第413話 帝国美術館の家妖精
美術館のエントランスホール。
順路を一周して戻ってきた観光客が一休みするためのベンチ。
その1つを占領した俺は、微笑む1枚目の初代皇帝に見下ろされ、真っ白に燃え尽きていた。
クレインは空気が読める男で、俺のプライドを傷つけたことを察した途端、用意した報酬を受け取って来ると言い残して場を外した。
おかげで俺は思う存分、項垂れることができる。
「はああああ…………」
特大の溜息とともに肩を落とす。
期待が大きかっただけに、失望もまた大きくなってしまうのだが――――
(まあ、仕方ないか……)
自分を納得させるのは簡単だった。
ゆっくりと体を起こしてベンチの背もたれに両腕を乗せ、絵の中に描かれた黒髪の男を見上げる。
転生者、あるいは転移者。
俺自身もそうだが、前例は歴史上に一人や二人ではないだろうとは、以前から思っていた。
そういう視点で世の中を見ると、その痕跡は思いのほか多い。
メートル法や暦の数え方。
前世の電化製品を無理やり再現したような魔道具もそう。
和風旅館や浴衣の存在、どこか日本語を想起させる帝国共通語を思えば、過去の転生者の中に元日本人が含まれていたことは想像に難くない。
これらの文化侵食を一人の転生者が行うのは不可能だ。
おそらく複数人がそれぞれ自身の得意分野で大成し、その功績が少しずつ世の中に浸透して今の世界を形成しているのだ。
そして、初代皇帝もそのうちの一人。
十中八九、元日本人だ。
クレインはあのように言うが、皇帝まで上り詰めた転生者なら遊び半分で財宝を隠すくらいするだろう。
おそらく、見つかった後なのだ。
過去に仕掛けに気づいた転生者が持ち去った後だから、どこを探しても見つからないのだ。
(よく考えたら、誰も気づかないってことはないだろうしなあ……)
元日本人なら誰でもわかるであろう簡単な仕掛け。
暗号というのも烏滸がましい、スタンプラリーの如き容易な課題。
二百数十年の歴史を持つ帝国に元日本人が何人存在していたかなんて知る術はないが、これほど目立つ文字の発見者が俺一人というのは流石に望み薄だ。
「ふう……」
隣から、うっとりとした吐息が漏れた。
先ほどから俺にしな垂れかかっているのは、美術館内を観覧しているときにも見かけた家妖精。
絶賛お食事中だが、せめて私服なら誤魔化せるものを、学芸員と同じ美術館の制服を着ているから目立って仕方がない。
元々だらしない姿勢でいたことも相まって、今の俺は学芸員の少女を侍らすろくでなしそのものだ。
観光客たちは「歴史ある帝国美術館になんでこんな奴が……。」と言いたげな視線を向け、足早に通り過ぎていく。
そろそろ警備兵を呼ばれてもおかしくないので、俺は家妖精の無銭飲食を摘発すべく声を掛けた。
「で、お前さんは何してるの?」
「掃除、終わったから。ごはん」
「そっかあ、ご飯かあ……」
明るい茶色の髪を頭ごと撫でくり回すと、少女は鬱陶しそうに頭を振った。
外見年齢はアンよりやや幼い程度で普段なら完全にボール球だが、禁欲生活が続いたせいでストライクゾーンが少し広がっているのが困りものだ。
「…………。はあ……」
脳内の審判は少しだけ迷った末にボールを宣告したので、しばらく好きにさせておくことにする。
どうせラウラ同様、じきにお腹いっぱいになるだろう。
ただ、忘れかけていた性欲を思い出すことになったことだけが、少しだけ辛かった。
(はあ……娼館もなあ……)
大樹海脱出4日目にして、未だ禁欲生活は継続中。
大樹海脱出直後に立ち寄った集落は、街娼しか見つからなかったので諦めた。
その翌日に立ち寄った大きな街は、高級娼館を訪ねたら一見さんお断りと言われて諦めた。
帝都の歓楽街は――――流石に無謀だと思うので訪ねることすらしていない。
俺が入れる娼館はいくらでもあった。
俺が許容できる水準の娼館もそれなりにあった。
ただ、どちらも満たした娼館というのは非常に数が少ないようだった。
