第412話 帝国美術館の歴史
やっぱり魔石を返してほしい。
喉まで出掛かった言葉は、意地と見栄で飲み込んだ。
賄賂を無駄打ちした上で更に恥の上塗りなどできるはずもなく、カールスルーエ伯爵家にケチなところを見せるのも望ましくない。
どう勘定しても、ここで損切りするのが最善なのだ。
俺は悶々としながら、さっさと帝都を去ることを決めた。
辺境都市への飛空船は早朝と昼前の2便しかないので今日は帰れないが、今日のうちにチケットを確保すれば明日の昼過ぎには辺境都市に到着できる。
余った時間は仲間たちへのお土産でも選んでいればすぐだろう。
フィーネやローザ、アンも長いこと放置してしまったので何か装飾品でも贈りたい。
もちろん、ティアの分は特に厳選するつもりだ。
そんな風に頭の中で次の動きを考え始めた俺に待ったをかけたのは、ほかでもないクレインだった。
そもそもの話、クレインが慌てて俺に会いに来た理由は、バルドルが持ち逃げした追加報酬の代わりを俺に渡すためだ。
しかし、俺の話を聞いたクレインは追加報酬が少々の現金では釣り合わないと考え直し、従者に連絡して急遽報酬を上乗せすることに決めたらしい。
このまま俺を帰しては色々と障りがあるから何とか頼む――――そう頭を下げられては断ることも難しく、俺は追加報酬の追加報酬が到着するまでの間、クレインと一緒に時間を潰すこととなった。
とはいえ、すでに食事は済んでいるので料理店に用はない。
どこかへ場所を移さなければならないが、辺境都市出身である俺に帝都の土地勘などあるはずもなく、迷ったクレインが提案したのが――――
『び、美術館なんて、どうだろうか……?』
デートか。
思わず突っ込みたくなったのを何とか耐え、俺は了承を伝えた。
結局のところ、クレインとしては従者が報酬を用意して届けるまでの時間を稼げれば何でもよく、俺はクレインの顔を潰さずに時間を過ごせれば何でもいいのだ。
解説を聞きながらコースを回っているだけで時間が経つであろう美術館は、よく考えれば悪くない。
コネ的な意味では相応に親しくなったクレインだが、プライベートで会話が弾むかというとそんなことはなく、話題もなしに間を持たせるような会話術を持たない俺としては、あるいは歓迎すべき提案なのかもしれなかった。
少なくとも、テーブルを挟んだまま話題探しに神経を擦り減らすよりは、余程良いだろう。
こうして、微妙に気が進まないながらも、俺たちは美術館に場所を移した。
◇ ◇ ◇
「これも、初代皇帝陛下がお描きになった自画像の一枚ですな」
「おお、これが!」
訂正しよう。
俺は今、非常にワクワクしている。
帝国美術館。
これほど心躍る場所だったとは知らなかった。
誘ってくれたクレインには、本当に感謝しかない。
「アレン様は、絵画が本当にお好きなのですな」
「ああ、いや……。はしゃいでしまってお恥ずかしい……」
「いえいえ。そうして喜んでいただけると、美術館を管理する者としても張り合いがあります」
帝国美術館に移動した俺とクレインは、美術館の館長をお供にして美術館の中を巡っていた。
クレインが手配したわけではないようなので、おそらくカールスルーエの家名に釣られてご機嫌取りに来たのだろう。
公国との戦争が大きく動いてからそろそろ1月。
その知らせは帝都を駆け巡り、カールスルーエ伯爵家――――延いてはクレインの影響力を少なからず押し上げているようだ。
最初は俺のことを放置してクレインにばかり構っていた館長だったが、クレインの目的が俺に美術館を案内することだと知ると、手のひらを返すように俺の機嫌を取り始めた。
美術館の学芸員を差し置いて自身が直接案内を買って出るだけあって、館長自身も相当に展示物に詳しい様子。
俺としては展示物を解説してくれるなら誰でもいいので、時折館長の博識を持ち上げながら全力で機嫌を取られていた。
「ふむ……。絵画というよりは、初代皇帝陛下の自画像がお好きなのですかな?」
「あー……はい。上手く表現できませんが、不思議と人を惹き付ける魅力があるような気がしまして」
「ほう、これはお目が高い。芸術を嗜む貴族の方もしばしばこちらを訪問されますが、初代皇帝陛下のお描きになった絵は、皆さま一様に絶賛されますぞ」
館長はふさふさの白髭を撫でながら頷いているが、それはそうだろう。
帝都にある帝国美術館で初代皇帝の自画像をこき下ろせる奴がいるとしたら、それは自殺志願者くらいのものだ。
