019: 忙殺 -- 『仇花の宿』にて

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「……よって似通った評価基準を持ったLLM同士は、相手からの高評価を期待してより評価の高い言葉を選ぶようになると言えます。これは人間同士のコミュニケーションと類似しており、心の理論を人工知能が会得したことを示しています。つまり、思いやりは生物だけのものではなくなった、ということです」


 ざわついた会場を見渡した千織は、彼らの混乱に共感を示すように重々しく頷いてみせた。しかし暗い会場に対して明るく照らされた千織の側からは、観客の顔など全く見えないのだった。


「驚きは分かります。しかし恐れないでください。あくまで道具でしかないAIが親切を覚えたところで、我々人間に何か悪いことがありますか? 親切は人間、もしくは霊長類の特権だと思っているのなら、その考えは今すぐ捨ててください。もしそうだったのなら、今頃クマノミはイソギンチャク共々絶滅しているでしょう」


 そこで観客はどっと笑い声を上げた。千織は会場が鎮まるのを待って続けた。


「我々はまた新たな道具を手にしたのです。これによりカウンセリング技術は向上し、孤独な人々を救うことができるようになるでしょう。……これにて私の発表は終わりです。聞いてくださりありがとうございました」


 千織は満面の笑顔でそう結び、舞台袖からやってくる司会に場所を譲った。観客は万雷の拍手で千織を称えた。


「どなたか質問はございますか?」

「はい」

「どうぞ」


 司会に指示された観客の一人が、馴れ馴れしい笑みでマイクを握った。


「とても興味深い発表でした。これからが楽しみです。ところで少し気になったのですが、この理論を応用できるのは“親切”だけではありませんよね? 相手の意図を窺うことが可能になったということは、相手の意図を読むことが可能になる……つまり、盤上で優位に立つことができるということですよね?」


 その言葉の真意を理解した数人がどよめいた。千織は友好的な笑顔を崩さず、すぐにマイクを通して答えた。


「盤上で優位に立つにはゲームのルールが共有されていることが必要です。しかし現実にはそんなことはあり得ない……そうでしょう? 勝者になるために妙な考えを起こす人は、その時点でルールを破ったも同然なのですから」

「あくまで平和のための道具だと?」

「もちろん。私はこの技術を、近年増加する犯罪の抑止に繋がればと、ただそれだけを祈って開発したのですから」


 マイクを握る観客は感心したと言いたげに眉を上げた。そして探るような目つきで千織を見上げながら、はっきりとした声で言った。


「それはあなたの兄のためでしょうか? 私の目には犯罪の抑止というよりも、犯罪者の更生、もしくは精神病患者の治療に向いた技術のように見えましたがね」

「その質問はあまりにもプライベートすぎます」


 すかさず司会が割って入った。千織は笑顔の裏で、ぐっと歯を食いしばった。


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 久しぶりに『仇花の宿』を訪れたセンリは、カナギが最近ギルドホールに来ないことを知った。


「前のイベントで有名になって、依頼がたくさん来たんだそうです。それでカナギさん、はりきっちゃって」


 ちょうど一人で稽古をしていたヨウは、不思議がるセンリにそう説明してくれた。


「ログインしている間、ずっと忙しそうにしてるんです。暇なときも俺の練習を見てくれて。ゲームなのに、遊んでいるように見えないというか……」

「現実とゲームの役割が逆転したんかもしれんな。そういうんは珍しくない。現実で忙しくできる人の方が、今や少数派なんやから」


 センリが少し顔を険しくしてそう言うと、ヨウは不思議そうに首を傾げた。センリは彼に説明するように、言葉を選びながらゆっくりと続けた。


「もともとゲームは物語を楽しむ手段の一つでしかなかった。でも『SoL』には明確なストーリーは無くて、プレイヤー自身が物語を作っていくことをコンセプトにしとる。それは本来、現実世界で行われるべき営みなんや」


 ヨウはあんパンのようなこげ茶の丸い瞳を、ぱちぱちと瞬かせた。センリは小さく唸りながら、ヨウにも伝わる表現を探して口を開いた。


「たぶんカナギが忙しくするんは、『SoL』の世界で物語を紡ぐことを選んだからや。あいつは現実でいろいろとあったから……。『SoL』の中で向けられる期待に一生懸命応えたいんやと思う」


 センリを見上げるヨウの顔は少し暗くなった。そして彼は頷いて、沈んだ声で言った。


「たしかにカナギさんはそう言ってた。『期待に応えたいんだ』って。でも俺、あんなに頑張り続けていたら、いつか壊れちゃうんじゃないかって……」


 その時、正門のほうからがたっと音がした。はっとして見ると、血の跡がついた刀を乱暴に肩に乗せたカナギが、疲れを滲ませて佇んでいた。

 彼はまるで紙にこぼれた墨汁のように、場違いなほどの影をまとっていた。自分がログインしていない数日のうちにここまで雰囲気が変わってしまったのかと、センリは驚きが顔に出るのを抑えられなかった。


「センリ、来てたのか」


 そういって歩いてくる彼の手には、何かの生首のような物体が握られていた。その髪は黒い蛇のようにうごめいており、ある程度デフォルメされているとはいえ、センリには到底素手で触りたいと思えないような代物だった。


「久しぶりやな、カナギ。ってか……それ、何なん?」


 センリは再会を喜ぶ気分になれないまま、その謎の頭部を指さした。隣のヨウもぞっとしたような顔をして、センリの影に隠れるように一歩身を引いた。


「昔のイベントのレア報酬らしい。PK依頼の対象とパーティを組んでいた奴が持っていたんだが、珍しそうだったからついでに奪ってきた。もしかすると護衛のつもりだったのかもな」


 カナギはそう言ってぐるりと手を回し、持っている頭部の顔を正面に向けた。

 それは苦しそうに目をかっと見開いていた。蛇のような髪を見たときからそうだろうと思っていたが、やはりメデゥーサを模した魔道具のようだった。


「わっ!」


 隣のヨウが毛を逆立てて固まった。センリが彼のステータスを確認すると、どうやら麻痺にかかってしまったようだった。


「これ、<麻痺耐性>のスキル育成に使えるな」

「うわ懐かしい。俺とカナギが初めて会った頃らへんにそん話したよな」


 センリがそう返すと、カナギは少し目を瞬かせて口を開いた。


「ああ……そうだったな。すっかり忘れてた」


 その言葉にセンリは、彼がどこか遠くへ行ってしまったかのような、取り残されたことに恐怖するかのような胸騒ぎを覚えた。

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