044: 告別
その後、腹が減ったというカナギに付き合うことになり、近くの商業施設まで二人は歩いていくことにした。
一つ大きな道路を越えると、線路を再利用したらしい遊歩道が現れる。脇には小さな背丈の柵が続き、その先にはどこまでも続くような海が広がっていた。
二人の髪を海風が揺らした。柔らかな日差しに目を細めながら千織が空を見渡すと、左手の奥の方に光を浴びて輝く観覧車が見えた。
「この辺は中華が有名なんだ。知ってる?」
カナギは風景を気に留めることなく、出し抜けにそう千織に尋ねた。
「あれ、それって中華街やないん」
「まあね。でもこの辺りもラーメンとか美味しい店いっぱいあるぞ」
「ラーメンなあ……」
千織がそう呟きを漏らすと、カナギは不思議そうな顔をした。
「もしかしてラーメン嫌いか?」
彼の問いかけに千織は苦笑いを浮かべて返した。
「いや、ラーメンが嫌いっていうか……あんま量を食べられんのや」
「えええ!?」
千織の答を聞くや否や、カナギは今まで見たことない勢いでばっと千織の方を振り向いた。
戦闘時よりも敏捷な彼に千織は思わず吹き出してしまう。するとカナギはますますムッとした顔をして千織に詰め寄った。
「食えよ! 食わないと死ぬんだぞ、人は!」
「死なへん程度には食べとるで?」
千織が飄々と返すと、カナギはみるみるうちに呆れた顔になってため息を吐いた。
「お前、どうせエナドリ飲んだだけで何か食ったつもりになってるだろ」
「げ、何で分かったん?」
「その甘い匂いで分かるんだよ!」
「ええ! そんな染みついとる!?」
千織が本当にショックな顔をしていたのか、カナギはすぐにひそめていた眉を下げて笑った。
「あはは、大丈夫だよ。普通の人には分からないと思う。俺は視力が悪い分、他の感覚が過敏になってるから」
海のように急に静かになっていく彼の声に、自分の匂いを確かめていた千織もふと正気に立ち返った。
何か声をかけるべきなんだろうか。そうあたふたしているとそれが伝わったのか、カナギの方から続きを口にした。
「『SoL』の世界でもそうなんだ。俺の視力は正常なのに、他の感覚は他人より鋭いまま……。不思議だよな」
そのとき千織の脳に蘇ったのは、カーマとの試合のとき、両目を撃ち抜かれてもなお勢いを失わなかったカナギの姿だった。ためらいも無く刀を振るい、クーシーを一刀で切り捨てた彼は、少女の返り血を真っ向から浴びて凄惨な姿をしていた。
その形相を彼自身が目にできなかったことは、むしろ幸運だったのかもしれない。
いつの間にかまた、行き交う車の音が近づいてきていた。どうやらこの遊歩道は終わりに差し掛かっているらしい。
「『SoL』の世界の俺は強い。けど、いや、だからかな……。このまま人斬りで居続けたら、人斬りの俺を現実の俺が羨むようになったら……もう後戻りできない、そう思うんだ」
「それって……」
千織は二の句を継げなかった。そっとこちらを向いた彼の瞳は、天を目指す向日葵のように真っすぐで、決して折れないだろうと思わせる何かを秘めていた。
「俺はもう、『仇花の宿』を辞めるよ。次のイベントが終わったら」
千織ははたと足を止めた。引き留める言葉も送り出す祝辞も思いつかず、千織は吸い込んだ息をどうすればいいか分からなくなった。
空いた間を埋めるように、どこからか鐘の音が聞こえてきた。西洋風の高らかで晴れやかな音色だった。
「お、どこかで結婚式をやってるみたいだ。幸せになれるといいな」
カナギは何事もなかったかのようにそう呟いた。そして数歩先を歩き、横を付いてこない千織に気が付いてくるりと振り返る。
彼は他人を祝福することに戸惑いのない人間なのだ。そのことに気づけないほど、千織は他人を祝福するという行為を知らなかった。
もっと早く気づけていたら、違う道に彼を誘うことができたかもしれない。そう悔やんでしまうのは、自分の力を過大評価しすぎだろうか。
表情の抜け落ちた千織を、カナギは不安そうに見つめて言った。
「もっと早く相談したかったんだ、本当は。でも、その……お互い忙しかっただろ?」
千織は視線を逸らしながらくぐもった声で返した。
「俺のことは気にせんでええ。カナギのことはカナギが決めるべきや」
「……ありがとう。また刀を作ってもらったのに、悪いな」
「いんや。『SoL』を辞めるわけではないんやろ? モンスター相手にでも使ってくれればそれでええ」
何が気にかかるのだろう、自分は。
千織は自分の手からカナギが零れ落ちていくような気がした。彼が自分の預かり知らぬ運命に絡めとられていくような、そんな一抹の不安があった。
「センリの店に通うよ。今度はちゃんとした客として」
そう言いながらカナギは千織の手を取って快活に笑った。彼の手のひらは思いの外ごわごわとしていて、彼の今までの努力の量が窺えた。
「せやな。俺らの関係は変わらんもんな。刀の作り手と、その使い手」
千織がそう答えると、カナギは嬉しそうに千織の手をぎゅっと握って続けた。
「そして最高の友人!」
「最高の友人……」
何が最高の友人なのだろう。自分は彼を二重に苦しめているというのに。
直接ではないにしろ、彼を絶望に追い込んだ事件の引き金となったのは、自分の才能だ。
そして今、自分の才能は彼の運命を巻き取っている。
研究という神に、生贄として捧げるために。
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