「初代皇帝陛下と言えば、実はこの美術館、帝国建国時の宮殿を転用しているのです。初代皇帝陛下が発した勅令のうち現在も有効なものはいくつかありますが、そのうちのひとつにこの美術館の開設と運営に関するものがあり、初代皇帝陛下がどれだけこの美術館を重要視されて――――」
館長の話に適当に相槌を打ちながら、俺は初代皇帝の自画像を穴が開くほどじっくりと見つめる。
初代皇帝が描いた絵はこれで4枚目だが、ここまで紹介されたものは全て自画像で構図にも共通点があった。
柔らかな微笑を浮かべて豪奢な椅子に腰を下ろし、膝の上や足元に特徴的な文字が書かれた絵やら書物やらを置いている。
慈悲深い皇帝を印象付ける狙いがあったのだろうが、俺はこの自画像からそれ以上の意味を読み取っていた。
「私は辺境都市を本拠としているので、あまり頻繁に足を運ぶことはできません。よろしければ、ほかの初代皇帝陛下の自画像もご案内いただけませんか?」
「もちろんですとも、館内に展示されている自画像は全て観覧ルート上にございます。順番にご案内しましょう」
「……ありがとうございます」
館長は観覧ルート上の有名作品を順番に解説するつもりのようだ。
この後のことを考えると目立つことはしたくないので、文句を言わずゆっくりと足を進める。
(まあ、別にいいか……)
遅かれ早かれ全て観覧できるなら問題ない。
はやる気持ちを抑え、真剣にメモを取りながら館長の後を追った。
初代皇帝の自画像の解説は一字一句漏らさぬように耳を傾け、それ以外の解説は小学生並みの感想を胸にしまって聞き流す。
そんなことを繰り返しながら観覧ルートを一巡し、俺たちは美術館の正面に戻ってきた。
「いかがでしたかな?」
「本当に素晴らしい時間でした。心から感謝を申し上げます」
美術館内を一巡するのにかかった時間は2時間足らず。
解説は半分くらい聞き流していたし、何なら美術館内を掃除する家妖精に気を取られたりもしていたが、口にしたお礼の言葉は純粋に本心からのものだった。
「もし時間が許すのであれば、この後お茶でもいかがですかな?」
「せっかくですが、もう少しだけ見て回りたい場所がありますので……」
「……そうですか。それは残念ですな」
クレインと交流を持ちたい様子の館長は本心から残念そうに呟いたが、俺の我慢はそろそろ限界だ。
今すぐにでも駆けだしたいのに、吞気にお茶など付き合っていられない。
「では、また。御用がありましたら何なりと」
「ああ、感謝する」
クレインの感謝も本心だろう。
時間稼ぎのために苦し紛れに提案した美術館、俺がこれほど気に入るとは予想外だったはず。
館長の解説がその一助になったと思えば、名前を覚えておく程度のことはしても不思議ではない。
クレインは事務所に戻る館長を見送り、微笑を浮かべたままこちらに声を掛けた。
「報酬の準備はもう少しで整うはずだが……。その様子だと、美術館をまだ見ていたいというのは本心のようだな?」
「ええ、もちろん」
「そうか。ならば俺も付き合おう」
「ありがとうございます」
クレインと談笑しながら再度美術館に入場し、エントランスホールで足を止める。
視線の先には一枚の絵画。
美術館を訪れた者たちを歓迎するように微笑む、初代皇帝の1枚目の自画像だ。
壁に大きく描かれたそれは、もしかすると皇帝自身が描いたものではなく、自画像をもとに作成されたレプリカなのかもしれない。
もちろん、俺は絵画の来歴にそこまで興味を持っていないので、俺が求めるものが見つかるならば、どっちだろうと構わなかった。
「…………」
その絵を眺める俺の頬も、絵画に描かれた初代皇帝のように自然と緩んでいた。
美術館を巡りながら書き記していたメモに一字を加え、さらに笑みを深くする。
館長が解説してくれた初代皇帝の自画像は全部で7枚。
俺が初代皇帝の自画像に描き込まれた特徴的な文字に気づいたのは、2枚目の自画像を見ているときだった。
それ以降、初代皇帝の自画像を見るたびに文字をメモしていき、今、ようやく7つ目の文字が記された。
像、リ、ヘ、百、西、ヨ。
そして最後の1字が、米。
距離、方角、起点――――その全てが揃った。
手元を見ながら笑みを浮かべている俺に気づいたクレインが、横からメモを覗き込む。
少しそれを眺めた後で、クレインは不思議そうに首を傾げた。
「先ほどから何やら描き写していたようだが……。なんだ、その模様は?何かの記号か?」
メモを持つ手が震えている。
だって、そこに記された文字は完全な日本語だ。
言うことを聞かない指を叱咤して、文字を並び替える。
浮かび上がるたった7字の短文に、ぞわりと体中の毛が逆立った。
(像ヨリ西ヘ百米……!)
