009: 密談 -- 『仇花の宿』にて

 ほとんどカナギが強引に連れてきたヨウは、数日も経たないうちにすっかり『仇花の宿』に馴染んでしまった。

 いつものようにセンリがギルドホールに顔を出すと、真っ先に練習着姿のヨウが笑顔で駆けてくる。狼耳がパタパタと振れて可愛らしく、同じ狼のビーストでもマガミと全然違うなとセンリはぼんやり思った。


「センリさん! こんにちは!」

「こんちは。今日も頑張っとって偉いな」


 センリがそう言うと、ヨウは嬉しそうに笑った。

 その後ろから木刀を持ったカナギがふらりと姿を現した。普段の彼は練習でも真剣を使っていたが、ヨウに不慮の怪我を負わせないため、センリが稽古用に作った木刀をずっと使っているようだった。


「カナギもお疲れさん」


 センリはカナギに微笑みを向けた。カナギは少しだけ口角を上げ、応えるように頷いて口を開いた。


「センリ。もうマガミさんから今度のイベントの話を聞いたか?」

「今度のイベント?」


 センリは首を傾げた。庭に戻って素振りを再開するヨウを見守りながら、カナギは言葉を続けた。


「次のイベントはPvPで、2人パーティ限定のトーナメントらしい。俺とセンリで出場してこいと、マガミさんから指示を受けた」


 その言葉を聞いたセンリは深々とため息を吐き、眉を寄せながら言った。


「また勝手に決めくさって……分かった。ちょいとマガミに詳しく聞いてくるわ」

「ああ」


 カナギは労うようにセンリの肩をぽんと叩いた後、思い出したかのように口を開いた。


「そうだ、センリ。この前見せてくれた面白い刀、一度俺に使わせてくれないか」

「え? あの金が入ったやつ?」


 センリが尋ね返すとカナギは一つ頷いた。


「ええけど、ダメージ入らんから攻撃手段にはならんで?」

「補助として使いたい」

「補助……」


 そこまで言ってセンリははっと息を呑んだ。


「もしかして、できるんか? 二刀流」


 するとカナギは少年のようににやりと笑い、ぐっと親指を立てて見せた。彼の悪戯っぽい仕草にセンリもつられるように笑みをこぼした。


「ほな、今度のPvPイベントでお披露目と行こか」

「そうだな」


 カナギと笑い合い、センリはその場を後にした。

 玉砂利の詰まった庭を過ぎ、冷たい石作りの玄関から中へ上がる。ひんやりとした木板の廊下をさっさと歩くと、いつもの座敷が見えてきた。

 障子の前に立ち止まり、センリは口を開いた。


「センリや。入るでー」


 すぐに中から低い声で応答があった。


「おう」


 センリはするすると障子を開け、薄暗い座敷の中に足を踏み入れた。

 外からはヨウのはしゃぐ声と、カナギの師匠然とした指導が聞こえてくる。その賑やかさとは逆に、座敷の中は張りつめた静けさで満ちていた。


「俺とカナギを組ませてイベントに出すって、本気か?」


 センリは少し鋭さを滲ませてそう尋ねた。マガミは書机の上の紙面を睨んだまま、いつも通りの落ち着いた声で答えた。


「カナギに戦う理由を思い出させるためだ」


 センリは納得がいかないという顔をした。それを知ってか知らずか、マガミは疑問を差し挟む余地などないと言うように、矢継ぎ早に続けた。


「あいつは勝ち負けの世界で生きてきた。勝者への賞賛、敗者への冷遇。その空気感を味わうことで、あいつはますます研ぎ澄まされる」


 警察官だったマガミ自身、剣道や柔道の試合を何回も経験してきている。だからこそ、同じ生き方をしてきたカナギに必要なものが分かるのだろう。

 しかしセンリは険しい顔を崩さなかった。


「カナギに戦い続けてほしいんは俺たちのエゴやろ。それを隠したまま、あいつ自身の意志で戦いの道を選んだみたいに見せかけるんは、卑怯やと思うで」


 その言葉を聞いたマガミは、鋭い眼光をセンリに向けた。


「お前だって隠しているだろ。あいつに」


 彼の言葉は的確にセンリを貫いた。たじろいだセンリは何も言い返せず、ぐっと押し黙ってしまう。

 マガミは再び紙面に視線を落とし、筆を取ってさらさらと書き加えながら言った。


「カナギの評判が上がれば、このギルドも有名になる。それでいいじゃねえか」


 それを聞いたセンリは不服そうに口を尖らせた。


「俺は全然関係ないんやけどな」

「お前の刀も有名になるさ」


 マガミはたしなめるようにそう言った。そして筆をおき、墨を乾かすようにぱたぱたと手で仰いでいる。


「墨汁の滲みまで演算しやがる……。不便さを技術で演出する時代たあ、全く不気味になったもんよ」


 センリはため息を吐き、少し間を取って口を開いた。


「小さな不便さは人同士の繋がりを深めるのにちょうどええ。あんたが墨を手で乾かしている片手間に、俺と会話できるようにな」


 外からヨウとカナギの笑い声が響いた。ヨウの師匠のように振舞う彼は、どんなときよりも生き生きとしているように思えた。


「そういう時間が人間には必要なんや。技術の革新によって効率的に時間を食い潰されるようになってから、孤独という苦しみが生まれた」


 センリは目を伏せるように俯いた。


「どうしようもないほどの孤独を抱えた人は、殺人やテロのような歪んだ形で社会と関わろうとした。カナギが巻き込まれたあの事件だってそうだった」


 その言葉を聞いたマガミは、せせら笑うように軽く息の塊を吐いた。


「お前がそれを言うかよ。技術革新の申し子だろ、お前こそが」


 センリはいつもの笑みを消し、黄緑色の瞳を現して言った。研磨されていないペリドットのような色合いの中に浮かぶ瞳孔は、暗い部屋の中を見通すように大きく広がった。


「だからこそや。俺がこの世界を変えてみせる。それが……兄さんに報いることやと思うから」


 センリの言葉は静かな座敷に染み入るようだった。


「報いる、ねえ」


 マガミは皮肉っぽく返した。そして墨が乾いたらしい書類を数回折り、懐に入れながら響く声で言った。


「センリ。分かっているとは思うが、あの力を使うなよ」


 センリは糸目の笑顔を張り付けて答えた。


「もちろん。カナギにたっぷり刀の宣伝をしてもらうわ」


 マガミは狼耳をぴくりと震わせ、のっそりと立ち上がった。

 その瞬間、大きな破壊音が響いた。どうやら飛んできた木刀が障子を突き破ったらしく、座敷の中にすっぱりと切られた姿で落ちている。

 真横の障子に風穴を開けられたマガミは、いつの間にか彼の身長ほどある大太刀を手にしていた。それが飛んできた木刀を一瞬のうちに切り裂いたのだと、センリは遅れて理解した。


「す、すみません! 木刀飛ばしちゃいました!」


 外からヨウの慌てた声が聞こえてきた。マガミは面倒くさそうに頭を掻きながらも、障子をがたっと開けて声をかけた。


「俺たち狼のビーストは力が強いからな。気を付けろよ」


 障子と木刀の修理のことを考えて、センリはため息を吐いた。

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