052: 生贄 -- 森にて

 姉のぎろりとした視線にヨウは足をすくませたが、すぐに奮起し駆けだした。


「<大車輪>!」


 刀を閃かせ、コウに群がるスケルトンを薙ぐ。

 コウは何か言いたげに口を歪ませたが、さっとヨウから視線を外し、スケルトンを鋭く睨んで唱えた。


「”心砕けと霰降るなり”。 <氷雨>!」


 魔法陣が宙に展開され、無数の氷柱が骨たちを襲う。コウの魔力はすさまじく、たった一つの魔法だけでスケルトンを一掃してしまった。

 氷と骨が砕ける音が響く中、ヨウはそっと姉の横顔を窺う。仏頂面だったが、この前のように烈火のごとく怒る様子はなかった。


「何よ」

「え、えっと……」


 視線に気づいたらしく、コウが険しい顔でヨウの方を向いた。

思わずヨウは視線を逸らしてどもってしまう。しかしすぐに意を決し、姉の顔を真正面から見つめ、勢いよく頭を下げた。


「あの、姉ちゃん。今までごめんなさい!」

「は? 急に何?」

「その、今まで謝れてなかったから……。許して欲しいわけじゃないんだけど……」


 頭を上げないまま、ヨウは震える声で続けた。

深々とため息を吐いたコウは、少し迷っているような間を開けて、暗い声で答えた。


「許すとか許さないとか、そんなの無い。私のことは全部私の責任よ。あんたが勝手に背負わなくてもいいの」


 その返答にヨウはおずおずと顔を上げた。コウは顔を背けて、その表情はよく見えなかった。


「今まであんたのこと遠ざけてて……ごめん。でもお願い。もうしばらく放っておいて」

「そっか……」


 どうして、とは聞かなかった。姉の迷いを尊重することが、今自分にできる精いっぱいのことなのだと、センリの言葉から学んだからだ。

 居心地の悪い沈黙が少し続いたのを気にしたのか、おずおずとゴーズィが二人の傍にやってきた。


「すまない。話は終わったか?」

「あ、ゴーズィさん。すみません、話し込んじゃって……」

「いやいいんだ。それより……君はたしか、『ゆきみの館』のメンバーだろう?」


 そう問われたコウは、じろりとゴーズィを見上げて答える。


「そうだけど」


 今にも飛び掛かっていきそうなほど、警戒の色が強い声だった。

 ゴーズィはそんな彼女を押しとどめるように、空の手を上げて敵意がないことを示しながら続けた。


「少し聞きたいんだが、スピネラはどうした?」

「スピネラさんならネクロマンサーと戦ってるわ。私は雑魚狩りを任されたの」

「何!?」


 ゴーズィが珍しく焦りを露わにして、ヨウは事態が切迫していることを知った。


「まずいぞ。双子に合流されると三対一になる! スピネラはどこだ!?」


 不可解そうに眉をひそめていたコウは、その言葉を聞いた途端に狐耳をピンと立て、弾かれたように駆け出した。


「何の話か分からないけど……とりあえずこっちよ!」


 そして彼女は振り返り、ヨウに向かって叫ぶ。


「何ぐずぐずしてるの! あんたも来なさい!」

「え、あ……うん!」


 緊急事態とはいえ、姉に頼られたことに嬉しくなったヨウは、つい明るい声で返事をしてしまった。

 それに気づいたらしくコウは眉をひそめたが、何も言わず赤茶の髪を翻した。

 きっとすぐに仲直りできる。ヨウはそんな希望で胸を暖かくしながら、姉の後をついて走った。


―――――


 失敗した。スピネラはそう反省しながら、しかし好戦的な表情を崩さずに氷の盾を構えた。

 ネクロマンサーやテイマーと交戦するときの基本は、プレイヤーと使役モンスターを可能な限り分断することだ。だからスピネラはコウと二手に分かれ、彼女にアンデッドたちの処理を任せた。

