第417話 大樹海遭難生活ーリザルト2




 扉の先は大広間だった。

 美術館のエントランスに匹敵する広大な空間は、自然公園の迷路には決して収まらない。

 やはり、迷路のどこかで別の場所に飛ばされたのだろう。


 帰り道が少し心配になってきたが、一度ここを出た後で再度来ることができるかは限りなく怪しいので、不測の事態が発生してもいいように早く用件を済ませたい。


「行きましょう」

「あ、ああ……」


 壁面から様々な生き物を象った彫刻たちがこちらを睥睨する中、気後れするクレインを促して大広間の中央へ進む。

 奥に設置されている構造物は一旦放置して、大広間の中央の台座の上、まずはこれを読めと全力で主張する一冊の本を手に取った。


「逆ではないのか?」

「いえ、これで合っています」


 本の装丁に文字はなかった。

 右側から開くと、1ページ当たり10×10で縦横が几帳面に揃えられた日本語が目に飛び込んでくる。


 漢字カナまじりの縦書き。

 転生者以外の手による解読を困難にするためか、句読点はない。

 文体はやや古いが古文というほどではなく、意味を読み取るのに支障はなかった。


 しかし――――


『一国の皇帝である俺様が、懐かしき同胞たちに贈り物を用意してやった。運が良いだけの愚物には勿体無い品々だから簡単な課題を用意したが、知性ある者であれば難しくはなかっただろう。ありがたく思え』

 

 若干意訳が入っているが、前書きの部分からすでにこれだ。

 9枚目に描かれた神経質で嫌味っぽい男が、口元を歪めながら嬉々としてこの文章を書く様子がありありと想像できる。

 自身で国を興すくらいだから有能ではあったのだろうが、こんな人間に皇帝が務まるものか甚だ疑問だ。

 よほど良い仲間に恵まれたのだろう――――なんて言うと自分に跳ね返りそうだから、悪口はこの辺にしておくが。

 

(どれどれ……)


 気を取り直し、クソ皇帝直筆のありがたい文章を読んでいく。


 前書き部分は少々の苦労話。

 お前が受け取る褒美は俺が苦労して手に入れた物だから、感謝して有効に活用しろという上から目線の訓示だ。


 続いて褒美の種類と注意事項。

 主に大広間の奥に設置された構造物の使い方と、この部屋に滞在可能な時間についての説明だった。


 その後の大半のページは――――皇帝として生きた凡庸な男の苦悩が綴られた、回顧録だった。


「…………」


 数ページ読んだところで一旦本を閉じる。

 文章に没入する前に褒美を受け取ろうと思ったのだ。

 時間経過で元の場所に送還されるらしいので、悠長にしてはいられない。

 クレインから今か今かと期待の視線を向けられているせいで、落ち着いて読めないという理由もある。


「褒美について書かれていました。2人でそれぞれ受け取れるようですので、先に試しても?」

「おお、そうか!もちろん構わないとも、早く見せてくれ!」


 興奮気味のクレインに背を押され、大広間の奥へ足を進める。

 そして、3つ並んだ装置から真ん中の1つを選び、その前に立った。


 装置の外観は、5~6メートル四方の台座から生えた金属製の杖。

 台座の高さは30センチ程度で、足を軽く上げれば簡単に乗ることができるものの、その表面は精緻な装飾が施されており、汚れた靴で乗るのを躊躇させる。

 だが、その中心から生えた杖――――正確にはその頂点に据え付けられた魔石に触れないと装置を起動できない。


 逡巡の末、俺はゆっくりと台座に乗った。


「…………」


 特に準備は必要ない。

 露出した魔石に無造作に触れ、手のひらに魔力を集める。


 集めた魔力が魔石に吸い込まれていき、直後、足元の台座全面に魔法陣が浮かび上がった。


「これは……!」

「念のため、触らないでください」

「あ、ああ……。そうだな……」


 興味津々で台座に近づいたクレインに釘を刺し、魔石に魔力を注ぎ続ける。


 一度起動すれば装置は止まらない。

 そこから先の工程は、装置が勝手にやってくれるらしい。


 俺は魔力の流れを感じながら、足元で次々に変化する魔法陣を眺めているだけだ。


(さて、何が出るやら……)


 ここに至るまでの道のりや本の記述から明らかだが、初代皇帝はどうにも無能がお嫌いらしい。

 生来の性格か、皇帝として重ねた苦労がそうさせたのかはわからないが、彼は褒美を求める同胞に対して褒美に相応しい実力を要求している。


 それは、実力が一定水準未満なら褒美を与えないということではなく、示した実力に見合った褒美を与えるという意味だ。


 左側の装置は、積み上げた金貨に見合った財宝を。

 右側の装置は、示した知恵に見合った魔道具を。

 俺が起動した中央は、備えた力に見合った恩恵を。


 持たない者が運だけで辿り着いても得られる物はない。

 褒美を得るのはそれに足る努力を重ね、自身を磨いた者だけでいい。


 初代皇帝のありがたいお言葉が聞こえてくるような仕組みだ。


(まあ、高貴なる者の義務なんて、で言われてもな……)


 この辺は価値観によって考え方が変わるところだろう。

 能力や財産を自身や先祖の努力で勝ち得たものと考えるか、それとも神から一時借り受けたものと考えるか。

 前者なら能力主義や自己責任論に寄りやすくなり、後者なら施しが義務となる。

 どちらが良いというものでもないと思うが、前世日本における神の考え方は独特だから前者の傾向が強いのかもしれない。

 ただ1つ言えることは、帝国に宗教が根付かないのは間違いなく初代皇帝の思想が影響しているということだ。


 孤児院出身者としては、思うところがないではない。

 ただ、「お前は金を持ってるんだから寄附は義務だ!」なんて言う奴が俺の前に現れたとしたら、そいつへの返事は腹パンの一択だ。


(……都市に帰ったら、孤児院に寄附でもするか)


 奴隷売買に手を染めた孤児院とて、俺を12歳まで育ててくれたのは紛れもない事実。

 

 孤児たちが自立できる年まで健やかに暮らせるように。

 俺のように仲間を喪う孤児が、もう現れないように。


 少し力を貸すくらいなら心理的抵抗はない。

 孤児院で出会った桃色髪の淑やかな妖精なら、きっと悪いようにはしないはずだ。


(おっと、そろそろか……)


 思考に沈む間も、魔石は俺の魔力を吸い上げ続けた。


 魔力を注げば注ぐだけ若干のメリットがあるようだが、これは言ってみれば魔力を用いた能力検査だ。

 吸い上げた魔力から俺が習得できるスキルを判定して褒美とし、これ以上習得できるスキルがない場合は既存スキルを強化する。

 重要な工程ではあるのだが、ここで気絶して残りの報酬をもらい損ねるのは大変馬鹿らしいので、俺は魔力にいくらか余裕を残して魔石から手を放した。


「終わったのか?魔力を供給していたようだが……」

「ええ。この装置は――――」


 足元で形を変え続ける魔法陣を見守りながら、クレインに装置と褒美の説明を済ませておく。

 クレインは装置自体に興味があるようだったので、念のため変に傷つけたりしないよう念を押した。


 さもないと、背後にお仕置きユニットが出現してしまう。

 逃げ場のない袋小路にホラー好きの精霊とくれば、デッドエンド以外の結末は到底望めない。


「お……?」

「何か出たな」


 魔法陣の光が薄れていく途中、台座の上に淡い光を帯びた物体が出現した。

 金属製の杖の近く、台座の装飾に埋め込まれるように置かれたそれは、淡く光る握り拳ほどの球体。


 屈んで手に取ってみると、足元の魔法陣は完全に消滅した。


「うん……?あれ、消えた……?」


 魔法陣の消滅に気を取られている間に、拾い上げた玉からも光が失われていた。


 何らかのスキルを習得するか、それとも既存のスキルが強化されるか。

 使用者が選べるものではないようだが、あまりにもあっさりと済んでしまったため、<剣術>が欲しいと祈りを捧げる暇もなかった。


 何かが体に流れ込んだような感覚はあった。

 ただ、それで何が変わったかと言われると、いまいち判然としない。


「これは古語だな」


 クレインが俺の手元を覗き込んで呟くのに釣られ、手元の玉に視線を落とす。


 光が失われたそれは、磨かれて綺麗だが単なる魔石のようだ。

 表面に刻まれた文字は読めないが、クレイン曰く帝国建国期に帝都近辺で使われていた文字らしい。

 おそらく初代皇帝が周囲の国々を併呑していく中で、帝国共通語を普及させるために駆逐した言語の1つだろう。

 魔法の本は古語で書かれているものも多いから、体系的に魔法を習うなら古語の習得は必須という雑学が右の耳から入って左に抜けていった。


 しかし、次の言葉を聞き流すことは、流石にできなかった。


「<精神集中>!!?素晴らしい、大当たりじゃないか!!」

「セイシン、シュウチュウ……?」


 興奮しながら絶叫するクレインに、俺はオウム返しに呟いて首を傾げた。


 <精神集中>とは、果たしてどのようなスキルだったか。

 記憶にあるはずだが、ちょっと今は思い出したくない。

 集中すると斬撃の威力が向上したり斬撃が飛んだりするスキルなら大変素晴らしいと思うのだが、どうにかしてそういうことにできないだろうか。


 そんな現実逃避を、クレインは無慈悲に打ち砕いた。


スキルだ!有名だろうに、まさか知らないのか!?」

「…………ソウデシタネ。ヤッター」


 頬が引きつる中、無理やり笑顔を作って返事を絞り出す。

 次は自分の番だと気合を入れるクレインに背を向け、俺はふらふらと台座を降りた。


「…………」


 <精神集中>。

 端的に言えば、剣士にとっての<身体強化>が、魔法使いにとっての<精神集中>だ。


 魔力消費なしで魔力操作や魔力感知の精度が向上するため、結果としての威力や射程が大幅に上昇する。

 レアスキルでこそないが、最も有用なスキルの1つであり、アタリハズレを論じても議論にならないほどの大当たり。

 それも使、涎を垂らして嫉妬するほどの大当たりだ。


「………………?」


 素養があるスキルしか習得できないようなので、別に何かが無駄になったわけではない。

 少しだけ成長を先取りしたか、あるいは下駄をはいたようなもの。


 そもそも俺のスキル構成は<強化魔法><結界魔法><フォーシング>の3種。

 その他枠の<リジェネレーション>と<家妖精の祝福>を除けば、全て魔力系統のスキルだ。


 だから<精神集中>は、俺にとっても当たりスキルであるはずだ。


 例え、<強化魔法>の出力不足を感じたことがなく、<結界魔法>の強度に不満がなく、<フォーシング>の威力が過剰であっても。


 決して、無駄ではない。


 無駄ではないのだ。


 無駄では――――




「これは……、<エイム>!!?レアスキルか!!ああ、今日はなんて素晴らしい日だ!!」

「……………………」




 ぼやけた視界の中、9枚目の初代クソの幻影がせせら笑う。


 頬を伝ってこぼれ落ちた雫が、また1つ大広間の床に染み込んだ。



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