第三章

021: 空虚

 千織は暗い部屋の中でデスクトップを睨みつけていた。その机の上には、空いたグミの袋や空になったエナジードリンクの缶が転がっており、息が詰まるほど甘い匂いを漂わせている。

 デスクトップには、『SoL』の世界のカナギの姿が映し出されていた。『SoL』を介してドクターから受け渡されたデータには、『SoL』で記録されていたカナギの動作を再現した映像が含まれており、千織はそれを見ながら作業を進めているのだった。

 動作解析のための機械学習モデルによってカナギの身体をカテゴライズし、同封されていたマサの報告を踏まえ、戦闘のための動作だけを抽出していく。

 機械学習に用いるデータとして最適化するための、いわゆるラベル付けと呼ばれる作業だ。かつては素人を雇って行われていたような、面倒で空虚な行いだ。

 ふいに気になるデータを発見した千織は、スクロールする手を止めて画面に顔を近づけた。


「感情の揺らぎ……。これは、新しいスキルか……?」


 千織はすぐにその瞬間の映像を探した。そして再生し、だんだんと頭が冷えていくのを感じた。

 それは何の変哲もないモンスターとの遭遇戦だった。場所はエルフの都テルスミアの周辺に広がるウィルウビス原生林。エルフを選択したプレイヤーにとっての序盤のエリアであり、出現するモンスターのレベルは大して高くない。

 しかしスリルをもたらすため、難易度の低いエリアにも強敵が出現することがある。カナギが戦っていたのは、ウィルウビス原生林のレアモンスターであるエルダートレントだった。

 それでも、カナギが苦戦するような相手ではないはずだった。しかし映像の中のカナギが必死の表情をしているのは、彼が他人を守りながら戦っているからだった。

 その場にはカナギ以外に二人いた。MPが切れたらしい魔術師と、状態異常にかかって動けなくなっている盾職だ。カナギはその二人に攻撃がいかないよう、自身を的にして立ち回っているのだった。

 しかしそれも限界が来た。

 カナギはトレントの枝に右腕を貫かれ、そのまま背後の木々に身体を打ち付けた。その右腕に刺さった枝は、彼の身体をすっかり木に縫い付けてしまっていた。

 邪魔を排したトレントは、魔術師の身体を持ち上げてぐっと締め上げた。

 カナギは右手の刀を握りしめた。見開かれたその藤色の瞳に、一瞬強い光が宿ったような気がした。

 トレントを見据えたカナギは、一歩を踏み出すように足に力を込めた。そして彼が右腕を動かすと、まるで不可視の刃が通ったように、彼を貫く木の枝がすっぱりと切れていた。


「攻撃範囲の広がり……つまり、刃身を延長させたということか?」


 千織はそう呟いた。

 続けてカナギは、その刃先が届いていないにもかかわらず、魔術師を捕らえる枝を両断してみせた。それを見た千織は、自分の予想が合っていたことを確信した。

 手を届かせることが、彼の願いだったのだろう。なにせ、彼の目の前で一人の子供が死んだのだから。

 枝から解放されてカナギに受け止められた魔術師は、ありったけのMPを込めて魔法陣を展開した。そこから現れた氷柱の雨が、エルダートレントの身体を吹き飛ばして散り散りにした。

 いつからだ? 千織はそう思って歯噛みした。いつからカナギは自分の知らないところで仲間を作っていたのだろう。

 いつから自分は、カナギには自分しかいないと思い込んでいたのだろう。

 千織は椅子の上に膝を抱え、うずくまるように顔を腕の中に押し付けた。自分の感情にどうラベルを付けるべきか、分からなくなっていた。

 一層静かになった気がする部屋の中でけたたましく着信音が鳴った。はっとした千織はうんざりとした顔になって、左腕に付けた時計型の電話を操作した。


もしもしハロー?」


 千織が疲れの滲んだ声で定型文を発すると、機械越しに軽薄な笑い声が聞こえてきた。


「英語ウケる。聖羅だって」


 名前を念押しするように彼女はそう言った。千織はますます嫌な顔をし、突き放すように返した。


「ああ、すまん。電話帳に登録しとらんかったわ」

「は? しとけっての」

「ほな着信拒否にしとくな」

「ふざけんなアメリカ在住関西人。アメリカンジョークでツッコミ過労死してろ」


 聖羅はべらべらと罵倒を並べ立てた。言葉の殴り合いは不利だと悟った千織は、本題を急かすことにした。


「今まさに過労死しそうなぐらい忙しいんやけど。要件は?」


 すると電話口の向こうから得意げな声が聞こえてきた。


「この前の大発明を参考にして、あたしもすごいの作ったの。それを見せてあげようと思ったわけ」

「大発明? ああ、<散華>のことか。なんか掲示板でも話題になっとったらしいな」


 千織はデスクトップに視線を戻し、ラベル付けを再開しながら返した。


「そうそう。お兄ちゃん、ほんとは目立っちゃダメなのにさあ。真上さんはよくオーケー出したね?」


 聖羅は呆れたようにそう言った。

 その時ようやく全データの処理が終わり、千織は深々と背もたれに身体を預けた。そして机の上の缶を一つ取り、ぬるくなった液体で喉を潤して口を開いた。


「いや、ちゃんと例のやつは使わんようにって釘刺されとる。珍しい武器の披露ぐらいなら、すぐに忘れられるやろ」

「たしかに。だってすぐにあたしの名前が上書きされるからね! 天才鍛冶職人であり、天才ガンスミスのカーマの名前が!」


 ハイテンションな声が部屋に響き、千織は顔をしかめた。


「本業は金細工やろ。ほんと、なんでもかんでもすぐに手ぇ出すよな。この前もちっちゃい子を連れとったけど、女の子をいぶかすんも大概にしとき」


 千織がそう言うと、聖羅は突然慌てふためいた。


「は!? あの子はそういうんじゃないし! あたしとあの子は共同制作者っていうか、あたしがあの子の絵に一方的に惚れ込んだだけなの!」

「ああ、そうなん?」


 千織は聖羅の矢継ぎ早の言葉を右から左に聞き流した。その興味の薄さが不満だったのか、聖羅は意地の悪さがにじみ出た声で反撃した。


「そっちこそどうなの。カナギって奴とやけに仲良いじゃん?」


 缶の残りに口を付けていた千織は、中身を噴き出しそうになったのを慌てて堪えた。


「真上に言われて一緒におるだけやて」

「その割には大事にしすぎなんじゃない? この前のイベントのときでも、結構庇いにいってたでしょ」

「あれは合理的な判断や!」

「あいつを守ることが合理的になるようにしただけじゃん。というか実際、お兄ちゃんだけが生き残っても十分戦えてたし」


 彼女の鋭い指摘に千織は口ごもってしまい、それを誤魔化すように缶を口に運んだ。

 その沈黙をどう捉えたのか、聖羅は少し気を落ち着かせて言った。


「ねえお兄ちゃん。お兄ちゃんが躍起にならなくたって、あのカナギって人は一人で十分戦えるよ。刀なんてやめてさ、もっとすごいのを作ろうよ」

「いや、俺はあいつの傍におる。そう決めたんや」


 千織はすぐさまそう返した。まさにそれが躍起になっているということなのだと、自覚はしながらも抑えられなかった。


「ふうん。あたしにはお兄ちゃんの独りよがりに見えるけどね」


 聖羅はどうでも良さそうにそう言った。千織は飲み干した缶を名残惜しく口に当てて、その縁に歯を立てた。

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