第411話 昼食と取引2
名誉を回復してほしい。
お願いというのは、端的に言えばそういう話だ。
思いのほか長くなった大樹海生活の中で俺はまたひとつ成長を遂げたわけだが、そんなこと帝都や城塞都市の連中は知る由もない。
彼らの中にある俺の評価は、いまだ妖魔に餌として攫われた間抜けのままなのだ。
B級冒険者最弱。
上級冒険者の面汚し。
例え後ろ指をさされても自分が信じる英雄を目指すと決めた俺だったが、冒険者という職業をやっている以上、汚名を放置しても良いことはひとつもない。
ケチが付いたせいで不特定多数に舐められ、余計なトラブルを招き、それによって周囲の誰かが危険に晒されてしまう――――そんな未来も懸念される。
というわけで、晴らせる汚名は速やかに晴らした方が良い。
そして、汚名を晴らすために助力を求める相手として、大貴族の直系であり宮廷魔術師団の大隊長であるクレインはこれ以上なく適任だ。
幸いアラクネは防衛線でも相応の知名度を誇る妖魔だったようで、それが討滅されたことを周知するのは不自然ではない。
触れ回る情報の中に、アラクネを討滅したのが俺であることを混ぜてもらうのも容易。
立場も影響力もあるクレインが触れ回れば、それは単なる噂ではなく確度の高い事実として認識されるはずだ。
この魔石を一目見れば、それが強大な妖魔のものであったことを疑う余地はないだろう。
だから討滅の証明として、アラクネの魔石をクレインに譲渡する。
大貴族の直系を広告塔にするのだから相応の対価は必要だし、最近やたらと懐が温まっているから、その一部を活用するという意味もある。
戦争で稼いだ金。
『戦華』から巻き上げた金。
アラクネの魔石。
全て俺が正当に手に入れたもので、所有権に難癖をつけられるいわれは全くないのだが、どうしてか金を稼ぎ過ぎると敵が増えるのが現実というもの。
ならば、稼いだ金品を使って味方を増やしておくというのは悪くない選択だ。
所持金は多いに越したことはないが、俺が真に求めるものは金ではない。
稼いだ金は、有効に使ってこそだ。
加えて言えば、そもそもアラクネの魔石に関しては本来ソフィーか宮廷魔術師団に納入する成果品だったという経緯も判断に影響している。
アラクネを討滅した時点で指名依頼は取り消されているから契約上の問題は一切発生しないのだが、知らん顔で懐にしまい込めば良からぬことを考える奴が出てくるのは確定的で、そこから面倒事に発展するのも容易に想像できる。
その辺りを踏まえても、やはりこのカードはここが切り時なのだ。
「名誉回復の必要性はわからないが…………話はわかった。其方の願い、このクレイン・フォン・カールスルーエがたしかに請け負った」
「ありがとうございます」
駆け出し上級冒険者の見栄など、クレインに理解してもらおうとは思わない。
名に懸けて請け負ってくれるというのだから、俺としてはそれで十分だ。
しっかりと頭を下げて礼を伝えてから、話を続ける。
「当初はソフィーからの指名依頼のために参加した任務ですが、私が帰還した段階ですでに依頼が取り消されていました。冒険者ギルドで正式に処理された日はアラクネと戦った日より前ですので、権利関係の問題もありません。アラクネの魔石が用済みとなったら、処分方法はいかようにも」
「わかった。依頼取り下げの件は、やはり其方も知っていたのだな……」
「ええ。つい先ほど冒険者ギルドで」
「そうか。順序は逆になるが、実はそれに関しても話したいことがある」
クレインはここまでの雰囲気から一転、頭痛に耐えるような仕草を見せた。
少し不思議に思いながらも、心当たりがないので無言で彼の言葉を待っていると――――
「実は、指名依頼を取り下げたのはソフィーではない。ソフィーの父であるバルドルだ」
「ええ……?」
バルドル――――名前は初耳だが、防具屋ギルド直営店の一角で店をやっていた、頑固でせっかちな店主のことだろう。
最初は安く売るようなことを言っていた盾の価格を1億5千万デルまでつり上げ、俺が手を引くような素振りを見せると腕を掴んで離さなかったあの阿呆。
今度は一体、何をしてくれやがったのか。
本当に理解に苦しむ。
いや、そもそも――――
「疑うわけではありませんが、父親とはいえソフィーの依頼を取り消せるものですか?」
「ソフィーは未成年だ。冒険者ギルドの規約で、未成年による依頼は両親による取り下げが認められている」
「ああ、そういう……」
鎧に詰められた少女の姿を思い出し、俺は納得した。
普通に任務に参加していたから成人しているものと思い込んでいたが、たしかに未成年と言われても違和感はない。
「そして、指名依頼料はバルドルが持ち逃げした」
「それはまあ……正式に依頼が取り消されてしまいましたので、仕方ない話です」
元々あの盾はバルドルのもので、ソフィーは依頼手続きを代理したに過ぎない。
依頼がなくなったなら、盾はバルドルに返却されるのが当然だろう。
しかし、クレインは首を小さく横に振る。
「そうではない。あいつが持って逃げたのは、盾だけではないんだ」
「そう言われましても、ほかに何が……?」
指名依頼の報酬は、俺が気に入った盾が一枚だけ。
1億5千万デル相当の現物支給というわけのわからない設定であるが、現金の類は一切報酬に含まれていなかったはずだ。
だが――――
「防衛線における其方の奮闘への報酬、それと詫びを兼ねて、宮廷魔術師団の資金で依頼料を積み増していた」
「は……?」
