043: 献花

 その駅は、技術に飲み込まれて無機質になっていく社会に抗うかのように、構内を暖かい光で満たしていた。改札を出てすぐに直面する広場には土産物屋や本屋が並び、忙しなく行き交う流れから外れた人々が、のんびりと商品を見物している。

 人を遮らないように気を配りながら千織も波に加わって歩く。こういうとき、統計データを眺めるよりも強く、個人は集団の一要素でしかないことを思い知る。

 揺れる頭たちの向こうに、外の景色が見えてきた。

 開けた空。いくつか頭の高い商業施設やオフィスビルもあるが、それらも空と同化するように透き通って輝いている。左手にはエアキャビンの搭乗口があり、その向こうからようやく車道が現れる。

 爽やかな風が吹いた。心なしか水の匂いをはらんだそれは、千織の黒いフードをはためかせて駅の中を通り過ぎていった。

 目の前。数年前の事件を忘れないようにと造られた噴水が、広場の中央できらきらと水を散らして、その人物を鮮やかに描いていた。

 色素の薄い茶髪がさらさらと風になびく。ワイドパンツのシルエットが、どことなく袴姿を想起させた。

 後姿でも分かる、芯の通った立ち姿。

 千織が近づくと足音で気が付いたのか、彼は振り返ってその左目を差し向けた。

 透き通るような茶色の瞳だった。丸く開かれたその大きな目は、まるで眼窩にひまわりの絵を埋め込んだかのようだった。

 右目は前髪に隠されて見えなかった。そのアンバランスな髪も不思議と似合ってしまうような、不安定な魅力を彼はまとっていた。


「センリ!」


 彼はそう言ってにこやかに笑った。姿の印象はかなり異なっているが、その明るい顔は間違いなくカナギだった。

 ゲームでの影から抜け出たようなアバターよりも、この春日に照らされた好青年の方が、彼らしいと思えた。


「カナギ。待たせてごめんなあ」

「全然。そんなに待ってないさ」


 千織が近寄りながらそう言うと、彼は穏やかな表情で首を横に振った。そして数歩千織に近づいたが、その足取りはいつもの彼と比べて少し自信が無さげだった。


「ええと、呼び方……」

「ああ。センリのままでええよ。自分の本名あんま好きやないから。カナギは?」

「んー。カナギも本名だけど……俺、金木陸暮って言うんだ。だから、好きな方で呼んで」


 千織が尋ね返すと彼は目をうろうろとさせた後、小首を傾げて窺うように千織をじっと見つめた。

 所在なさげな動作とは裏腹に、その視線だけは彼の強さを保ったままだった。


「そんなら……陸暮」


 千織が名前で呼ぶと心の内の動揺が伝わったのか、彼は瞳を揺らして困ったようにはにかんだ。

 その様子を見て千織も落ち着かない気持ちになり、取ってつけたように言う。


「やっぱカナギのままにしよか! 俺もセンリのままやし」

「そ、そうだな」


 ゲームで出会った友人と現実世界で会うというのは、こんなに気恥ずかしいものなのだろうか。

千織はむずむずする口を隠すように手を当て、数回咳ばらいをして言った。


「んで、今日はなんか行きたいとこあるん?」


 その言葉を聞いたカナギはまた真っすぐな目をして口を開いた。


「ああ、大して決まってるわけじゃないんだけど……。どうしてもセンリと一緒に行きたいところがあって」

「俺と?」


 カナギは話をしながら案内をするように歩き始めた。千織も慌てて歩き出し、カナギの死角を補うように右側につく。

 忙しい商業施設の方ではなく、どうやら広場の隅へ向かっているようだ。千織はその先を見て、思わず目を見開いた。


「そう、これを一緒に見たかっ――」


 カナギは千織の方を振り返ろうとして、距離感を掴み損ねたのか、ぐらりと身体を傾けた。


「危なっ……大丈夫か!?」


 千織は慌ててその身体を受け止めた。カナギは千織の服をぎゅっと掴み、少し黙った後、絞り出したような声で呟いた。


「生きてるんだ」

「え?」

「鼓動が聞こえる。温かい……」


 千織はどうすればいいか分からず、もたれかかる彼の身体を支えながら、横目で彼が案内しようとしてくれたであろう物を見た。

 それは台の上に置かれた、たくさんの花束だった。

 あの事件を追悼するための献花台だった。

 日を避けるためのテントの中に納まりきらないほど、花が咲きこぼれていた。


「ようやく、直視できる」


 いつの間にかカナギは顔を上げ、花束の山を静かな表情で眺めていた。


「血を見ることには慣れても、自分の傷を直視するのは耐えられなかった。右目に空いた隙間から目を逸らすことしかできなかった。でも、やっと……あの事件が在ったことを受け入れられる」


 そしてカナギは身体を起こし、千織の顔を真正面から見つめて言った。


「お前が横に居てくれたおかげだ、センリ。お前が一緒にもがいてくれたから、俺はこの感情との上手な付き合い方を覚えられたんだ」

「俺は、別に、何も……」

「お前もずっと苦しんでたんだろ。会える時間は減ったけど、それでも分かる」


 千織は言いかけた否定の言葉を飲み込んだ。そして少し瞑目し、覚悟を決めたように言う。


「俺の苦しみは当分続くやろな。俺の兄さんのことを許せるのは、きっと俺だけやから」


 それを聞いたカナギはしんみりとした顔で頷き、左目をこちらに向けておずおずと口を開いた。


「……なあ、俺たちも花を買いに行かないか」


 千織はその視線を真っすぐ受け止めて返した。


「そうしよか。俺もちょうど、そうしたいと思ってた」

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