第七章閑話
第419話 閑話:とある平凡な男の回顧録
――――。
以上が装置の使い方だ。
次にここを訪れる者も使うのだから、丁寧に扱うように。
さて、もう少し頁の薄い本を選ぶべきだった。
余白が残っているので、ここから先はくだらない戯言でも書くとしよう。
俺が二度目の生を受けたのは、今は滅んだ弱小貴族家だった。
当時は弱小貴族家、あるいは都市国家が乱立する時代。
治めていたのは屋敷がある街のほかに村が3箇所のみで、領内の総人口は3千程度。
貴族とは名ばかりで、実態は商家に毛が生えた程度の小さな家だ。
成り上がった商家が私兵を抱え、いつからか貴族を騙り始めたのだろう。
そんな風に冷めた目で見ていた俺が真実に気づいたのは、7歳のときだ。
平和と戦争を短い周期で繰り返す周辺貴族家から、近辺の人々を守るため。
街の有力な家と共謀して貴族を名乗り始めたのが我が家の興りと知ったことで、俺は家を大きくすることを二度目の人生の目標と定めた。
この世界は前世よりもいくらか文明が遅れていたから、前世で研究職として蓄えた知識は非常に役に立った。
農地改革による収量の増加。
生活を豊かにする道具や設備の開発。
分業と専門化による生産性の向上。
豊かな土地と周辺地理を生かした流通の誘導。
専門分野はもちろん、専門外の分野においても改善できることから積極的に手を付けた。
ときに自身で提案し、ときに父や側近に気づかせ、少しずつ俺が望む方向に領地を動かした。
当主である父は嫡男である俺が類まれなる優秀さを示したことで歓喜し、それが領内に伝わることで領地の将来に期待する向きも強くなり、益々領内の経済にとって追い風となる。
平凡だった領地は、わずか5年足らずで見違えるような発展を遂げた。
だが、そこまでだった。
俺は所詮研究職で、実家は成り上がりの商家でしかなかったのだ。
急速に発展した弱小貴族家が、周辺貴族家からどう見えるか。
将来大きくなるであろう我が家を見て、周辺貴族家がどのように考えるか。
今となっては火を見るよりも明らかだが、当時の俺は自領の発展が周辺地域にも良い影響を与える、周辺貴族家にも歓迎されると信じていた。
愚かな俺が真理に気づいたのは、周辺貴族家の連合軍に侵略され、炎に包まれた屋敷から逃げ出したときだ。
そのときの俺は成人すら迎えておらず、たまたま一緒にいた歳の近い友人や従者とともに追手から逃れるだけで精一杯。
知識と策だけでは太刀打ちできない純然たる暴力によって、家族は皆、躯と変えられた。
二度目の人生で掲げた目標が灰となって燃え尽きた後。
俺の新たな目標は、復讐となった。
何者でもなくなった俺について行くと言ってくれた仲間とともに、俺は傭兵団を立ち上げた。
名を変え、住処を変え、現状に不満を持つ仲間を集め、戦力を拡大した。
仇である周辺貴族家を族滅したのは、故郷を滅ぼされてからわずか3年後のこと。
この程度の弱小勢力に滅ぼされたのかと、空しくなるほどあっけない勝利だった。
領地を回復した勢いで周辺地域を手中に収めると、俺は仲間と共に帝国を興し、皇帝を名乗って近隣に覇を唱えた。
贅沢がしたかったわけではない。
権力が欲しかったわけでもない。
俺はただ、自身が背負ったような理不尽を世界から駆逐したかった。
貴族共が自領の事ばかり考えて延々と争い続ければ、その地に住まう民は疲弊し続ける。
ならば一時は苦しくとも、広域を国家として統一することで、将来の安寧を作り出すことは無駄ではないと信じたのだ。
しかし――――どこでボタンを掛け違えたのか。
あるとき、俺は、俺自身が理不尽の塊となっていることに気づいてしまった。
将来の安寧を目指し、最善の判断を下してきたつもりだ。
結果が伴わないことは幾度もあったが、明確に判断を誤ったことはほとんどなかったはずだ。
だが、誰にとっても素晴らしい支配者など、存在しえないのだ。
