第420話 閑話:とある元商家令嬢の物語3
「遠慮なく朝帰りしてください。帰って来ても、食事はありませんからね」
あんまりな言葉に背中を押され、あたしは家を出た。
声の主は、戦争都市から帝都経由で帰り着いた昨日からうわの空が続いているあたしの親友。
指輪をはめた自身の指を見つめているかと思えば、指から外して箱に入った指輪をまた見つめている。
先ほどの言葉も応援の気持ちは半分で、残りは指輪を眺めながら物思いにふける時間が減るから家事をしたくない――――そんな本音が占めていると断言できる。
とはいえ、親友の大切な時間を邪魔するのは忍びない。
朝帰りはともかく元々夕食は外で済ませる予定だから、好きなだけ指輪を眺めていてほしい。
(まさか、あたしがここに立つ日が来るなんてね……)
辺境都市中央の噴水前。
言わずと知れた恋人たちの待ち合わせ場所は、今日も若い男女で混雑している。
待ち合わせの相手はまだ来ていない。
それもそのはず、時計台を見上げると約束の時間までは十分過ぎるほど余裕が残されていた。
別にあたしの気がはやったわけではない。
指輪に魂を奪われたような親友を眺め続けるのは、どこか居心地が悪かったからだ。
しかし――――
「あら?もしかして、コーネリアさんですか?」
こうなると知っていたら、もう少し家でゆっくりしていたのに。
あたしに声を掛けたのは、商家令嬢だったとき仕方なしに交友関係を持っていた女の一人。
何かと自身の優位を主張したがる嫌味な奴だから、こんなときに会いたくはなかった。
内心で舌打ちしながらも、社交で培った外面を被るのは一瞬だ。
「ごきげんよう。待ち合わせですか?」
「ええ、恋人と待ち合わせをしておりますの。コーネリアさんは……あら?」
視線があたしの全身を舐めまわすように動いた後、女の口の端が上がる。
社交の場で、あたしが隙を見せることはほとんどなかった。
容姿も実家も、客観的にあたしに勝っているところが少なかったこいつは、あたしに対して勝手な競争意識を燃やしていたようだけれど。
「あら、あらあら……」
「…………」
悔しいことに、今のあたしはわかりやすく隙を晒している。
目の前の女は、それを見逃すほどお人よしではなかった。
「ご実家が大変ですものね。季節に合う服を用意できないのは、仕方ないことだと思いますよ」
季節は流れ、6月も終わりが見える頃。
春服でこの場に居るあたしを蔑むのはさぞかし楽しいだろう。
正直に言えば、あたしも迷った。
選択肢は、昨年の夏服と今年の春服。
せめて昨年の流行りと今年の流行りが大きく変わっていなければ、昨年の方が好みだと言って通すこともできたのだけど。
流行りを決めている誰かを恨めしく思ったのは、これが初めてだった。
(まあ、言っても仕方ないことね……)
今着ている服は、商家令嬢時代に購入した一式で金貨5枚は下らない特注品。
今後、季節が変わるたびにそれを支払うのは現実的ではない。
幸い冒険者としての収入は小さくないし、つい最近は大きな臨時収入もあったけれど、収入に見合った服に切り替えるのは当然だ。
どんな服か楽しみにしているなんて言われなければ、商家令嬢時代の服を引っ張り出すことだってしなかった。
頭を社交用に切り替えた状態なら、内心にかかわらず作り笑顔を維持することは容易い。
無言で嫌味に耐えていると、女の待ち合わせ相手が先にやってきた。
「私の恋人を紹介しますわ」
少し年上の男の身なりは上等なもの。
名前を聞けば、あたしの記憶が男の実家を速やかに特定する。
辺境都市の領主家に仕える男爵家、たしか嫡男だ。
序列は高くないけれど、相手はれっきとした貴族だった。
「せっかくですから、コーネリアさんの恋人にもご挨拶させていただきましょうか。きっと、もうすぐお見えになるのでしょう?」
男がそれを了承すれば、あたしが断るのは難しい。
まだ来ないと言えば、そんなに早くから待っていたのかと嘲笑されるだけだ。
(さっさと消えればいいものを……)
いっそ、商家令嬢の仮面なんて投げ捨ててしまうのも1つの選択肢だ。
