041: 談笑

「正直あたしもあの学園長のこと嫌い。生徒のこと、ただの頭数としか思ってなさそう」


 車に乗ってしばらくした頃に、聖羅が出し抜けにそう言った。


「あたしの一個下の代にさ、すんごい顔の可愛い主席がいたんだよ。新入生代表の挨拶でそいつが壇上に上がったとき、すぐにでも攫ってデッサンモデルにしたいと思ったぐらい」


 軽々と誘拐願望を口にする聖羅に、千織はため息交じりの言葉を挟んだ。


「頼むから実行せんといてや」

「するわけないじゃん。そいつ男だったし」

「ちゃうわ! 普通に犯罪やからやめい言うとんねん」

「あのさお兄ちゃん。あたしの創意には全時代の全人類がひれ伏すほどの美と価値があるんだよ? それが法律に反しているかどうかなんて関係なくない?」


 わざとらしく声を尖らせてゴネる聖羅を、雅己が穏やかに制止した。


「なかなか面白い言い回しですね、聖羅ちゃん。でも千織くんをからかうのは止めましょうか」

「仕方ないなー」

「からかうって……ちょっと聖羅に甘いんちゃうか、マッさん。こんなんほぼ犯罪予告やろ」


 助手席の千織は隣の雅己にじとっとした目を向けた。長い指をハンドルに絡ませた彼は、にこにこと視線を涼やかに受け流している。


「……それで、その人がどうしたの?」


 後部座席の愛結がおずおずと尋ねた。千織が鏡越しにちらりとその顔を見ると、彼女の暗い表情は少しだけ和らいでいた。


「いじめられて不登校になったって噂。二年に上がる頃に来なくなったって」


 聖羅は淡々とそう答えた。みるみるうちに愛結が眉尻を下げて俯いたのを、聖羅は横目で気にする素振りを見せながら続けた。


「そいつ、成績だけで入ってきた奴だったから。金にもコネにも頼れない奴にとっては地獄なわけよ。この学園は」


 聖羅の淡々とした口調は、自分たちには強力な後ろ盾があるという自信を匂わせていた。それでも愛結の表情は晴れず、千織は明るい声を装って口を挟んだ。


「そいつの名前で検索すれば、なんか出てくるかもしれんで。今も元気にしとるんやない?」


 千織の楽天的な言葉を聞いた聖羅は腕を組み、しばらく唸ってから答えた。


「うーん。漢字を覚えてないんだよね。確かイズル……だったかな? スに濁点なのかツに濁点なのかもびみょい。苗字も結構珍しかった気がするけど、金入学でもコネ入学でもない奴の苗字なんか覚えてても意味ないし、すぐ忘れちゃった」


 あっけらかんとした聖羅の言葉に、千織はまた眉をひそめた。


「お前……結構打算的やな」

「お兄ちゃんには負けるってー」


 そこまで言った聖羅は何かを思い出したらしく、一気に顔をにやにやとさせた。その表情に千織は嫌な予感を抱いたが、彼女が口を開くのを止めることはできなかった。


「そういえばお兄ちゃん。今度カナギとリアルで会うんだって?」


 一瞬その意味を受け取れずぽかんとした千織は、ばっと聖羅の方を向いて勢いよく問い返した。


「なんでお前が知っとるん!?」

「マサ兄から聞いた」

「ごめんなさい千織くん。うち、盗み聞きが仕事ですから」

「あーもう! 確かにせやったなあ……」


 車内の空気が生ぬるくなっていくのを感じた千織は、助手席に深々と背をもたれて、赤い頬を隠すようにフードを被りなおした。


「珍しいね。千織お兄ちゃんが感情的になってるの」


 愛結も興味を惹かれたらしく、少し明るい声色になってそう言った。


「でしょ? 『SoL』の中でも結構面白いの見れるよ」

「いいなあ。私も早く一緒に遊びたい」

「言うとくけど俺は見せもんちゃうからな?」


 後部座席ではしゃぐ姉妹に釘を刺し、千織は大きくため息を吐く。それを雅己が申し訳なさそうな顔で一瞥し、苦笑交じりにまた謝った。


「ほんまにごめんなさいね。ただ千織くんの行動はドクターに見守って頂かないといけませんし、それにカナギくんのことは真上さんがよくご存知ですから。早めに報告させてもらいました」


 雅己の言葉には、確かに筋が通っていた。

 千織は軽率に行動できない身だ。万が一身元が割れたときに備えて、監視システムに干渉できるドクターに話を通しておくのは必要だろう。

 それに真上は千織が知る中で、現実のカナギと会ったことのある唯一の人物だ。ただしそれは日常の中ではなく、壮絶な事件現場での出会いだったそうだが。


「まあええけど。今更『SoL』の中でプライバシーとか気にせんし……」

「お兄ちゃんだって覗きが仕事だもんね」

「覗きちゃうわ! データ収集や!」


 からかいの姿勢を緩めない聖羅にツッコんだ後、千織は雅己に向き直って尋ねた。


「それで、二人はなんて言うとったん?」


 その問いを口にした千織は、まるで親に伺いを立てる子供になったような気持がした。

 実の親にはこうして尋ねる機会すらなかったと感傷が胸をよぎる千織に、雅己はいつも通りの微かに掠れた声で答えた。


「止めるようなことは何も。それより『SoL』の件で話したいことがあると、ドクターがおっしゃっていました」

「『SoL』の件……? システムの話か」

「ええ。込み入った話になりそうなので、千織くんの予定が終わってから話すそうです」

「ふうん。なんやろ……」


 またデータの下処理をさせられるのだろうかと思いながら、千織はマスクの下で欠伸を噛み殺した。それを気取ったのか、雅己がくすりと笑いながら言う。


「ちゃんと睡眠は摂ってくださいね。眠らないと脳を綺麗にできませんよ」

「はいはい」


 千織はげんなりとした声で返事をしながらも、気遣ってくれる人がいることに対する安堵を抑えられなかった。

 俺ってちょろいんかな。そう思いながら、千織は流動する外の景色を眺めた。

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