国力向上のために新たな産業を興せば、それによって廃れる産業に従事する者から憎まれた。
治水のために広く労役を課せば、労働力を奪われた地域の収穫量が低下し、恨まれた。
誰かにとって善き皇帝は、誰かにとって非情な皇帝でしかない。
そんな当たり前の事実から目を逸らしたまま、気づけば遠くまで来てしまった。
だが、もう止まることはできなかった。
ここで歩みを止めれば、俺の理想に殉じた者たちも、俺が踏み潰した者たちも報われない。
帝国の全てを自由にできる身でありながら、もはや自分の未来すら自由にならない。
俺はもう、皇帝以外の何者にもなれなかった。
国境を接する貴族家を次々に臣従させ、周囲が弱小貴族家ばかりとなったとき。
俺はようやく領土拡大の方針を修正し、内政に力を入れることができるようになった。
それ以降は、武力を用いずとも懐柔によって国土が広がった。
国境線が南北の海岸に達すると、周辺に帝国に対抗しうる国家は皆無となった。
俺は、かつて弱小貴族家の嫡男が行った数々の改革を、皇帝として遂行した。
もちろん幼い頃と違い、官吏や技術者には困っていない。
俺が描いた青写真は、優秀な者たちによってこの国に適合する形で具現化され、帝国をより強く豊かな国へと押し上げた。
俺の治世の下、帝国は順調に発展した。
一代で大陸東部の覇権を手にした自身の権勢と、膝元である帝都の圧倒的な繁栄。
それら背景として、帝国に組み込んだ貴族や小国から少しずつ権力を奪う代わりに、その所領を豊かにしていく。
帝国全土で統一的な中央集権を実現すると、ついに俺の目の届く範囲から戦争は消えた。
相対的な貧富は依然として存在し、飢饉が発生すれば飢えて死ぬ者も皆無ではない。
しかし、鶴の一声で大量の金貨と食料を動かせば、不作の度に他領から食料を強奪する必要も、口減らしのために戦争を起こす必要もない。
国土が広がるほどに、帝都に集まる権力が強くなるほどに、富の調整も容易になった。
帝国は繁栄し、帝都に住む人々に笑顔があふれた。
これから長い時間をかけて、俺が磨り潰し、あるいは踏み潰した以上の笑顔を生むはずだ。
俺は、一体誰に言い訳をしているのか。
本当にくだらないことを書いた。
これはついでの話だが、もし、家妖精のハナが美術館となった宮殿に囚われているようなら、どうか自由に振舞うよう促してほしい。
声が出せるうちに伝えるつもりだが、お互い素直な性格はしていない。
上手く言えるか、正直なところ自信がない。
褒美の対価とは言わない。
見つからないなら、無理に探す必要もない。
なあ。
今、この本を手にしているお前の目に、帝国はどう映っている。
良い国か。
泣く者が少ない国か。
そうであれば、心を殺して皇帝などという畜生になった甲斐がある。
しかし、国とは移り変わるものだ。
前世を引き合いに出すまでもなく、国は栄え、いずれ滅ぶ。
この国が衰えた先で滅ぶならば、それで良い。
だが、もしも。
俺が仲間たちと興した国が、多くの犠牲の上に築いた帝国が。
病のような何かとなって後世に残り、世界を蝕んでいるのだとしたら。
そのときは、躊躇なく滅ぼしてほしい。
平和を手にした帝国に過剰な力は不要。
度が過ぎる力を、継承するつもりはない。
ここに辿り着いたお前なら、叶うはずだ。
そのための力と知恵は、もうお前の手にあるはずだ。
ああ、そうだとも。
お前が越えて来た試練は、転生者を殺し尽くすための罠だ。
用意した褒美は、周囲を不幸へ誘う愚者を滅ぼすための毒餌だ。
簡単な課題などと書いたが、俺はお前を殺すために全力で知恵を絞った。
それを越えて来たお前は、俺よりも能力に恵まれているはずだ。
どうか、頼む。
その力と知恵を以て、より良い未来を――――
本当に、下らぬことを書いた。
もう、残された時間は長くないゆえ、書き直しはしない。
忘れろ。
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