050: 哀傷 -- 砂漠にて

 ブッファの鎌を受け流しながら、カナギは横目でヨウたちの様子を窺った。


「大丈夫か、ヨウ!」

「すみません!」


 ゴーズィがその大剣で茨を斬ると、ぽてっと砂の上へ落ちたヨウは、まだ痺れが残っている様子でふらふらと立ち上がった。


「<清浄なる光>。これで動けるか?」

「ありがとうございます! ばっちりです!」


 ゴーズィの職業であるパラディンは、プリーストと同じ回復魔法を扱うことができる。MPも回復力もプリーストには劣るが、タンクとしての仕事と同時に仲間の支援を行うこともできるのだ。

 麻痺から回復し体力に余裕が出てきたらしいヨウは、ぴょんぴょんと身体の動きを確かめながら、再びセリアを見据えた。


「パラディンですか。……厄介ですね」


 セリアはため息交じりにそう言った。消耗戦に持ち込まれると不利なことを知っているのだろう。


「俺の盾を使え!」

「ありがとうございます!」


 ゴーズィが跪いて盾を地に着けると、それを踏み台にしてヨウは空高く飛んだ。


「<稲妻>」


 セリアは雷撃を空へ走らせたが、ヨウは空中で身をひねって一刀両断し、そのままセリアへ向けて落下の勢いのままに刃を突き立てた。


「<流星>!」

「ぐっ……」


 間一髪避けたセリアだったが、技の余波を浴びたらしくその身体をふらつかせた。

 それを見逃さなかったヨウはすかさず刀を翻し、仮面から伸びる喉元へ突き付けた。


「これで終わりだ――」


 カナギと交戦するブッファも苦しそうに息を荒げていた。しかし彼は痛む腹を庇うように立ち回りながら、自分から果敢に攻める姿勢を変えなかった。

 先ほど彼が溢した「カナギは違うもんね」という台詞。その悲痛な響きを聞いたせいか、カナギはブッファの繰り出す一撃に、自分の居場所をこじ開けるための穴を掘ろうとしているような切実さを感じた。


「楽しいか? 戦うことが」


 刀と鎌の打ち合いの最中、カナギはふと尋ねた。


「楽しいよ! この上なく!」


 ブッファは相変わらず底抜けに明るい声色で答えた。

 そしてまた打ち込まれる重い一撃をいなし、カナギはそっと居住まいを正して言った。


「そうか。俺はもう、楽しめなくなった」


 自分の声は思いの外暗く、まるで砂漠に沈み込んでいくかのように空気に溶けていった。

 それを聞いたブッファはぴたりと動きを止め、まじまじとカナギを見つめるようにその仮面を向けた。


「……え? 僕のこと、嫌いになっちゃったの?」

「違う。戦うこと自体が嫌になったんだ」

「なんで?」


 ブッファの純粋な問いかけに、カナギは自分をさらけ出す覚悟をして答えた。


「気付いてしまったんだ。誰かを傷つけたいと思う自分に」


 カナギは恐れていた。自分がいつか本当に、現実世界でも血が流れるのを求めるようになることを。

 人斬りの“カナギ”と平凡な大学生の“金木”が一度入り混じってしまえば、自分は恐ろしい夢を見続けるだろうと思ったのだ。

 熱がこもる砂漠は時が止まったかのように、しばらく静寂に包まれた。砂を含んだ風がブッファの姿を霞ませた。

 彼はゆっくりと下を向き、やがて絞り出したような声でカナギに尋ねた。


「誰かを傷つけることは、駄目なことなの?」

「そうしないで生きられるなら、そうでありたいだけだ」


 戦場に相応しい言葉ではないと、カナギはそう考えながらも続けた。


「傷つけること、傷つくこと。それらと無縁でいられる人なんていない。傷つけてしまうこと、傷ついてしまうこと。それらは仕方がない」


 カナギは真っすぐブッファを見つめた。彼がこの言葉を受け取ってくれることを一心に願った。


「だけどせめて、『傷つけたい』、『傷ついていたい』……そう思うことは止めたいんだ」


 ブッファは手を腿へとんとんと打ち付け始め、少ししてからようやくぼそりと呟いた。


「……ふうん。僕と同じ。でも僕と違うね」


 その意味を掴み切れずカナギが首を傾げると、ブッファは鎌を砂にそっと付け、言い聞かせるように語った。


「僕は楽しいよ? 傷つくのも、傷つけられるのも。楽しいのが一番でしょ?」

「それは……」


 カナギは否定できず言いよどんだ。

 実際カナギは、それに耽ってしまえばどんなに楽だろうかと、何度も何度もその享楽を味わおうとした。

 それでもカナギが踏みとどまっていられたのは、握りしめる刀が繋ぎ止めていてくれたからだった。

 あの事件に苦しみ続けるもう一人の存在。センリというかけがえのない友人に。


「ブッファ。お前の言葉は正しいと思う。でも俺は決めたんだ。嬉しさや楽しさだけじゃなくて、悲しみや苦しみも背負っていく。俺の親友が、ずっと昔からそうしてきたように」

