第418話 未来を語れば
世界が俺に意地悪をしている。
しばらく殻に閉じこもって妄想に囚われていた俺だったが、クレインに促され、左右の褒美も受け取ることにした。
まずは左側の装置の台座に保管庫から出したありったけの金貨を積み上げ、高そうな財宝を獲得することで幾分か落ち着きを取り戻す。
しかし、その直後――――
「ざっけんなクソ皇帝!!!読めねえに決まってんだろうがあああ!!!」
右側の装置を使用した俺は、手にしたばかりの落ち着きを投げ捨てて喚き散らした。
孤児院出身である俺の知識なんて高が知れているとは思う。
妖魔や精霊どころか昔の人間にまで騙される昨今、自分が賢いと主張するのも虚しい。
だが、現在において古語とされる文字で問題文を書くのは卑怯だろう。
試験の問題文を古文や漢文で書かれたら受験生だって発狂する。
自身が普及していたであろう帝国共通語を敢えて採用せず、わざわざ習得しなければ読めない他言語を採用するあたり、本当に性格が悪い。
二百数十年前の人間に言っても仕方ないのは理解しているが、これで知識ゼロと判定されるのでは到底納得などできなかった。
しかし、現実は無情だ。
装置が俺だけに見える角度で問題文らしきものを投影すると同時、台座の四隅にそれぞれ出現した色違いの光る玉。
雰囲気だけでカウントダウンを告げる解読不能の文字を前にどうすることもできず、運に任せて1つを掴めば残り3つの魔石は消滅、掴んだ魔石は1枚の紙に化けた。
おみくじのような紙片は読めなかったので詳細不明だが、おそらく四択問題でハズレを引いた結果、参加賞を頂戴したのだろう。
獲得した紙きれはクレインに見せずに握り潰し、速やかに保管庫に放り込んだ。
何か古語で書かれていたが、「もっと勉強しましょう。」なんて声に出して読み上げられたら右側の装置を斬り飛ばしたくなるに決まっているのだ。
世の中には知らない方がいいこともある。
俺はまた1つ、世界の真理を知った。
褒美を受け取った後。
クレインが大広間を調査に精を出す一方で、俺は初代皇帝が書いた本を読んでいた。
当然、クレインは文字の詳細を知りたがったのだが――――
『どこまでお伝えすると処刑対象になるのか、わからないんですよ』
『………………』
一瞬で真顔になったクレインは追及を放棄し、二度と詮索しないと名に懸けて誓った。
どうやら初代皇帝の勅令は、帝国貴族にとって究極の厄ネタであるらしい。
勅令違反で滅んだ貴族家は数知れず、かつては勅令廃止を訴えた皇太子まで死んだというから、もはや当代皇帝ですら変えられないのだろう。
「…………」
前書きと褒美の説明は、すでにどうでもいい。
俺が読み込んでいるのは、初代皇帝の回顧録の部分だ。
二百年が経過しても風化しない鮮烈な感情が込められたそれを、ただの読み物として流し読みすることはできなかった。
末尾に記されたお願いまでじっくりと目を通し、パタンと本を閉じる。
少しの間、何とも言えない読後感を味わい、俺は大きく息を吐いた。
「…………無茶苦茶言いやがる」
それが、本を読み終えた俺の率直な感想だった。
呟いた感想が筆者である初代皇帝に届くことはない。
そんなことわかっているが、こぼさずにはいられなかった。
「んお……?」
読み終わった本を元の場所に戻すために立ち上がると同時に、不意に頭がクラッときた。
眩暈かと思って頭を抑えれば、いつのまにやらクレインとともに迷路の中。
どうやら、制限時間が経過してしまったらしい。
展示物を観覧することもなく速足で順路を進む。
先ほどと違って迷うこともなく、俺とクレインは無事に自然公園へと帰還を果たした。
「実に有意義で楽しい時間だった。本当に感謝している」
「こちらこそ。色々とお世話になりました」
追加報酬の追加報酬のさらに追加報酬の話は、無限ループになりそうなので丁重に辞退した。
美術館への訪問自体予定になかったはずだから、色々とスケジュールが押しているのだろう。
報酬の袋を引き渡して握手を交わすと、クレインは足早に去って行った。
一方、報酬の袋を保管庫に収納した俺は、用を済ませるため再び自然公園内の林にやってきていた。
周囲を見回し、人気がないことを確認してから小声でその名を呼ぶ。
「ハナ」
「ローズマリーよ。次は無いから」
不機嫌を隠そうともしない声は背後から。
出現したお仕置きユニットは、ふわりと宙に浮いて視線鋭くこちらを見下ろしている。
お前にその名を許す気はない。
無言の圧力に片手を挙げて降参を示すと、俺はもう片方の手に持っていた本を精霊に差し出した。
「すまなかった。これを持ち出してしまったから、悪いが元の場所に返しておいてくれ」
「…………」
本は独りでに俺の手から離れて宙に浮き、ローズマリーの手に渡る。
渋々という顔をしながら、彼女はそれを大事そうに抱え込んだ。
これで用件の1つは完了だ。
本題を済ませてしまう前に、俺は彼女に1つだけ尋ねた。
「お前、その本は読めるのか?」
「……それを、お前が知る必要はある?」
彼女は答えなかった。
ただ、そんな不満げな態度では答えを言ったのと大差ない。
だから、俺は本題を切り出した。
それは本に書かれた願い事。
そして、初代皇帝から彼に仕えた家妖精に向けられた伝言だ。
こんなこと、自分の口で伝えるべきだろう。
そう思いながらも、褒美への返礼として役目を請け負ったのだが――――
「初代皇帝からの伝言だ。もし、ここに辿り着いた者が美術館に住まう家妖精を見たならば――――」
「その先は必要ないわ」
「…………」
この上なく明確な受取拒否。
メッセンジャーとしては困ったものだが、彼女の寂しげな笑顔を見てしまっては無理やり続けることもできなかった。
「もう、あいつとの契約は切れてるの。だから、どこに居たって私の自由よ。誰であれ、文句なんて言わせない」
「…………そうか」
少し迷った末、俺は彼女の意に沿うことにした。
伝言も想いも、きっと彼女に伝わっている。
ならば、敢えて言葉にする必要もないのだろう。
「大切にしてあげなさい」
去り際、背中に掛けられた言葉が重い。
二百年以上も前に寿命を全うした初代皇帝と、今も生き続ける彼女の姿。
それは、あるいは俺とフロルの未来かもしれないのだ。
いつか俺がこの世界から去った後。
フロルだけが屋敷に残される日が来るとしたら、俺は――――
「…………ふっ」
不意におかしくなってしまい、口から笑いが漏れた。
本に影響されて少しだけしんみりしてしまったが、俺の二度目の人生はまだ始まったばかり。
来年の事を話せば鬼が笑うと言うのに、16歳で終活を始めたら黒鬼だって笑い死ぬだろう。
人生50年としてもまだ3分の1。
50歳で死ぬつもりなど毛頭ない俺には、フロルと過ごす時間がまだまだ沢山残されている。
その先を考えるのは、俺が英雄になった後でも遅くないはずだ。
「いつか、また」
閉園間際の自然公園。
外に向かう人の流れに逆らい、一度だけ背後を振り返って小声で呟いた。
あの部屋に入れるのは一度きりだそうだが、純粋な観光として時折訪ねるのも悪くない。
夕日に照らされた美術館を目に焼き付けて、俺は未来へと歩き出した。
◇ ◇ ◇
「はあ、今日は一日が長かったなあ……」
帝都東側の飛空船発着場に近いホテルの一室。
夕食や入浴を済ませた俺は、保管庫に放り込むためのメモを書いていた。
『心配かけたが、チケットを確保できたから明日朝一の飛空船で帰る。詳しいことは帰ったら説明する』
疲れ切った頭を酷使して詳細をまとめたところで、どうせ半分も伝わらない。
しばらくは都市でゆっくり過ごすつもりだから、報告を焦る必要もないはずだ。
そう割り切って最低限の情報を書き込み、『セラスの鍵』を起動する。
「お……?」
それに気づいたのは、書いたばかりのメモを保管庫に放り込もうとしたときだった。
俺がメモを置くべき場所に置かれている一枚の紙。
それは先ほど保管庫に放り込んだ右側の参加賞でも、ローズマリー直筆のお絵描き入りパンフレットでもなかった。
「……フィーネか」
大樹海にいる間も、こうして何度かやり取りをした。
直近では大樹海を脱出した後で、あと数日で帰れそうだと伝えている。
今度はなんだろうか。
もう待てないから娼婦に戻るなんて書かれていたら、何とか明日まで待ってくれと懇願する手紙を書かなければならないのだが。
俺はベッドに腰かけ、便箋に詰め込まれた文字に目を通した。
『親愛なるアレンへ。
帰還の目途が立ったようなので、こちらの現状を説明します。
アレンに心配を掛けないようクリスさんに口止めされていましたが、実はこちらも厳しい状況です。
春先にアレンから報告を受けた黒鬼の件、新興都市の冒険者ギルドが対応を怠ったようで、現在、辺境都市領内に多数の黒鬼が流れ込んでいます。
騎士団と冒険者が大勢で迎撃に当たっていますが、手が足りていません。
そちらも大変だと思いますが、帰りを待っています。
早く会いたいです。
あなたのフィーネより』
「………………」
捧腹絶倒、黒鬼も笑い死ぬ終活トーク。
やはり、考えた方がいいのだろうか。
馬鹿な感想を胸の中にしまい込み、フィーネの手紙を保管庫に戻す。
俺は大きく溜息を吐き、仰向けでベッドに倒れ込んだ。
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