観覧ルートを逆走し、美術館の外へ。
像など探すまでもない。
美術館からわずか数十メートル先、バカでかい初代皇帝像がこちらを見下ろしている。
「100メートル西…………西!?西ってどっちだ!!?」
はやる気持ちと裏腹に足は一歩も前に進まず、もどかしさが募って声に表れる。
これほど方向音痴が恨めしいと感じた事は今までなかった。
公園内のどこかで見かけた観光客向けの割高なパンフレット。
買っておくのが正解だったと、一体誰が予想できるだろうか。
「ここに園内の地図がある」
「――――ッ!?」
跳ねるように振り返ると、少し遅れて来たクレインが美術館のすぐ傍に建てられた石板を指差した。
初代皇帝の宮殿だったという美術館。
当時の庭園をベースにして造られた自然公園。
園内に点在する様々なオブジェクト。
それらの位置を表示した簡易な地図には、多くの地図がそうであるように方角を示す記号が刻まれている。
これぞ渡りに船。
まるで美術館から飛び出してきた者に方角を教えるために存在しているではと錯覚するほどに、その石板は俺が求める情報を網羅していた。
「おい、待て!」
声を荒げるクレインを再び置き去りにし、アタリを付けた場所へと駆ける。
土、芝生、花壇が大半を占める園内で、ところどころに造られた円形の石畳。
俺が立ち止まった場所は、そんな石畳のひとつだった。
(どこだ……!?どれだ……!?)
何かそれらしき物がないか。
あるいは、次の行先を示す文字がないか。
石畳に膝をつき、敷かれた石材の1つ1つを睨みつけるように精査する。
手近なところに何も見つからず、ならばと『スレイヤ』を召喚しようと思ったそのとき――――
「やはり、初代皇帝陛下の隠し財宝か」
「――――ッ!?」
ハッとして振り仰ぐと、先ほどより幾分かつまらなそうな顔をした銀髪の青年がこちらへ歩いてくる。
まさか、クレインも日本語が読めたのか。
一瞬そんな推測が頭をよぎるが、彼の様子を見るとそうではなさそうだ。
「アタリのようだな……。悪いことは言わない、石材を剥がしたり壊したりするのはやめておけ」
「……ッ!?それは、どういう……?」
外から見てわかるようなアクションは起こしていないにもかかわらず、クレインは俺の行動を的確に咎めた。
俺はその言葉に得体のしれない恐れを感じながら、それでも好奇心に従って忠告の意味を問う。
「稀にいると聞いた。当然、警備の兵に捕らえられて尋問されるんだが、そいつらは決まって初代皇帝陛下の隠し財宝を見つけたと言うらしい」
「――――ッ!?」
一足遅かったか。
そう言わんばかりに愕然とする俺を見て、いたたまれない表情をしたクレインが小さく溜息を吐いた。
出遅れに対する哀れみ。
そう解釈した直後、しかし、俺は自身の思い違いを知る。
「昔の話だ。周囲が止めるのも聞かず、当時の館長がこの辺りの石畳を全て剥がし、その下の土まで掘り返して財宝を探したらしい。結局、財宝どころかその手掛かりすら発見されず、当時の館長は勅令違反により処刑された。もちろん、石材を破壊した者も全て館長と同じ末路を辿っている」
「え……?」
ポカンと口を開けた俺は、さぞかし間抜けな顔をしていただろう。
そんな俺を笑いもせず、クレインは帝国美術館の残酷な歴史を告げる。
「初代皇帝陛下の隠し財宝など、とうの昔に調べ尽くされている。そもそも当時圧倒的な権勢を誇った初代皇帝陛下が、どうして財宝を隠す必要がある?財宝は全て宝物庫で管理され、後の移転の際に新たな宮殿へ運ばれたに決まっているだろう」
「………………」
夢中になって握り締め、クシャクシャになったメモ。
俺の手からひらりと落ち、風に舞ってどこかへ消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます