049: 焦燥 -- 森と砂漠にて

「新しい変貌武器……。そう。それもカーマという子の作品のようね」


 スピネラは鋭い瞳に好奇の光を宿らせて尋ねた。対するクーシーは腕から血を滴らせたまま、表情を変えずに応答する。


「これは変貌武器の試作品。完成された変貌武器は武器種も変化しますが、これは魔道具という扱いのままです」

「なるほど。まあ、そもそも魔導具は形態が多様だし、自由度が高いのかもね。魔道具について研究してみるのも面白そうだわ。それに血文字での詠唱……たしか生贄の儀式と言ったかしら?」

「私がそのように表現するだけです。そこに明確な定義などありません」


 まるでその問答は、古代から続く理論主義と経験主義の言論のようだった。

 創造性のあるがままに任せるクーシーと、再現性をどこまでも突き詰めるスピネラ。ここまで両極端な感性の衝突はかなり稀だろう。

 センリは話が長くなるのを直感し、森の中に猫たちを走らせた。これで木陰のある範囲に限り、周囲の戦況を把握することができる。


「生贄……」


 ぼそりとコウが呟いた。その苦々し気な顔は、単なる怒気で歪められたわけではなさそうだった。


「ふむ。大体予想がついたわ。血を用いることでHPにMPの代用をさせることが可能。あの文字列はたしかドイツ語だったと思うけど、わざわざそれを使ったのは、それが仲間にだけ伝わる符号になるから。合ってるかしら?」

「……驚きました。そこまで見破るとは」


 クーシーは相変わらず平坦なトーンでそう言った。全く表情にも変わったところがないが、恐らく本心からそう言っているのだろう。

 スピネラは満足そうにふっと笑うと、すぐにまた考え込むように手を顎に当て、クーシーを真っすぐに見ながら言った。


「ねえ。本当に生贄の儀式という言葉はあなたが編み出した表現なの?」

「何か心当たりがおありのようですね」

「ええ。私も生贄の儀式という言葉を聞いたことがあるの」


 言葉の応酬を聞きながら猫の視界に切り替えたセンリは、そこに映ったある人物を見て眉をひそめた。

 隙を見てカナギの方へ戻った方がいいかもしれない。しかし自分一人が戻っても大した力にならないことを考えると、クーシーたちに助力を頼んだほうが勝算はある。

 センリは瞼の上から左目を撫でた。

 生贄の儀式。それを使えば、自分一人でもカナギを助けられるだろう。しかしそれはセンリにとってこの上なく、危険で残酷な選択だった。


「レーセネの図書館で見つけた、この世界の神話……。そこには生贄についての記述が二つあった。一つは獣を贄とした人の強欲について。もう一つは贄の恨みから生まれ出た、人型の種族について……」


 スピネラが語るようにそう言ったとき、その言葉を継ぐようにして森の奥から声が響いてきた。


「『贄となった獣の恨みが形を成し、天使の姿を象った人間が生まれた。これをビーストと呼ぶ』」


 その到来を既に猫の目で見ていたセンリは、ただ薄目を開いて場の様子を俯瞰した。

 木陰の奥から現れたのは、白いドレス、褐色の肌、そして黄金の髪と機関銃。


「人がビーストを遠ざけるのは、それが彼らの罪そのものだから。その本質が天の使いだとしてもね」

「カーマ……」


 クーシーは表情を和らげて彼女の名を溢した。それに応えるかのようにカーマは、申し訳なさそうな微笑を一瞬クーシーに向けた。

 センリですら見たことのない、憂いを含んだ微笑みだった。

 しかしそれもすぐに掻き消え、いつものように好戦的な顔つきになったカーマは、黄金の銃を担いでただ楽しそうに叫んだ。


「さあて、ティタノマキアを始めるとしますか!」


―――――


 踏みしめる大地から緑がだんだんと消えていくのを感じ、カナギは自分が追い詰められていることを悟った。

 森とは逆の方向、そこにあるのは砂漠だ。影の少ないそこはセンリの助力を期待できない上、流れる砂に機動力を削がれてしまう。

 楽しそうに駆けまわるブッファの隙を見つつ森の方向へ戻ろうとしているものの、セリアが的確に茨を生やして移動を阻害してくる。MPの消費を抑えたいらしく、彼が大きな魔法を使ってこないことが唯一の救いだった。