少し不愉快な思いをするかもしれないけれど、二度と会話しなくて済む関係になってしまえば後腐れない。
そちらに考えが寄ったとき、背後から声が聞こえた。
「済まない。待たせてしまったようだね」
「…………ッ」
跳ねる鼓動を抑え、剥げかけた仮面を被り直し、ゆっくりと振り返る。
銀色の髪を揺らして小走りで現れたのは、あたしの待ち合わせ相手。
服は予想よりラフ寄り。
ただ、しっかりと流行りは抑えていた。
(まあ、本人は流行りなんて気にしてないかもだけど……)
むしろ、こいつが着た服が流行りになるかもしれない。
そんな馬鹿な妄想が現実味を帯びるくらいに、何を着ても似合うのが卑怯だ。
「ま、待ってなぃ」
「そうかい?ところで、そちらはご友人かな?」
「あ……、ぅん……」
さっきから、なんだか喉の調子が悪い。
咳払いをしてクリスを紹介すると、銀髪の美男子は歌うように口ずさんだ。
「クリストファー・フォン・カールスルーエだ。つい先日まで領主軍の第一軍団司令官を拝命していたけれど、今は無役だから気を遣う必要はないよ」
その自己紹介で、取ってつけたような気遣いを真に受ける奴がどこにいるというのか。
あたしの待ち合わせ相手が貴族だとは、まして自分より遥かに格上だとは思わなかったのだろう。
たっぷり数秒も呆けた後で、我に返って姿勢を正した相手の男を少しだけ気の毒に思う。
貴族の格に関してクリスと互角以上といえるのは、それこそ領主の実子くらいのもの。
大領主家の直系を前に、嫡男とはいえ男爵家が気安い態度を取るのは、少々どころでなく難しい。
「さて、相変わらず似合っているね。夏服を選ばせてくれる約束も、覚えていてくれたようで嬉しいよ」
そんな約束はしていない。
抗議の言葉が口から出ることはなく、あたしは優しく手を引かれて歩き出した。
どうにも調子が出ない。
顔が熱い。
少し頭を冷やさないと、どうにかなってしまいそうだ。
原因から視線を逸らすと、そこには西通りの装飾品店。
ガラス張りの店内に配置されたネックレスやブレスレットが目に入る。
その中には、当然リングもあった。
「…………」
ティアから、あいつと結ばれたという報告は聞いている。
男に人気がある親友ならもう少し上を狙えると思うけれど、本人は幸せそうだから多分これでいいのだろう。
黒髪で目つきが悪い冒険者。
決めるところは決めるけど、手抜かりや欠点も目立つ男だ。
面倒見が良いティアであれば、そういうところも含めてお似合いかもしれない。
もちろん、自慢の親友だって欠点がないわけではない。
唯一と言っていいほどの欠点というか悪癖は、親友のあたしから見てもちょっとどうかと思ってしまう酷いものだ。
そのせいで自分が辛くなることだって多いはずなのに、やめろと言っても聞きやしない。
それが露見したからと言って、あいつが愛想をつかすとも思えない。
ただ、それも度が過ぎればどうなることか。
できれば後戻りできるうちに落ち着いてくれたらいいと、祈ってはいるけれど。
(だいたい、ティアは男に夢を見過ぎよ……)
社交で聞かされる話の中には、作り笑顔が引きつるような下劣なものなんていくらでも転がっていた。
あたしの不肖の父のように、娘の親友を愛妾にしようと企むような大馬鹿野郎は極端にしても、男なんて女をモノのように扱う奴ばかりだった。
性欲を吐き出すための穴だと公言したり、アクセサリー扱いしたりするのはまだ序の口。
下手すれば、自分はこんなに多くの女を養えると示すための豊かさの指標として――――女を数字として扱う男すらいた。
それに比べれば、あいつの女好きなんて可愛いものだ。
悪い部分にばかり着目したって仕方がないし、あたしやティアにだって欠点はあるのだからお互い様だ。
女も男も、完璧な人間なんていない。
よほどのことでなければ、都合の悪い部分は見なかったことにするくらいで、きっと丁度良いのだ。
だから――――
「うん、似合ってるよ。本当に綺麗だ」
「…………ッ」
だから、醜い正体を現せ。
早く、あたしが、どうにかなってしまう前に。
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