002: 悪戯 -- 『仇花の宿』にて
カナギが『仇花の宿』に加入して数日。センリはマガミの言いつけ通り、カナギがログインするたびにその様子を見に来ていた。
「やっほー、カナギ。調子どない?」
「……なんで毎日来るの。店は?」
「うちの客なんて、ここのギルドの人しかおらんで。実質ここが商売場所なんやから、店開けたってええの」
ここは『仇花の宿』のギルドメンバーが身を休める武家屋敷風のギルドホールだ。客間として使われる一番広い和室の他は出入り自由で、縁側や和室でくつろぐメンバーの姿が散見される。
カナギも縁側に座り、朝の陽ざしを浴びながらぼんやりと庭を眺めているところだった。現実世界で片目を失った彼は、ゲーム世界の景色を両目で見るのが好きなようだ。
「んで、この世界の戦い方にはもう慣れた?」
そう聞きながらセンリはカナギの隣に腰掛けた。彼は庭から目を離さず、ぶっきらぼうに答えた。
「さあ。まだそんなに戦ったわけじゃないから」
「ふーん。まあスキルが育ってへんうちは、無理して戦わんほうがええかもしれんな」
「だからしばらくはここでスキルを育てる。戦闘スキルを伸ばしたくなったら、草原辺りでモンスターを狩ってくる」
「ええやん。手伝ってほしいことあったら遠慮なく言うてな」
カナギはただぼうっとするような人間には見えなかった。スキルのレベルを上げるためにこうして庭を観察し続けているのだろう。
恐らく<索敵>の育成かと見当を付けつつ、センリはふと思い出してインベントリからガラス瓶を取り出した。
「何それ」
カナギは不思議そうにその藤色の瞳を向けた。センリの手の上のガラス瓶の中には、まるで金平糖のような色とりどりの小さな粒がぎっしり詰まっていた。
「スキル上げのために開発された菓子や。まあ一つ食べてみ。この黄色いのとかええんちゃう」
センリはそう言って瓶の中から黄色い粒を取り出した。まるで星のようにうっすら光を放つそれをしげしげと見つめたカナギは、おずおずそれを受け取って口の中にころんと入れた。
「むっ!」
瞬間、口の中でばちばちと粒が弾け、カナギの全身が痺れたようになった。その黒髪は威嚇する猫のようにぶわっと膨らみ、下を向いてこらえたセンリは我慢しきれず一度に吹き出して笑った。
「あーっはっは! 怒ったハリセンボンみたいや!」
カナギはむっとした顔をしたが、粒のはじける勢いが強いせいでなかなか口を開けられないようだった。ひとしきり笑って落ち着いたセンリが目尻の涙をぬぐい、まだ怒り顔のカナギにようやく説明をした。
「これは食べた人を状態異常にする飴やねん。<毒耐性>、<麻痺耐性>、<睡眠耐性>。この三つのスキルは状態異常になればなるほど成長するんや。そいで、この飴の出番っちゅうわけよ」
「さ、先に言え!」
麻痺が収まったらしいカナギが髪をぼわぼわにしたまま叫んだ。それを見てセンリはまた肩を震わせ始め、カナギの眉尻をますます吊り上げさせた。
「はーおもろ、悪かったって。この飴やるから堪忍してや」
「飴はありがたく貰っておく。全く……これのどこが気の合いそうな奴なんだか」
センリの手からぱっとひったくるようにガラス瓶を受け取ると、カナギはすぐさまそれを仕舞ってぶつぶつと呟いた。
「気の合いそうなやつ?」
センリは耳をぴくりとさせて尋ねた。まだ口をへの字にしたままのカナギは、ちらりとセンリを見てぶっきらぼうに答えた。
「マガミさんに言われたんだよ。『お前と気の合いそうなやつもいるぞ』って。俺はこのゲームをマガミさんに貰ったんだけど、そのときに」
「へええ。あん人、俺をそんな風に紹介してくれたんや。というか、わざわざゲーム買ってプレゼントするなんて、よっぽどカナギのことを気に入っとるんやな」
「……まあな」
カナギは目を伏せた。それ以上は何も言いたくないようだった。
とはいえセンリは、既におおよその事情をマガミから聞いていた。
警察官として危ない現場を渡り歩いてきたマガミは、剣道界の麒麟児であったカナギのことを高く買っていた。マガミ自身、腕っぷしだけで警察のヒエラルキーをのし上がってきた人間だった。
だからこそ、こうしてカナギに活躍の場を与えたいのだろう。自らの手駒として。
「もしそんなことになれば……」
「……ん? 何か言ったか?」
どうやら考え事に夢中になって、何か口走ってしまったらしい。じっとこちらを見てくるカナギに、センリは慌てて手を横に振った。
「な、何でもないで! ちょっと考え事をしとっただけや」
「ああ、そう。それなら店に戻ってやればいいのに」
「ぐっ。その通りすぎてなんも言えん……」
冷淡に返したカナギは、口ごもるセンリを他所にまた庭を見渡した。
何も気にせず、何にも縛られずにここにいると、そう信じているかのような横顔だった。
後日、センリはカナギがいる時間を見計らって仇花の武家屋敷を訪問した。カナギの様子見も兼ねているが、本旨はマガミへの相談だった。
「マガミー。入るで」
武家屋敷の中で最も広い和室は、マガミに用がある人のための客間のようになっている。
その障子をすっと開いて顔を覗かせたセンリは、思わぬ先客に眉を上げた。
「なんや。カナギおらんなと思うたけど、ここにおったんか」
「俺に見張っておいて欲しいんだとよ」
書机の前にどっかり座ったマガミは手に持った書類を睨みながら答えた。
その奥には、壁にもたれかかるようにして眠るカナギの姿があった。
「ここでそない警戒することあらへんやろ」
「カナギはそう思わないんだろう。人一倍警戒心が強いのか、それとも誰かに悪戯されるのを警戒しているのか……」
そう言ってマガミは書類から顔を上げ、センリににやりと笑ってみせた。カナギの持つ状態異常を付与する飴の瓶を見て、誰がその入れ知恵をしたのかすっかり予想がついたのだろう。
「悪戯やなくてスキル上げの手伝いのつもりやったんやけど」
「あまりからかってやるなよ」
センリは嗜めるようなマガミの言葉にますます口を尖らせた。しかしすぐに胡散臭い笑顔に戻り、マガミの方を向いて言う。
「なあ、そろそろカナギを外に出してもええよな? レーセネでも案内したろうと思うんやけど」
センリの言葉にマガミは少し考え込みながら答えた。
「そうだな。うちでできることもそろそろ尽きる頃か」
そして書類をとんとんと束にしてマガミは立ち上がり、そのまま部屋を出て行こうとする。
「ちょいちょい、カナギを置いてってええんか?」
「お前が横にいてやれよ。俺はログアウトして用事を済ませてくる」
呼び止めるセンリの声もむなしく、マガミは笑みを浮かべたまま去ってしまった。
仕方なくカナギの側に腰を下ろし、センリはため息を吐く。
「これ、文句言われんの俺やん……」
睡眠という状態異常と格闘しているカナギに、その言葉が届くことはなさそうだった。
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