(今思えば、『月花の籠』はラウラの命令があったから入れてもらえたんだろうな……)
今でこそ辺境都市では名前が売れた俺とクリスだが、当時は無名の木っ端冒険者に過ぎなかった。
お世辞にも金持ちに見えない俺と貴族であることを隠していたクリスでは、『月花の籠』の客として格が不足していたはず。
ラウラが俺の情報を収集せよとバルバラに命じていなければ、『月花の籠』の門番たちは俺とクリスを通さなかったに違いない。
ラウラに言いたいことは山ほどあるが、こればかりは感謝する必要がある。
それはそれとして、デコピンは絶対に打ち込むが。
(さて、そろそろ切り替えるか……)
気を取り直し、美術館を立ち去ろうと重い腰を上げる。
そろそろクレインが従者を連れて戻ってくるかもしれないから、遠目でも見つけられる場所に居た方がいい。
「……おい、そろそろ離れろ」
「や!」
「や、じゃない。そもそも、お客さんから勝手に吸っちゃダメだろ……」
一緒に立ち上がって背中に引っ付いた妖精に言い聞かせるも、聞く耳持たず。
こうしている間も魔力が吸収され続けていた。
吸収量は微々たるものだが、理由もなくフロルのご飯を減らすような行いは褒められたものではない。
ただでさえ、この旅行中何度か飯抜きを通告したり妖狐に魔力を喰われたりしているのだ。
ご飯削減を理由にストライキでも起こされたら目も当てられない。
「ほら、サービスはおしまいだ。これ以上は対価を要求するぞ?」
「むう……。じゃあ、あれ。あの絵の場所、教えてあげる」
家妖精が指差したのは1枚目の初代皇帝。
俺がずっと見ていたから好きだと思ったのだろう。
実際、さっきまでは大好きだった。
今となってはただの黒歴史だが、それを家妖精に説明するのも大変馬鹿らしいので、俺は端的に事実のみを告げた。
「あれはもう見た。別の人に案内してもらった後だ」
「あれも?」
「うん?あれって、なんだ…………?」
妖精が指さしたのは上だった。
元々宮殿だったという美術館のエントランスホール。
美術館になる前から、来賓を威容で圧倒するための空間だったのだろう。
高くなるほど狭くなる広間の壁は、精巧な装飾が施され、点在するステンドグラスとともに見る者を楽しませる。
そんな中、妖精の指し示す先。
かなり高い場所、彫刻や装飾ばかり存在する壁面にポツンと存在する額縁が一枚。
「――――ッ!!?」
『セラスの鍵』で双眼鏡を取り寄せて上を見上げる。
ここからではダメだ。
額縁の中の絵画をどうにかして視界に収めようと、俺は時折背後を確認しながら後ろに下がる。
(見え、見え……、見え…………ない!?)
壁に近い位置に置かれたベンチから壁際に後退するも、やはり角度が足りない。
書かれた文字を判読できるほどの像は得られず、しかし絵画の構図は先の7枚と似ているように見えて期待ばかりが高まる。
一体どこからならば、額縁の中身をはっきり見ることができるのか。
双眼鏡を保管庫に返して周囲を見渡しても、それらしきポジションは見つからない。
(くそっ、どこだ!?)
広間をうろうろしてみたが、どうにもあれを観覧できる位置取りは存在しないように思える。
どこかに鏡でもあるのかと思い再び壁に視線を向けると、いつのまにか肩車を決めていた妖精が古びた箒で指し示した。
「あっち」
「え、そっちは外……ッ!ああ、そうか!!」
もう一度だけ額縁を仰ぎ見て位置を確認すると、俺は美術館の外へ走り出す。
妖精を肩に乗せたまま走り出す不審人物を避けるためか、観光客たちは進路を塞がない。
悠々と美術館から出た俺が目指すのは塔だった。
宮殿は美術館へ。
庭園は自然公園へ。
しかし、景観の都合だろうか、存在したはずの防衛機構は見当たらない。
宮殿や庭園と外部を隔てる防壁も一部の構造だけを残して撤去されている様子で、見張り塔だけがかつての名残。
そして、見張り塔ならば庭園方向、つまり内側を監視できるポイントも存在したはずだ。
(見つけた……ッ!)
