048: 芸術 -- 森の空にて

 まるで母猫に運ばれる子猫みたいだ。大人しく運ばれるしかない自分の状況をそう自嘲しながら、センリは口を開いた。


「どこに連れてくつもりや? カーマの奴は?」

「カーマは向こうの山にいます。そこに連れていきます」


 センリが前方を眺めると、たしかに雪を被った険しい山脈があった。なんとなくキラキラとして見えるのは、雪が陽の光を反射しているというより、銃か魔法の光があちこちで明滅しているからのようだった。


「カーマから聞きました。あの双子のギルド、『マスカレード・ファミリア』には厄介な相手がいると。だから協力しましょう」

「協力? 俺とカナギを引き離しておいてよくそんなこと言えるな」

「あなたたち二人なら大丈夫だって、カーマは言っていました」

「いらん信頼やなあ……」


 眼下には森が広がっていた。その木々の隙間からも魔法の打ち合いらしい光が見えた。


「なあ、こんな目立つところ飛んどって大丈夫なんか?」

「空に干渉できる人は、今のところ私以外にいないはずです。この飛行能力はカーマ秘伝のレシピがないと……」


 クーシーはそこまで言って口を噤んだ。それもそのはず、ちょうど目の前にその反例が現れたからだ。

 森の中からすさまじいスピードで飛んできたその存在は、機嫌よく周囲を飛び回りながら気さくに話しかけてきた。


「空って空気が澄んでていいわね! このぐらいの涼しさのほうが、頭が冴えて良い気分だわ」


 透き通る羽を震わせる彼女は『ゆきみの館』のギルドマスター、スピネラだった。


「なんで、その羽を」

「なんでって……真似できたから?」


 震える声のクーシーに、スピネラは純粋そうな顔で首を傾げる。


「クーシー、相手はソーサラーや。空やと不利やで」

「分かりました。一旦着陸します」

「あら? 逃がすわけないじゃない」


 スピネラはそう言って手をかざし、魔法陣を眼前に浮かべた。


「<氷雨>!」

「<星の守り>」


 クーシーは高度を下げながら冷静に障壁を張った。それに氷柱が突き刺さり、障壁はひび割れて破壊される。


「耐えられちゃうか。それならこれはどう? ”心砕けと霰降るなり”――<氷雨>」

「“星は不変、我が守りは不朽”」


 先ほどよりもっと多くの氷柱が降り注いだが、クーシーが再び張った障壁はそれを見事に耐えきった。

 上空から見下ろすスピネラは、金髪を長くたなびかせながらにやりと笑った。


「へえ、祝詞を使えるのね」

「祝詞という呼称、いいですね。私は翻訳と呼んでいました」

「たしかに。あなたの場合は詠唱の代用みたいだから、翻訳のほうが合ってるかも」

「似てるけど、違う。ふふ。差異があるのは美しいことです」


 そのやり取りで何かを感じたらしく、二人は表情を緩めて笑い合った。恐らく追究を楽しむ感性が共鳴したのだろう。

 森の木々をすり抜け地に足を付けると、センリは深々とため息を吐いた。面倒なことになる予感がした。


「ねえ、あなた。たしかクーシーだったわよね? 私のギルドへ来ない?」


 後を追うようにスピネラも空から降りてきてそう言った。センリの隣にふわりと着地したクーシーは、また人形のような表情に戻って返答した。


「ギルドは性に合わないのです。それに私には大切なアトリエがあるので」

「アトリエ! 素敵ね。ぜひお邪魔させていただきたいものだわ!」


 そう言いながらスピネラが何かを構える姿勢になると、彼女の羽が割れてその手に破片が集まり、氷製の小型剣を生み出した。

 遮蔽物が多い環境で魔法の通りにくさを考えた結果、小回りの利く武器を使うことにしたのだろう。エンターテイナーのような態度とは裏腹に、戦略を組み立てるのが上手い。


「すみません、お相手をお願いできますか」

「しゃーないな。二対一のうちに倒し切るか」


 センリもまた、黒い刀を抜き放って前方の敵を睨みつけた。


「私がそんな勝負に乗ると思って? 見くびられたものね」


 スピネラはそう言い放ち、剣を片手に駆けだした。肉弾戦を苦手とするエルフであるにも関わらず、彼女の動きは機敏で隙が無い。

 彼女の発言の意図を理解したセンリは、剣と刀の打ち合いを続けながらクーシーに叫んだ。


「クーシー! 俺んことはええから自分の身ぃ守り!」

「分かっ――」


 クーシーの返答は、鋭い声にかき消された。


「”心砕けと霰降るなり”! <氷雨>!」

「っ! <星の守り>!」


 木々の隙間から飛んできた氷柱に、慌ててクーシーは障壁を展開する。しかしそれは破壊され、クーシーの身体に氷の棘が突き刺さった。