「……何それ」


 ブッファは砂を巻き散らすように鎌をぐるんと構えて叫んだ。


「何それ何それ何それ! そんなに背負えるわけないじゃん! 僕はもう、精一杯なんだよ!」


 怒りのままに振りかざされる刃にカナギがぐっと構えたとき、ふいにどこからか観察されるような視線を感じた。

 このまま戦うのは危険だ。そう直感したカナギは刀の構えを解いて飛び退り、ブッファの鎌の先端は柔らかい砂へ打ち込まれた。


「何で逃げるの!」


 ブッファがそう声を荒げて鎌をまた振り上げたときだった。

 ばちばちと雷のはぜる音。それに続けてヨウの短い叫び声が聞こえた。


「ヨウ!」


 慌ててカナギがその方向を見ると、砂に尻もちをついたヨウが怯えたような顔をこちらに向けた。


「驚いただけです! でも、これはどうすれば……」


 その前には、タコのようにのたうち回る雷の茨の群れがあった。

 どうやらセリアは彼の身を守るために、彼を包み込む茨を展開したようだった。しかし彼にしては珍しいことに、勝ち誇ることもせず無言を貫いている。


「セリア!?」


 ブッファも予想外らしく、心配そうに叫びを上げた。


「まずいぞ。このままでは……」


 ゴーズィが低い声でそう呟いた。

 その真意を問おうとしたカナギは、また悪寒を感じてばっと視線を巡らせる。やがて見つけたのは、砂漠の蜃気楼にぽつんと浮かび上がる人影だった。

 クラシカルなメイド服。砂塵に紛れるような濃茶の長髪。そして熟練者が見れば即座にそうだと分かる、一切隙のない洗練された足運び。

 たおやかにこちらへ歩いてきた彼女は、余裕を感じさせる上品な調子で言った。


「ブッファ様、セリア様。よくぞご無事であられました」


 砂塵の中でも艶やかに輝くその狐面に、カナギは表情を険しくした。先ほどから感じていた嫌な予感の正体、それは間違いなくこの人だ。

 『マスカレード・ファミリア』のメイド、スズキと呼ばれる何者か。その目的が一体何なのか、カナギはまだ掴めていなかった。

 ますます緊張を高めるカナギとは裏腹に、ブッファは気の抜けた様子で鎌をだらりと降ろした。セリアも消えゆく茨の中からその姿を現したが、明らかに衰弱した様子で膝をついている。


「ごめんなさい。あんまり仕事できなかった」

「お気になさらないでください。少し無理をさせてしまいましたね。セリア様にも」


 狐面のメイドはそう言って、頭を抱えて動かないセリアをちらりと見やった。

そして戦場の重圧をものともせず、彼女は屋敷にいるときと変わらぬ穏やかさで、双子にそっと語りかけた。


「お二人とも、マダムがお呼びです。ここは私に任せて合流を急いでください」

「うん、分かった。じゃあね、カナギ」


 スズキの指示にブッファが素早く頷いてセリアを担ぎ、カナギを一瞬振り返りながら森の方角へと走り出した。

 その後を追いかけてすぐさまヨウが駆けた。


「あ、待て!」

「ゴーズィ、俺はいいからヨウと一緒にあの二人を追ってくれ」

「承知した。死ぬんじゃないぞ」


 ヨウに続き、ゴーズィも鎧を着こんだ身体でゆっくり走っていった。

 場に静けさが戻り、カナギは刀を握り直す。高まっていく緊張感に、もう二度と過ごすことのない鍛錬の日々を思い出した。

 そしてカナギは砂漠に残った狐面に問いかける。


「俺と一騎打ちをしにきたんでしょう。でなきゃあいつらを見逃すわけがない」


 スズキもまた、鈍い輝きの刀を抜き放って答えた。


「ええ。少し付き合ってもらいます」


 その刀の刃紋は、まるで炎のように揺らめいていた。

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