053: 対話 -- 砂漠にて

―――――


 足場は悪く、視界も不明瞭。砂の匂いが立ち込め、肌を焼くような太陽の光が辺り一面に降りかかっている。

 動きにくいのは相手も同じだ。カナギはスズキを見据え、刀の切っ先をその狐面に向けた。


「いい目ですね。意志の強さを感じます」


 スズキはそう言いながら、応えるように刀を静かに構えた。

 ずいぶん手慣れている。今まで刀を交えた相手の中で最も手ごわい相手かもしれない。

 でも。


「一体何を隠しているんですか。だってあなたは……」

「それは言葉ではなく、刃で語った方が早いかもしれませんよ?」


 スズキが大きく踏み入るのを見て、カナギは刀を握る手に力を込めた。刃と刃が触れ合い、重い金属音を立てた。

 刀から手に伝わってくる重さの変化、それが相手の心の動きを伝えてくれる。いなすか、攻め込むか。無言の読み合いが始まった。

 次から次へと変化する戦略に、カナギは己の中の最適解をぶつける。それを気取ってスズキはまた変ずる。

 間違いない。この人は自分と同等、もしくはそれ以上の力量がある。

 カナギは即座に刀をはじき返し大きく跳んで距離を取った。読み合いを続ければ、集中力の差で負けると直感した。


「どうですか?」


 スズキは焦りを見せず、また刀を構えて静かにそう言った。


「どうして……」


 カナギは混乱を隠せずに溢した。スズキの狐面が、ふっと笑ったような気がした。


「”見る人もなき山里の桜花”」


 スズキが掠れた声でそうささやいた言葉を、カナギはゆっくりと飲み込みながら応えた。


「……”他の散りなむ後こそ咲かむ”」

「なんだか懐かしいですね。あなたとこの言葉を交わしたこと」


 スズキは頷いてそう言った。


「これはもともと、“他の散りなむ後ぞ咲かまし”という投げやりな短歌だったんです。それをマガミさんは意志のこもった言葉に変えた」


 カナギは唾を飲み込んだ。彼女の正体は、薄っすらと分かっていた。


「僕は彼のそういうところを尊敬しています。あなたと同じ、意志を貫くその強さを」


 そうして“彼”は狐面を外した。

 『仇花の宿』の謎多き協力者、マサ。相貌は変わっていても、何に対しても他人事のような、冷徹と表裏一体の淑やかさは変えられない。


「どうしてその実力を隠していたんですか。『仇花の宿』に協力するくらいなら、自らPKをしたほうが活躍できるでしょう」

「ああ、実力を隠していたわけやないんです。これも実験でして」


 マサは上品に小首を傾げてほほ笑んだ。箒で掃かれた落ち葉のような色合いの髪が、さらさらと砂に混じってなびいた。

 彼はそっと腕を上げ、とんと自身の頭に指の先を付けて言う。


「入れたんです。あなたのデータを」

「入れた……?」


 カナギは目を瞬かせた。マサは哀憫の笑みを深めて続けた。


「ニューラリンクによる脳コンピュータ・インターフェイス……脳にチップを直接埋め込み、それを介して脳とコンピュータを繋ぐ技術です。それにより僕は、データ化されたあなたの動作を完璧に再現できる」


