020: 裏側 -- レーセネにて

 メデゥーサの首を置いたカナギはまたすぐに出かけていった。それを見送ったセンリは、ふと隣のヨウに顔を向けて尋ねた。


「そういや、ヨウはお姉ちゃんと仲直りできたんか?」


 ヨウは子供らしい目でセンリを見上げると、力無く首を横に振った。


「全然……。姉ちゃん、この世界で何をしているのかすら教えてくれないんです」

「そんなに? なんでそんな怒らせたん」


 センリが驚いてそう聞くと、ヨウは唇を噛んで俯いた。


「俺が余計なことを言っちゃって……何にもできないくせに偉そうにするな、とか」


 ヨウが口にしたその言葉に、センリは動揺して薄っすら瞳を現した。それは、センリが兄にぶつけた言葉とほとんど同じだった。


「……あちゃあ、そら怒るわ」


 センリはかろうじてそう言った。


「でも、でも……俺、本当に心配で! だって姉ちゃん、病弱で寝たきりだから身体の動かし方も知らないし、短気だから友達もいないし!」


 ヨウはどこかムキになってそう言った。その態度に透ける姉への蔑視は、恐らく親から植え付けられたものなのだろうと、どこか他人事のように観察しながらセンリは返した。


「ヨウ。お前が心配したいだけやろ。姉の世話をすることにしか、自分の存在意義を見出せんだけやろ」


 ぴっと耳を立てたヨウは、はっとした顔でセンリを見やった。センリは彼の素直さに応えるように、彼の瞳を真っすぐに見た。


「誰かに責任を押し付けんなや。一人で生きられるくらい強くなりたいって、自分で思ったんやろ」

「……! はい! センリさん!」


 ヨウは目をキラキラとさせて元気よく返事をした。

その様子に安心してセンリが微笑むと、ふいに視界の端にメッセージの着信アイコンが表示された。

 すぐさまそれに目を通したセンリは、息を呑んで顔を険しくした。


「どうしたんですか?」

「ちょっと呼び出しをくらってしもた。行ってくるわ」


 怪訝そうにするヨウにそう言うと。センリは軽く手を振ってすぐに駆けだした。

 メッセージの差出人は、センリがドクターと呼び慕う人だった。


 レーセネの外れ、人気のないそこで立ち止まったセンリは、周りに人の気配がないことを確認して石壁をそっと押し込んだ。

 センリの店と同じように、仕掛けが作動して隠し階段が現れた。こういった隠しエリアは単なる遊びで設置された訳ではなく、人目を忍んでやり取りをするために作られたものなのだ。

 センリはやけに湿り気のある階段を早足で下り、触るのを一瞬躊躇するほどに薄汚れた扉を軋ませて開けた。

 その瞬間、センリの鼻を死臭がついた。思わず眉間にしわを寄せながら、センリは動きづらい扉をぐっと押し込んで鍵をかけた。

 目の前に広がっていたのは、埃っぽい手術室のような光景だった。几帳面な形の台の上には茶色い染みが残されている。


「相変わらず気味悪い部屋やなあ……」


 センリは思わずそう呟いた。沈黙の中では到底正気を保てそうになかった。

 解剖室の向こうから、からりからりと車輪の音が聞こえてきた。

 センリは跪いて頭を垂れた。そうしたかったというよりも、重くなっていく場の空気に耐えられなかったというべきだった。

 車輪の音が止まった。センリはおずおずと顔を上げて、彼が敬愛し畏怖する師匠の姿を見た。

 悪魔的な威圧感を感じさせる山羊の瞳。真っ白い髪は車椅子の上に散らばり、蜘蛛の巣のように広がっている。白地に金の装飾が施されたドレスは、マサが作りカーマが仕上げた特注品だ。


「お呼びですか。ドクター」


 センリは震える口を動かした。どうしてだかセンリは、彼女の前では恐怖を抑えられないのだった。

 それも家庭環境に原因があるのでしょうと、マサにはそう言われた。母に愛されて育ったカーマはドクターによく懐いた。対してセンリは、親の支配に怯え切っていたのだ。

 ドクターの車いすを押していた甲冑が、たどたどしい足取りでセンリの前に跪いた。より一層死臭が濃くなり、口で勢いよく息を吸ったセンリはせき込んでしまう。

 彼はおそらく、ドクターが使役するモンスターだ。彼女はモンスターを使役して戦う職業のうち、アンデットに特化したネクロマンサーなのだった。

 その甲冑がセンリに差し出したのは、古めかしいUSBメモリだった。

 センリはそれを受け取って恐る恐るドクターを見上げた。人形のように微動だにしない彼女は、センリに視線を向けることすらしなかった。


『カナギのデータだ。処理をお前に任せる」


 センリは愕然とした。自分が何を託されたのか、センリは一瞬で理解した。

 カナギを利用することなんてできない。そう言いたくてセンリは口を開いたが、甲冑が立ち上がる音にかき消されたように、何も言えなかった。


『学会の録画を見た。よくできていた』


言い残すようにそうメッセージを送ったドクターは、腐臭漂う甲冑に車いすを引かせて、解剖室の奥へ戻っていってしまった。

 取り残されたセンリは、手の中のUSBメモリを見つめて歯を噛みしめた。


 『SoL』というゲームの真の役割。それは優れた才能のデータを収集し、軍事に利用することだった。

 言語化されにくい戦闘技術すら、『SoL』の中では動作のデータとして記録することができる。水面下で開発が進む戦闘用機械兵のプログラムは、『SoL』で集まったデータを元に設計されていた。

 つまり先ほどのドクターの指示は、カナギの動きを軍用兵器に搭載しろということだった。『SoL』の開発者である彼女は、悲願の達成のため、政府に力添えをしなくてはならない立場なのだった。

 マガミもマサもそのために動いていた。カナギという才能に目を付けたマガミは、センリを使って彼をこの世界に縛り付けた。マサがカナギを尾行していたのは、彼の動作のどこが癖によるもので、どこが戦闘経験によるものなのかを把握するためだった。


 それに気づくのが遅れてしまったのは、『SoL』にはもう一つの側面があるからだった。

 トラウマが引き起こす感情的情報量の変化を観測し、分析する。センリの研究目的はむしろこちらの方だった。

 センリの兄が引き起こした事件に対する贖罪。それこそが、センリがドクターたちに手を貸す理由であり、カナギを見守り続ける理由でもあった。

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