庭園内を観覧するために残されている望遠鏡に取りつき、機関銃を照準するように美術館にレンズを向ける。
慌ただしく像を拡大していくと、額縁があると見当を付けたところに透明なガラス窓。
光が反射しないように守られたガラス窓の中に、見覚えのある自画像。
そして――――
「――――ッ!!」
8文字目。
それと知らなければ横棒が並んでいるだけの味気ない模様。
意味を知る者にとっては、暗号を書き換える秘密の鍵だ。
(像ヨリ西ヘ、三百米!!!)
新たな暗号を心に刻み、塔の階段を三段飛ばしで駆け下りる。
息が苦しい。
鼓動が速い。
だって、過去に処刑された館長や転生者たちは、8文字目を知らなかったのだ。
それが意味するのは、つまり――――
「そこの男、止まれ!!」
「――――ッ!?」
早く早くと猛ダッシュしていた俺に向けられる突然の大声。
急なことでバランスを崩しそうになるも、何とか停止して声の方へ視線を向ける。
そこには、庭園内の各所を巡回する警備兵の二人組。
なんだか非常に嫌な予感がする。
「ここから先は禁止区域だ。申し訳ないが、引き返してくれ」
「…………マジか」
この先、進入禁止。
帝国史上初かもしれない快挙を目前に、俺の足は再び止まった。
◇ ◇ ◇
警備兵に呼び止められてから数分後。
自然公園内にある木が疎らに生えた林の中を歩きながら、俺は唸っていた。
警備兵に立入規制を敷いている理由を聞いてみると、まさに俺が目指していた構造物に魔法の罠が仕掛けられているからだという。
帝国美術館と自然公園が一般公開されてから二百年余り。
立場の高い者を含め何人も犠牲になったことで百年以上前から通行止めになっているそうだが、現在も罠の発動条件が判明しておらず、数十年ごとに夜間に忍び込んだらしき死体が生産されるというのだから、もはや怪談の類だ。
なんでそんな危ないものをそのままにしてあるのかと尋ねたら、初代皇帝の勅令が問題の構造物を撤去することを禁止しているのだとか。
「うーむ……。どうしたものか……」
規制の理由には納得した。
十中八九、像から西へ300メートル地点にある祠のようなオブジェクトがダミーであることも察した。
さらに言えば、8文字目を見つけた現状ですら、捜索範囲は全く絞られていないことにも気づいてしまった。
なぜなら、現在判明している文字は『像ヨリ西ヘ三百米』。
気づいたときは起点、方向、距離の3点が揃った完璧な文だと思ったが、しかしこの文は数字を足すだけでいくらでも目標地点までの距離を変更できてしまう。
例えば千を足して1300メートルにすることもできるし、五と十を足せば350メートルや530メートルにすることもできる。
やっとの思いで仕掛けを見つけても、それがダミーの罠かもしれないとなれば、もうお手上げだ。
(てか、隠し財宝を使ったお遊びで、人がバタバタ死ぬような罠を張るか……?)
財宝の噂は餌で、実態は転生者を探し出して殺すための罠――――そんな陰謀論染みた疑念が俄然信憑性を帯びてきた。
いずれクレインが戻ってくる頃だし、この辺りが引き際だろう。
だから、その呟きは単なる独り言。
ここは流石に諦めるべきと理解していても諦めきれない俺の、悪足掻きのようなものだった。
「せめて、枚数がわかればなあ……」
「9枚」
「…………あ?」
頭上から声がした。
未だ肩車状態で食事を続けている妖精が発した声だ。
どうして断言できるのか――――なんて疑問は抱かなかった。
だって、こいつは家妖精だ。
こいつにとって美術館が家ならば、どこに何があるか完全に把握していたとして、何の不思議がある。
「最後の一枚の場所も、案内できる」
「おい、それ――――」
「その代わり」
俺の言葉を遮って、妖精はようやく俺から離れた。
背後に着地して正面に回り、こちらを見上げる妖精が笑う。
「私と、契約しよう?」
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