子供のような動きだった。
ひたすら空を舞いながら、スピネラは死を覚悟する。
そのとき、鋭い風が突き抜けた。
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