 ニューラリンク。その技術はカナギも聞いたことがあった。

 脳にチップを埋め込むことで失われた感覚を取り戻すことができる。そう医者に提案されたのが、ニューラリンクと連動する義眼だった。

 手術のリスクと得られる効果を天秤にかけ、結局カナギはその施術を断った。その選択を間違いだったと思う気持ちはない。

 だが今のマサの発言は、カナギの十数年に及ぶ積み重ねをすべて否定するような代物だった。


「つまり、これからは誰もが俺の剣技を使える、ということですか」

「ええ。お辛いでしょうが、それが人類の進歩というものです」


 カナギは長い息を吐いた。

 この気持ちは嘘かもしれない。それでもカナギは、前を向いて笑ってみせた。


「全然。むしろほっとしました」

「え……」


 その返答が予想外だったらしく、マサは呆然として目を丸くした。

 初めて彼の人間らしい表情を見たかもしれない。そう思いながら刀を下ろし、カナギは口を開いた。


「俺は“剣道”を継承するためだけに生まれたんです。遺伝子、生育環境、俺を構成するありとあらゆる全てを、剣道を極めるためだけに……押し付けられる人生でした」


 剣道を始めとした伝統文化は、その継承者の減少に頭を悩ませていた。技術が発展し大衆娯楽が多様になると同時に、古い文化へ目を向ける人は減っていったのだ。

 その状況を危惧した大人たちが、計算づくで作った子供。それがカナギだった。


「それがあの事件をきっかけに終わってしまった。あの日のことは、永遠に俺を苛む呪縛みたいなもんです。でもそれは同時に、新しい人生の幕開けでもあった」


 カナギは握りしめた鞘の輪郭をなぞり、心の痛みを誤魔化した。

 あのとき受けた強烈な痛み、可能性が閉ざされていくことへの恐怖、あらゆる人からの失望の視線を、今でも忘れることができない。

 マサは虚ろな目でじっとカナギを見つめていた。まるでその視線の先に、他の誰かがいるかのようだった。


「だからデータという形で俺の技が保存されるなら、俺の生まれた意義は果たせたということでしょう。別に俺の苦労が水の泡になったなんて思いませんよ」

「そうですか……。カナギくんはやっぱり、芯の通った強い人ですね」


 ようやく元の調子を取り戻したマサは、悲し気な微笑みを浮かべた。


「僕も同じです。でも、だからこそ……とても眩しく見えますね」

「同じ……?」


 カナギが漠然と繰り返したときだった。

 マサの身体が蜃気楼のように揺らめいた。カナギがあっと思ったのも束の間、気づいたときには彼の刀が目の前まで差し迫っていた。

 防御も間に合わない。カナギは死を覚悟したが、直後その耳に届いたのは刃同士の交わる音だった。

 一つ結びの長髪が勢いよく舞った。まるで猫又のように二尾に割れたそれは、闇に溶け込む墨色だ。

 カナギの足元から伸びる影、そこから姿を現したセンリが、マサの刃を受け止めていた。


「カナギ、大丈夫か!?」

「センリ……!」


 マサを弾き飛ばして後ろへ跳躍し、センリはカナギの隣に着地した。並び立った友人を頼もしく思いながら、カナギもまた刀を握る。


「なあ、少し会話を聞いとったんやけど……もしかしてあれがマッさんか?」

「ああ」


 カナギのその答えを聞いたセンリは不可解そうに眉をひそめた。その口が少し噤まれるのを見て、彼が思考を巡らせ始めたのをカナギは感じ取った。


「困りましたねえ」


 ゆらりと立ち上がったマサは、その口ぶりとは裏腹に楽しそうな顔をしていた。


「でももう、賽は投げられました。守護者としての僕の役目は、これにてお仕舞いです」


 カナギとセンリがその真意を問う暇も無く、森の方からおどろおどろしい獣の咆哮が響いた。


「なんだ!?」

「まさか、この声は……」


 ばっとその方向を見ると、そこには森を覆い尽くすほどに巨大な塊があった。

 まるでゾンビのような緑色の表皮から、粘っこい動きで巨大な翼が広がっていく。伸ばした首の先には、だらだらと白い涎を垂らす爬虫類らしい頭部が見えた。


「センリ、あれが何か分かるのか?」


 カナギがそう問うと、薄緑の瞳孔を見開いたセンリは震える声で呟いた。


「あれはテイマー、そしてネクロマンサーが従えるモンスターの頂点……竜や」


―――――


「あれがファーラのドラゴンか」


 薄暗い小部屋の中、モニターを見つめながらドクターがぼそりとそう言った。車椅子代わりのアンデッドの腕に抱かれる彼女は、いつも通りだらりと身体を脱力させて壊れた人形のようだ。


「面白いな。あんな独特なやつは見たことねえ」


 その横に控えているのはマガミだった。まるで映画でも見ている調子で、ぱくぱくとホットドッグを食べている。


「タランタシオ。イタリアの地方に伝わる竜……。ああ、参照できるデータが少ないから独特な姿をしているのか」

「随分マイナーな奴なんだな」

「それだけ強い思いがあるんだろう。竜は使い手の信念を映す鏡だ」


 ドクターがそう言うとマガミは肩をすくめた。そして口に詰め込んだホットドッグを飲み込み、改めてドクターに問う。


「マサにあのデータを使わせて良かったのか? カナギが肯定的だったから良かったものの、データ収集が世間に露見したら問題になるぞ」

「そんな問題、今更誰が気にする」


 ドクターは心なしか語気を強めてそう言った。マガミは口の端のケチャップを舐めとりながら、横目でその様子を窺う。


「やっぱまだ怒ってんじゃねえか。感情を忘れたとか言ってたくせによ」

「そう言えばそうなるだろうと期待しただけだ。人間がそう簡単に、心というものから遊離できるとは思っていない」


 ドクターはため息を吐いた。そしてそのまま、血を感じさせないほどに白い足をゆっくりと動かし、そっと床へ降り立つ。

 白い髪がアンデッドの身体を撫でるように滑り降り、床の上へぱさりと落ちた。役目を終えた従者はどろどろと溶け、床から染み出してあるべき場所へ還っていく。

 貧血の患者のようによろよろと歩きながら、彼女は口を開いた。


「ずっと思ってしまうのだ。なぜこいつらは、なぜ私は生きて……あいつやお前のような奴が、死んでしまったのだろうかと」


 戦うプレイヤーたちを映すモニターに手をぺたりと付け、ドクターは振り返った。その神聖なほどに白い容姿が、青白い光の中に浮かび上がる。

 部屋の暗がりに紛れるように立ち尽くすマガミは、自嘲するような笑みを浮かべて答えた。


「簡単な話だ。権力に逆らった奴から死ぬ」


 その簡潔な言葉に、ドクターは頷くように瞑目し、顔を背けてモニターを見つめた。

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