008: 光明 -- レーセネまで

 太陽がだんだんと沈んでいく中、来た道を戻りながらカナギはぽつぽつとセンリに語った。


「二年前の夏、駅前の歩行者天国に自動車が乱入する事件があった。……そのとき俺は、ちょうど駅から出てきたところだった」


 センリはただ黙って彼の話を聞いていた。山の向こうへ落ちていく夕日が、センリの横顔を眩しく照らした。


「やけに騒がしいなと思った。何が起きているのか見ようとして顔を向けた瞬間、車に撥ねられた子供が俺の方へ飛んできた」


 センリの落とす影に呑まれたカナギの顔は、前髪に覆われてよく見えなかった。


「俺は顔の骨折と、右目の破裂だけで済んだ。子供はたぶん、その時点でもう既に死んでいたと思う」


 聞くだけで壮絶な話だった。これがカナギの心の中でずっと映像として残っているのだと思うと、センリはどう相槌を打つべきかすらも分からなくなってしまった。


「骨は手術で修復できたけど、眼球は流石に戻らなかった。神経接続型の義眼なら健常な人と視界も見た目も変わらなくなるけど、強い衝撃を受けると壊れる可能性があるから、どちらにしても剣道は続けられないって……」


 カナギの語尾は墨が滲んだようだった。大きく呼吸をして、今度は無理やりに上ずらせたような声でカナギは続けた。


「マガミさんから聞いているかもしれないけど、俺は剣道界の中で結構期待をされていたんだ。俺1人で20人も倒して、期待の星だとおだてられた。その直後の宣告だったんだ。人生って、こんな簡単に終わるんだって思った」


 カナギはそこで前髪をかき上げ、歪んだ笑みを見せた。涙が乾いてしまった泣き笑いのようだった。


「でも俺は別に辛くなかった。剣道を辞めること自体は全く苦じゃなかったんだよ。辛かったのは……親も俺自身も、俺には剣道以外に何もないって思っていたことなんだ。剣道をやれなくなった後の俺は、燃え残ったゴミでしかないって……誰もがそう思っていたことなんだ」


 期待を一身に背負っていたカナギは、一転して誰からも見向きをされない存在になってしまった。

 それがどれほどの苦痛をもたらしたか、推し量ることすら自分には許されないと、センリはそう思って歯を噛みしめた。

 語り終えて少し気が晴れたのか、カナギは爽やかな笑みを浮かべてセンリを振り返った。


「センリ、お前は俺に期待をしてくれた。だから俺は頑張るよ。お前の刀に相応しい使い手になってみせる」


 そして差し出された手を、センリはおずおずと握った。斜陽に照らされたカナギは、きらきらと輝いて見えた。

 カナギはセンリの手を強く握り返すと、そのまま引っ張ってレーセネに向かって走り出した。つんのめって駆け出したセンリは、彼の笑顔の眩しさに目が眩みそうだった。


「ちょいまち、ちょいまち!」


 センリが慌てて声をかけても、カナギは笑うばかりで足を止めようとしなかった。


―――――


 また別の日、マガミから呼び出されたセンリが自分の店から武家屋敷に向かおうとする途中、通りかかった噴水広場で何やら困った様子のカナギを見かけた。


「あれ? カナギ珍しいな。どしたんこんなところで」


 センリがそう声をかけると、カナギは振り向いてぱあっと顔を明るくした。


「稽古場から帰ろうと思ったら、迷子がいて放っておけなくて……」

「迷子? プレイヤーか?」


 カナギの言葉に怪訝な顔をしてセンリが歩み寄ると、カナギの前には小さな少年の姿があった。

 その稲穂のような髪の中からは狼らしい耳が生えている。しかし小柄な体躯のせいで、どちらかといえば子犬のように見えた。こんがり焼いたパンのような瞳の色も相まって、彼の姿は暖かな日差しそのもののようだった。

 センリは彼を怖がらせないように、そっとかがんで挨拶をした。


「初めまして。俺はセンリっちゅうて、こっちの黒毛玉のお兄さんのお友達やねん」

「誰が黒毛玉だ」


 変な言い方をされたカナギはすぐにムッとなって言った。その横で少年はゆっくりと頷き、気弱な様子でおどおどと口を開いた。


「お、俺はヨウです」

「ヨウ! ええ名前やね」


 センリがそう褒めると、少年は複雑そうな顔になって俯いた。カナギが心配そうな顔になって、覗き込むようにしながら尋ねた。


「ヨウ。行く宛はある? 俺たちと一緒に来るか?」

「俺たちと一緒にって……連れていくつもりなん!?」


 思わずセンリは声を上げた。強面のマガミが仕切る『仇花の宿』は、子供をおいそれと連れていくべき場所では無いように思えた。

 カナギは当然のように頷いて、冷静に言った。


「この子はビーストってやつなんだろ。一人で街を歩き回るのは危険だ」

「ああ、まあ……せやな」


 ビーストという種族はNPCからの心象が悪く、たとえ安全な街中であっても決して安らぐことはできない。見るからに年若いこの少年が、一人でその暮らしを乗り越えていけるかどうか、たしかに心配だった。

 カナギは視線をヨウに戻して再び問いかけた。


「一緒に来てくれるか?」


 するとヨウはあっさりと頷いて、ひそひそと打ち明けるように言った。


「本当は姉ちゃんと一緒じゃなきゃダメなんですけど、実は喧嘩しちゃって……それで置いてかれたんです」


 その言葉を聞いて、センリとカナギはまた顔を見合わせた。


「これ、姉ちゃんを待つべきなんちゃう?」

「確かに……」


 二人がそう言い合っているのを、ヨウが遮るように言葉を続けた。


「姉ちゃんは俺を迎えに来ません。お互いこの世界では関わらずに生きようって……そういうことになりましたから」


 そうきっぱりと言い切ったヨウはさっと顔を上げて、決意のこもった眼差しでセンリたちを見据えた。


「お願いします! 俺を一人でも生きられるくらい、強くしてください! 姉ちゃんに頼らなくても生きていけるようになりたいんです!」


 その真っ直ぐな頼みに反応したのは、カナギだった。


「もちろんだ」


 カナギもまた真摯な顔つきになっていた。光が強まると影も増すように、黒髪をなびかせるカナギは凛としてヨウを見つめ返していた。

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