第二章
011: 緊張 -- 闘技場にて
『SoL』のPvPイベントは特別なフィールドで行われる。イベント期間に入ると、大陸の中央にあるアルカジアの森の上空に街一つ分ほどのコロッセオが現れ、そこへ向かうように三種族の都から階段が伸びていた。
エスカレーターのように自動で動くその階段に乗り込み、センリは後から続いたカナギを振り返った。
マサ仕立ての豪奢な着物に身を包んだ彼は、黒い髪を風になびかせて、空からの景色を物珍しそうに眺めていた。
「カナギ、緊張しとらんの?」
センリは彼にそう問いかけた。今回のPvPイベントに大して熱意を持っていないセンリだったが、それでも注目が集まる場所で戦闘することに気の後れを感じていた。
問われたカナギは色素の薄い瞳をぐるりとセンリに向けて、にっと元気良く口角をつり上げた。
「緊張してる。でもそれが嬉しいんだ」
その答えを聞いたセンリは、自分よりもカナギのほうがずっと明るい表情をすることに気が付いた。それが過去の挫折を乗り越えた証なのかどうか、センリには見当がつかなかった。
天空の闘技場には戦闘用のフィールドの下に受付のためのロビーがある。そこには既に大勢が押しかけていて、センリとカナギの着物が地味に見えるほど羽振りの良さそうな連中ばかりがいた。
そのうちの何人かは『仇花の宿』の名前を知っているらしく、ひそひそと話しながらこちらを窺っていた。
「おい、『仇花の宿』の奴もいるぞ」
「あの黒髪……最近森で暴れ回ってるPKじゃね?」
「仕返しのチャンスってことか。こそこそ隠れられちゃ、ぶっ飛ばせねえからな」
どうやらここにも『仇花の宿』を恨む人間が相当数いるようだった。
PKギルドを名乗る『仇花の宿』は、特定プレイヤーやギルドの失脚のための殺しや金品目当ての強奪なども請け負っている。そのため、恨みを買うのは当然と言えた。
猫耳を震わせたセンリは固い笑顔のまま受付へ歩いた。横を歩くカナギはその会話に気づいていないらしく、呑気な顔をしてあちこち視線を飛ばしている。
センリは細めた瞼の奥で瞳をぐるぐると動かした。たったそれだけで、この会場にいる全てのプレイヤーを観察することができるのだ。
人々の落とす影は中で何かがうごめくように、あちこち揺らいでは鎮まっていくのを繰り返していた。
マガミに使用を制限された力。それはセンリの職業に由来するものだった。
情報集め程度なら人目に付くことはなく、マガミにも容認されている。センリはこのゲームの中にいるほとんどの間、その能力を使い続けているのだった。
「……でさ、最近はヴァンダリズムも許可がないとできなくなってるじゃん。それってもうヴァンダリズムじゃないっしょ?」
「そうだね」
「だからさ、あたしはゲームの中でやりたいんだよね。あたしはこういうことを考えてるぞー!って、知らしめるための破壊と殺戮をさ」
聞き覚えのある声がして、センリはまた猫耳を揺らした。
そこにいたのは褐色肌に金髪が目立つ女性だった。純白のドレスを身にまとい、彼女が作ったのであろう金の装飾を惜しげもなく身に着けている。
何より目立つのは彼女の頭から生える太い角だ。それは彼女が、牛のビーストであることを示していた。
ギャルを体現したような彼女こそが、センリと同じく生産に熱意を燃やす職人のカーマなのであった。
「創造と破壊ってやっぱりセットなんだよ。だからこそ芸術の道を究めるためには喪失も経験しなきゃ! そう思うでしょ?」
「うん」
横で大人しく相槌を打っているのは、ふわふわとした青髪が印象的な女の子だった。尖った耳を見る限り、エルフかドワーフなのだろう。金で作られた蝶の羽のような装備を身に着け、まるで妖精のような出で立ちだ。
恐らくその羽はカーマが作ったものだと見当をつけたセンリは、カーマがこのイベントに出場しようと思った理由に思い至った。
大切なものを喪失することに拘る彼女は、お気に入りの少女を失う経験をしたいのだ。芸術―暗い過去を正当化するための麗句を追い求める彼女が、いかにも考えそうなことだった。
「センリ」
ふいにカナギに声をかけられて、センリは膨大な視界から意識を戻した。
「ん、何や?」
普段の笑顔を心がけてセンリは返した。すると彼の藤色の瞳はゆっくり瞬いて、底を見通すようにセンリの顔を見つめた。
「いつもより思いつめてる雰囲気だったから、緊張がひどいのかと思って」
他愛ないその言葉はセンリの惑いを見抜いたかのようだった。一瞬言葉に詰まったセンリは、すぐに元の調子を取り戻して答えた。
「もしかすると寝不足かもしれんわ。ふわあ……そう思うと急に眠なってきたな」
「確かに。センリ結構遅くまでログインしてるもんな」
あくびをするセンリに、カナギは納得したようだった。
上手く誤魔化せたセンリは息を吐いて、このPvPイベントをどう乗り切るか思考を巡らせた。
カーマという予測不能の存在だけでなく、ギルドに恨みのあるプレイヤーも何人かいるとなれば、ただ勝ちを追い求めるわけにはいかない。
センリはやっと秘密兵器であるカナギと共に、自分がこの舞台に選ばれた理由を悟った。
カナギという才能の光が輝いたとき、強まる影を探り当てるのがセンリの仕事ということなのだろう。
『間もなく、第一戦を開始します。転送開始まで残り5分』
無機質な声が会場に響いた。わっと人々は盛り上がり、緊張の高まりを感じたセンリは頭がくらくらとしそうだった。
思わず足がすくんだセンリを励ますように、カナギは黒髪の下から笑顔を覗かせた。
「大丈夫だセンリ。俺がいる。お前の刀もある」
「何やその鬼に金棒みたいな言い方……」
センリはつい脱力して、へらりと笑いながらツッコんだ。たった一言声をかけられただけで勇気が湧いてくる自分に、人の心は不明瞭で面白いと、まるで他人事のように思った。
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