「このほかに、ソフィーも自身の財布からいくらか積んだらしい。彼女は自身の力不足で其方の足を引っ張ったことを気にしていたからな……。ソフィーが指名依頼の取り下げに気づき、宮廷魔術師団に報告したのが2日前のことだ。すでに追手を放っているから間もなく捕まるだろうが、ソフィーは憔悴して今も寝込んでいると聞く。本当に、どうしようもない男だ」
「………………」
唖然呆然。
防具のことしか頭にないような男に見えたが、宮廷魔術師団を敵に回し、実の娘から金を奪って逃走するほど愚かだとは思わなかった。
クレインたちから逃げ切れると、本気で思っているのだろうか。
そもそも逃げた理由もわからないのだが。
試しに問うてみると、クレインはその辺りの事情も把握していた。
「経営難で店が潰れた」
「ああ……」
バルドルの防具屋、やはり儲かっていなかったようだ。
借金しながらなんとか続けてきた店も、金貸しが追加融資を渋れば畳むしかない。
店の商品は全て差し押さえられ、防具屋ギルドからも立ち退きを言い渡され、かろうじて金貸しの目を逃れた例の盾と指名依頼料を握り締めてどこかへ逃走したらしい。
大方、新天地で再起を図るつもりだったのだろう。
クレインの説明だけで情景が容易に想像できてしまうのが、どこかおかしくもある。
しかし、こちらを見ていたクレインは、どこか不思議そうに眉を上げた。
「意外だな。其方は、てっきり激怒すると思ったが」
指摘されて口元に手をやる。
たしかに頬が緩み、口の端が上がっていた。
クレインの言う通り、怒り狂って然るべき場面。
だが、自身の胸の中を探しても、バルドルに対する怒りの感情が不思議と見当たらない。
その理由を思案し、俺はまもなく結論にたどり着いた。
まず、元々予定されていなかった追加報酬がなくなっただけでキレ散らかすほど、今の俺は金に困っていない。
なにせ、保管庫と冒険者ギルドの口座には合わせて7億デル以上の現金が積まれているのだ。
これ以上の現金は必要ないし、少々の現金と引き換えにクレインに精神的な貸しを作れるなら、むしろ好都合ですらある。
受け取っていない金を盗られたというのもおかしな話で、クレインが追手を放っているならそれで十分だろう。
そして、何より大きいのは――――
「俺はもう、あの盾を欲していませんので」
盾への執着が消失し、バルドルの行く末に関する興味も失せたからだ。
冒険者にとって装備は、自身の命を預ける大切な相棒。
頑固なだけ、あるいは馬鹿なだけならともかく、不誠実な男が作ったものを採用しようとは思わない。
あのときはこれしかないと思って興奮したものだが、今回は縁がなかったということ。
いつかこれと思える防具に出会うときまで、あの興奮はお預けだ。
「ソフィーには、よろしければ貴方から気に病まないようお伝えください。依頼が中途半端になった件で詫びに伺うつもりでしたが、今は迷惑になるでしょうから」
「承った。気を遣わせてすまないな」
「いえ。おかげで、帝都でやるべきことが1つに絞れました」
「やるべきこと……?」
クレインの問いに、俺は再び笑みを浮かべる。
先ほどと違い意識して作った獰猛な笑みは、俺の中で煮え滾る怒りを表すものだ。
「俺をアラクネごと魔導砲の的にした奴を、探し出して報復するんですよ。そのために、わざわざ帝都に足を運んだんですから」
「――――ッ!?」
帝国軍の指揮官。
多分あいつではないかという心当たりもある。
所属は忘れたが、軍属なら特定するのは簡単だ。
もう一度依頼を受けて防衛線に足を運び、魔導砲兵隊の指揮官は誰だと問うだけで事足りる。
もちろん、軍属を殺すことにより生じる問題は、俺とて理解している。
このタイミングであの男が死ねば、当然のように俺が容疑者になることもわかりきっている。
だからこそ、クレインにアラクネの魔石を掴ませたのだ。
(名に懸けて請け負うって、言ってくれたよなあ……?)
カールスルーエ伯爵家は俺と揉めることを避けるはず。
十分な賄賂――――もとい献上品を用意し、クレインの顔も立てている。
大貴族が先払いを受け取った後でやっぱりできないなんて言えば、面子は丸潰れだ。
別件で謝罪した直後であればこそ、撤回のハードルは非常に高い。
「ああ、ご安心ください。俺がやったと簡単にバレるようなヘマはしませんので」
頬を引きつらせるクレインに向け、にこやかに笑いかける。
当然だが、兵士の面前で斬り殺すような真似はしない。
ただ、防衛線の部隊指揮官という重責を担っていれば、心労が祟ってある日突然倒れてしまうことも珍しくないだろう。
そのまま昏睡し、目を覚まさないことだってあるに違いない。
そんなよくある悲劇の現場に、偶然一人の冒険者が居合わせる。
ただ、それだけのことなのだ。
別に、惨殺死体の隠蔽や後始末を頼んでいるわけではない。
さして重要人物にも見えない指揮官1人くらい、最悪でも黙認はしてくれるだろう。
負い目が上手く作用すれば、鎮静化の助力も期待できる。
そう思ったのだが――――
「す、すまない……。そいつはもう、こちらで処刑してしまった……」
「……………………」
形ばかりでなく、心底申し訳なさそうなクレインの声が耳に届いた。
笑みを浮かべたまま、状況を理解した俺の頬が引きつるまでにかかった時間はほんの数秒。
俺が帝都でやるべきことは、どうやら全て終わってしまったようだ。
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