054: 烈火 -- 森にて

 森がみるみるうちに血に染まっていくのを、カーマとクーシーは上空から眺めていた。

 まるで怒れる森神だった。しかし水死体のような鱗は苔よりも汚らしく、血と混じってヘドロのようにどろどろと垂れている。

 その両腕の付け根から伸びる翼は水かきのような質感で、それがだんだんと広がっていく様子は、飛び立つ寸前の蝶のようだった。


「いいなー、ネクロマンサー」

「まさか気に入ったの? あのモンスターを」

「うん。ちょっと同情しちゃうから」


 カーマは自分の感性が歪んでいることを知っていた。だから他人の前では猫を被り、自分の好悪について喋ることはない。

 でもクーシーだけは、カーマと共鳴してくれる。だからカーマは、クーシーの腕を安らかに掴んでいられるのだ。


「そうだね。たしかに、同情だ」


 カーマの頭の上で、クーシーがぽつりと呟いた。


「膿んだ傷みたいな姿。それでも翼を広げようとしてる。それは、素晴らしいこと。私も……そうでありたい」


 カーマはふっと笑みを浮かべた。自分を空へと連れて行ってくれる、クーシーの腕をしっかりと握りしめた。


「ねえ、クーシー。お兄ちゃんはヴァルハラの連中と合流しろって言ってたけどさ、もう森がこんなことになっちゃったし、あたしたちもお兄ちゃんのとこへ行くべきだと思うんだよね」