「<星の癒し>」


 膝をついたクーシーは回復魔法を使い、すぐに立て直しを図る。しかしそのMPは今にも枯渇しそうだった。


「ふん。準優勝者と優勝者が揃ってるのに、こんなものなの?」


 木陰からゆっくりと姿を現したのは、狐耳をピンと立てたコウだった。縦長の瞳孔が目立つ金目で見下すようにこちらを見ている。

 狐のビースト。それはエルフ以上に脅威となるINT特化の種族だ。脆く持続力がない代わりに、比類なき瞬間火力を誇る。


「本気を出していないだけよ。まあ、あなたはもう戦えないだろうけど」


 スピネラはクーシーの方を見ながらそう言った。


「いいえ。私の本気も、これからです」


 クーシーは傷の癒え切らない身体で、ふらりと立ち上がった。

 <星の癒し>は持続回復魔法だ。同じ支援職でも即時回復が得意なプリーストとは違い、スターシーカーは持続的なバフで立ち回る。そのため、戦闘中の立て直しはあまり得意ではない。

 それでもクーシーは汗一つ浮かべず、無機物的な冷静さを欠くことはなかった。


「私にはまだ、カーマとの絆がある」

「絆? 絆なんかで命が助かるわけないじゃない!」


 コウが噛みつくのを、スピネラが制止するように彼女の隣へ駆け寄った。


「嫌な予感がするわ。さっさと作戦を実行するわよ」

「……分かりました」


 スピネラに声をかけられたコウは、怒りを抑えるように瞑目して詠唱を始めた。


「“陽炎の 小野の草葉の もゆるとも――”」


 その詠唱を完成させてはならない。そう直感したセンリはすぐに刀を構えて飛び出した。

 しかし、


「<氷霜の風>!」


 それを見越していたらしいスピネラが周囲の地面を一気に凍てつかせ、センリの足は氷に止められてしまう。


「大丈夫。私が何とかする」


 切迫した状況に響いたのは、静かで小さな声だった。

 センリが振り返ると、クーシーが覚悟を決めた顔で佇んでいた。

 そして彼女はおもむろに、その背中の金の羽を掴み、二枚の後翅を引きちぎった。


「<変貌せよモーフ妖精女王の覚醒アウェイクン・ティターニア>」


 センリも、スピネラとコウさえも、呆然とその光景を見ていた。

 クーシーの手中の羽たちは、その金の翅脈を折りたたむように変形していき、剣のような二本の筆となった。背中の前翅はリボンのように伸びてクーシーの腕へ巻き付き、茨のように棘を生やした。

 彼女の腕から血が滴り落ちた。赤と金が織り交じり、絵画的な妖しさを放つ。


「コウ! 早く詠唱を!」


 呆気に取られて言葉を失っていたコウは、スピネラの急かす声に我に返って手をかざした。


「“――火の穂は尽きぬ 燃ゆる思ひも” <火群ほむら>!」


 コウの金の目は光り輝き、その赤茶の髪が蜃気楼のように揺らめいた。その瞬間、彼女の足元から炎の渦が巻いて、あたりの草木を一斉に飲み込んだ。


「<氷盾>」


 スピネラがそう唱えると、氷の壁が地面から生え出で球のようにスピネラとコウを囲んだ。スピネラの魔力操作が上手いのか、氷は炎の前でもその強度を保っている。

 彼女たちの作戦。それは敵ごと、この森を焼き払うということなのだろう。

 地面を覆っていた薄氷は溶けていき、センリは自由になった足で素早く後ろへ下がった。


「はよ森から出んと!」

「大丈夫」


 慌てるセンリと裏腹に、クーシーは落ち着いた様子で両手の筆を突き出した。茨の食い込んだ両腕の血が筆のほうへ流れていき、絵の具となって空中に文字を描き出す。


『“Sterne sind 星とは die Worte Gottes神の言葉, Magie ist 魔法とは die Nachahmung Gottes神の模倣.”』

『“Der Zorn der Sterne星の怒りは liegt in der Stille沈黙の中に, die Sünden der Menschen人の罪科は gehen in die Stille沈黙の中へ.”』


 彼女がピリオドを打つと、その血文字は赤黒く発光した。

 その瞬間、森を燃やし尽くそうとしていた炎は一斉に掻き消えた。スピネラの氷球も粒子となって消えていき、二人の魔術師は目を見開いてクーシーを見た。


「これは<星の沈黙>ね……MPが足りないはずなのに、どうやって」


 スピネラが驚きを隠せないまま呟くと、クーシーは表情を動かさないまま答えた。


「MPではなくHPを支払い望む結果を得る。それこそ、生贄の儀式」

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