 しかしそれは完全に悪手だった。このチーム同士の連携が認められる戦場においては。


「守るだけなんてつまらないね、お姉ちゃん!」


 突然現れた仮面の少年たち。道化師を模した方が、鎌を振りかざして突っ込んでくる。


「<雷球>」

「<氷盾>!」


 スピネラは鎌を盾でなんとかいなし、もう一人の少年が放つ雷魔法をスキルで防御した。

 あの仮面は見たことがない。頭脳を表すかのように頭部へ向かって広がる独特な形。その装飾からいって、ヴェネチアンマスクの一種であることは間違いないだろう。


「あなたたち、同じギルドなの? トレードマークがあっていいわね。私も参考にさせてもらおうかしら」


 道化師が飛び退った隙に、スピネラは金髪を払って余裕を演出した。

 意図が読めない相手だ。迂闊に攻勢へ転じることはできない。なるべく引き延ばしてコウの合流を待つか、相手の尻尾を掴むかしたいところだった。


「これは実益も兼ねた趣味でしかありませんよ。私たちPKプレイヤーは、恨まれることが多いので」


 答えたのは、二人の少年の奥に控えるネクロマンサーだった。

 艶やかなパールのツインテールをなびかせ、淑やかに立ち尽くす女性。彼女はあどけない少女のようでありながら、壮年の女性らしいくたびれた雰囲気も持ち合わせ、まるで使い捨てられた人形のようだ。

 ただ家族との絆のみを拠り所にする彼女は、森羅万象に好奇を注ぐスピネラとは対照的だ。


「名前もセンスがあるわよね。ブッファとセリア……確か“喜劇”と“悲劇”でしょう? ファーラ、あなたの名前にも由来があるのかしら?」

「ファルファーラ、イタリア語で蝶を指す言葉から取りました。安直ですけど、可愛い響きで気に入ってます」


 静かに進行する会話を気に留めず、少年二人は攻撃の手を緩めなかった。氷の盾は徐々に削られていき、スピネラのMPも段々とすり減ってきている。

 コウには悪いけど、ここで死んでもいいかな。スピネラはそんなことを考えて笑顔を浮かべながら、ただ知的好奇心の赴くままに口を開いた。


「もしかしてオペラが好きなの? イタリア語で蝶といえば、『蝶々夫人』が有名だもの」

「よくご存知ですね」

「でもあれは悲惨な家族の話よね? ファミリアを名乗るなら、あんまり良い作品ではないと思うのだけど」

「だからこそ、ですよ」


 ファーラは両腕を広げた。ドレスがふわりとなびき、まるでモルフォ蝶が羽を広げたかのようだった。


「ここはトラウマを飲み込む世界。無意味で空しい悲惨な場面シーンも、ここでは便利な舞台装置デウス・エクス・マキナと化すのです」


 どこか恍惚とした彼女の仕草に、スピネラは一瞬呆気に取られた。その隙にとうとう鎌が盾を打ち抜き、スピネラははっとしたのも束の間、肩に雷球を食らって吹き飛ばされる。

 後ろの木に背中を打ち付けたスピネラは、痺れの残る腕を振るわせて、魔法陣を浮かべた。


「<氷盾>」


 木に背中をつけたままスピネラは氷の壁でその身を覆った。もう勝ち目はないと思ったが、最後まで足掻くつもりだった。

 空気がだんだんと冷えていくのを感じ、スピネラは大きく息を吸い込んだ。魔法の使い過ぎで痛む頭が、少し楽になった気がした。


「氷ごと撃ち抜きます」


 セリア――悲劇を冠する方の少年が、そう呟いて魔法陣を浮かべた。


「”心砕けと霰降るなり”! <氷雨>ぇええ!」


 その瞬間、背後の木立から必死な詠唱が響いた。

 影の中から放たれた氷柱が、スピネラの髪を巻き上げながら横を飛んでいき、雷の球を弾きながら少年の身体に突き刺さる。


「ああ、間に合ってしまい、ましたか……」


 ひびの入った仮面が、涙のようにボロボロと崩れていった。


「セリア!」


 ブッファ――喜劇の少年が悲痛に叫んだ。

 その道化師の仮面に手を伸ばすように、素顔を表したセリアは腕を空に投げ出し、背中から地面に落ちていく。


「でもこれが、僕の役目。そうだよね、ママ……」


 セリアは息も絶え絶えにそう呟いた。そっと彼の身体を抱き留めたファーラは、頷いて小さな剣を取り出す。


「そう。辛い役目を負わせて、ごめんね」


 そうして彼女は自分の首に剣を突き立てた。


「な……!?」


 走ってきたらしいコウが、スピネラの隣で立ち止まって声を漏らした。

 ファーラの首から鮮血がほとばしり、セリアの身体を濡らしていく。


「噂には聞いていたけど、本当にあったのね。真の生贄の儀式……」


 スピネラはそう呟いた。


「“血に濡れよ。幕を上げよ”――<召喚:タランタシオ>」


 瞬間、悲劇の親子を飲み込むように、森に血の池が広がった。

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