「分かった。砂漠へこのまま行こう」

「話がはやーい! 最高!」


 だんだんと後ろへ流れていく森の景色を見下ろしたカーマは、声を少し緩めてそっと語り掛けた。


「いつもありがと。クーシー」

「急にどうしたの」

「えへ、言いたくなっただけー!」


 手の中に感じる温もり。それが本当に命となる日が来ることを、カーマは知っていた。

 失いたくない。失ってみたい。その気持ちの間で揺れ動く心のままに、カーマは宙ぶらりんの感覚を楽しんだ。


―――――


 足元にだんだん血が流れてくるのを、ヨウは不気味に思いながらも懸命に駆けた。そうしてたどり着いた場所に広がっていたのは、より凄惨な光景だった。

 森というよりも沼地と言った方が良いほどに、辺りはぬめぬめとした湿気に包まれている。

 その上どことなく不快な臭いが充満し、赤い飛沫がついた足がヒリヒリとしてくるのも相まって、ヨウは顔をしかめずにはいられなかった。


「二人とも! 大丈夫か!?」


 さらに後方からゴーズィが走ってくる。その声を聞いて、木の影に座り込んでいた二人の魔女が振り向いた。


「さいっこうの気分だわ! 未知との遭遇、既知との再会! 学びが深まっていくのを感じるときが一番楽しいもの!」


 スピネラは赤い血がべっとりとついた氷の盾を崩して笑った。それを見るコウは、尊敬と呆れが混ざったような顔をしている。


「でも、はしゃいでる場合じゃ無さそうね。私たちにドラゴンスレイヤーが務まるかしら」

「俺たちがすべきことはあれを迅速に抑えることだけだ。いけるな、スピネラ」

「流石、死にたがりのヴァルハラの戦士ね! 仕方ないから付き合ってあげる!」


 ゴーズィが進み出ると、スピネラは笑いながらばっと立ち上がった。そうして揃って手を掲げ、風格を漂わせながら各々の武器を握る。


「<変貌せよモーフ>!」

「<鏤氷フローズン・アート>!」


 ゴーズィの盾は重々しい音を立てながら巨大な斧となる。一方スピネラが生み出したのは、美しい氷の刀だった。


「さあ、切り込むわよ!」


 スピネラの声を契機に、二人は息の合った様子で駆け出した。

 ファーラを乗せた竜は翼を暴れさせ、赤い飛沫を飛ばした。しかしスピネラは刀を棍のように巧みに使い、それらの弾を避けていく。


「すごい……あんな動き、想像したこともなかった」

「でしょ? スピネラさんはすごいのよ。どんな動きもすぐ真似して自分のものにできるんだから」


 ヨウの溢した呟きを拾い、コウが自慢げにそう言った。

 カナギさんもこう戦うだろうか。ヨウはそんなことを思いながら、スピネラの動きを目で追っていた。


「あんたんとこのギルドマスターもすごいじゃん。ただの盾役かと思ってたけど、攻守の切り替えが手慣れてるし、あれだけ攻撃を食らって動ける精神力も相当ね」


 それが姉なりの歩み寄りだと気付いたヨウは、一瞬呆気に取られた後、嬉しさの余り早口になって語った。


「で、でしょ!? 普段はちょっと抜けてるんだけど、戦闘のときは味方のことを引っ張ってくれて、すごい頼りになるんだ。俺もあんな感じに戦えたらなあって……」


 そのとき、どこからかぱしゃぱしゃと水音が聞こえてヨウは口を噤んだ。水たまりをはしゃいで渡る子供のような足音だ。

 その正体に気づいたヨウははっとして、コウの身体を勢いよく突き飛ばした。


「え……?」


 目を見開いたコウが、血に塗れて赤い水の中へ倒れていくのを見た。

いや。彼女についていたのは、自分の返り血だ。


「痛い? 痛いでしょ!?」


 目の前でそう叫ぶのは道化師の仮面だった。彼がぐっと押し付ける鎌の先は、ヨウの腹に深々と突き刺さっている。

 赤い液体を頭から被っている彼は全身にひりつく痛みを感じているはずだ。しかし、彼はむしろそれが心地いいとでも言うかのように高笑いを繰り返していた。


「痛い? 痛いかって……?」


 ヨウは痛む腹を震えさせ、無理やり声を押し出した。そして片手を鎌にかけ、手から血が噴き出るのも構わずぐっと刃を掴む。

 もうHPに余裕はなかった。きっと自分はここで倒れてしまう。

 それでも足掻く。仲間のために、最後の最後まで。

 それこそ、ヨウがゴーズィの背中を見て学んだことだった。そしてヨウの背中を押してくれた、カナギが望んだ信念だった。


「痛いとか痛くないとか関係ない……! 今やらなきゃいけないことをやるだけだ!」


 ヨウはそう叫んで、刃をぐっと握りしめた。手の中からぱきぱきと音がした。


「……は?」


 道化師の少年は呆れたような声を出した。その目の前でヨウが掲げた手の中から、鎌の刃だった金属がぼろぼろと零れていく。


「残念。もう耐久値が無いみたいだね」

「嘘だ! そんなのありえない!」

「知らないの? 俺たち狼のビーストは、なんでも壊すのが得意なんだ」


 それを教えてくれたのはマガミだった。

 以前カナギと稽古をしていたときに、誤って屋敷の障子を壊したことがある。そのときマガミから注意を受けると同時に、狼のビーストが持つ強い腕力を生かす戦い方を教えてもらったのだ。

 ヨウは腹に残った鎌の先端を引き抜いて捨てた。そして流れる血をそのままに、刀を構えて振り上げた。


「そんなの……そんなのずるい! 壊されたこともないくせに! 壊れるまで痛いことをされたこともないくせに!」


 道化師が悲鳴を上げた。その瞬間、彼の身体のあちこちから赤い茨が生え出した。


「な、何だこれ!」

「ヨウ!」


 まるで彼の半身、先ほど血の池に沈んだ少年が使う魔法を受け継いだかのようだった。その茨がまとわりつくと、まるで痺れるような痛みがヨウの身体を襲った。


「姉ちゃん、逃げて!」

「……あんたを置いて逃げれるかっての! <氷雨>!」


 コウが氷柱を召喚し、少年へぶつける。しかし彼の身体に生じた傷から、また新しい茨が現れた。


「あはは! 傷が僕の味方なんだよ!」


 そう哄笑する少年に、コウが険しい顔で尋ねた。


「これ、あんたのスキルなの?」

「そう! 傷口から出てくる血を好きに動かすことができるんだ! それで、痛ければ痛いほど威力が上がるんだって! だから、痛いのは僕にとって良いことなんだよ!」

「そう。じゃあ、一撃で終わらせればいいのね」


 コウは強がるようににやりと笑った。その金の瞳が、炎のように燃え上がる。


「“陽炎の 小野の草葉の もゆるとも 火の穂は尽きぬ 燃ゆる思ひも”――<火群>」


 瞬間彼女の足元から、一気に炎が噴きあがった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る