 しかし、それも砂漠に追い込まれてしまった今、どうなるか分からない。

 カナギが焦る気持ちを抑えるように、歯を噛みしめたときだった。


「カナギさん、離れて! <展延>! <大車輪>!」


 上空から降ってきたのは、稲穂のように輝く金の毛並みだった。

 カナギが瞬時に飛び退ると、円を描くような衝撃波が辺り一帯に走り、ブッファの鎌が大きな音を立てて弾き飛ばされた。

 そうしてカナギを守るように双子との間に着地した彼は、小さな体躯を威風堂々とさせて刀を構えた。


「ヨウ!」

「助太刀に参りました!」


 思わぬ再会にカナギが息を呑むと、さらにその後ろからも声がかけられた、


「なんとか間に合ったようだな」

「ゴーズィ! お前まで……」

「気にすることはない。お前を生かしておきたいだけだ」


 カナギが振り向くと、そこにいたのは鎧を着こんだゴーズィだった。手には彼の背丈より少し小さいくらいの重厚な盾、そしてもう片方には盾よりもさらに巨大な剣があった。

 恐らく、彼の盾を踏み台にヨウがここまで跳んできたのだ。ゴーズィと何度も戦闘を共にしたカナギは、彼が文字通り他人の踏み台になることを厭わない性格であることを知っていた。


「三対二ですか。一気に不利になりましたね……」

「どうするー?」


 セリアの声には動揺が滲んでいた。しかし武器を失ったブッファは動じることなく、むしろさらに楽しそうな様子でセリアの言葉を待っていた。


「とりあえず、あなたは早く鎌を拾いに行ってください」

「分かった!」

「さてどうしましょう。一度退却するしかないようですが……」


 双子は明らかに隙を見せた。しかしカナギは動くことができず、ヨウが飛び掛かっていくのをただ見守るしかできなかった。

 彼らと戦う機会は、これで最後なのだ。いつものように自分が制するだけで良いのだろうか。

 それが自分を過信した傲慢な発想であることを、カナギは何よりも理解していた。実際、砂漠という不利なフィールドに追い込まれてしまったことは事実だ。

 それでも、ここで彼らの可能性を断ち切る覚悟はできなかった。

 頭の隅にずっとこびりついている、あの事件のとき目の前で死んでいった子供の姿がまた、カナギの視界に浮かび上がってきた。

 カナギはずっと考えていた。何十人何百人もののプレイヤーの命を奪いながら。命を奪うとはどういうことなのかを。

 それは可能性を殺すことだ。一つの未来を潰すということだ。カナギの右目が押し潰されてしまったように。


「カナギ!」


 ゴーズィが鋭く叫んだ。はっとカナギが意識を戻すと、目の前に迫った鎌をゴーズィが盾で防いだところだった。


「カナギさんのお弟子さんのようでしたから、もう少し強いのかと思っておりましたが。こんなものですか」

「くっ……麻痺さえなければ!」


 ヨウの方はセリアの茨に翻弄されているようだった。それでも彼は一生懸命に、少しでも牙を突き立てようともがいている。

 カナギは右手の刀をインベントリへ仕舞い、左手に持って補助に使っていた黒い短刀を真っすぐに構えた。

 センリが作ってくれた刀。その冷ややかな輝きに寄りかかるように、カナギはその柄をぐっと握りしめた。


「<展延>」


 カナギがそう唱えると、短刀は黒い刃を延ばして打刀へと変わった。それで本気と悟ったのか、ブッファもまた黒々とした鎌を構えて満面の笑みを浮かべた。


「ゴーズィ、俺はいいからヨウを頼む」

「分かった」


 ゴーズィが離れた途端、ブッファが鎌を振りかざして突っ込んできた。カナギは冷静にその動きを見極めて、さらにスキルを詠唱する。


「<刀神解放:クラミツハ>」


 刀から深海のように黒々とした水流が巻き起こった。

 スキルの効果によりSPDへのバフがかかったカナギは、柔らかい砂を巻き上げて距離を詰め、ブッファの鎌をさっと避けながらそのわき腹を切りつけた。

 浅い一撃。

 一瞬よろめいたブッファは、血がだんだんと染みる横腹を腕で押さえ、ゆっくりとカナギを振り返った。


「あれ? カナギ、もしかして手加減した?」

「……いや、この刀は威力が落ちるんだ。軽いから」


 カナギはそう言いながらも、ブッファの方が正しいと悟った。

 これ以上人を殺したくない。そんな感情が急に自分の中で膨らんでいくのをカナギは感じていた。


「そっかあ。良かったあ」


 ブッファはぐらりと身体を傾けながら、カナギの方へ向き直った。


「カナギは違うもんね。わざと手加減して、誰かをいじめて、喜ぶような人じゃないもんね」


 その道化師の仮面は、何か言いたげに噤んだ口を無理やり歪ませて、苦しそうな笑みをずっと浮かべていた。

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