第410話 昼食と取引1




「急な申し入れにもかかわらず時間を作ってもらったこと、まずは感謝する。さあ、遠慮せず食べてくれ」


 待ち構えていたクレインに連れられ、歩くこと数分。

 俺は帝都冒険者ギルド西支部の近くにある料理店の個室で、クレインとともに早めの昼食を取っていた。


 クリスと違って貴族らしいクレインのこと、正式なテーブルマナーが求められる貴族向けの店を選ぶかとも思ったが、意外にもこの店にそういった雰囲気はない。

 ただ、クレインの顔を見るなり笑顔で寄って来た経営者らしき男や通された豪奢な個室を見るに、もてなしは完全にVIP用のそれ。

 見ようによっては中途半端とも言えるチョイスは、こちらに気を遣わせないようにというクレインなりの配慮なのかもしれなかった。

 

「お気遣い、ありがとうございます。しかし、よろしいのですか?何か急ぎのお話があるようにお見受けしましたが」

「ああ、まあ…………そのとおりだが、先に食事を済ませてしまおう。食べながらするような話では、ないからな」

「……そうですか。では遠慮なく」


 途端に歯切れが悪くなるクレインに笑顔で応じながら、俺は少々警戒を強める。


 これまで遭遇したときはいつも取り巻きや従者を連れていたクレインだったが、今日はどちらも連れておらず、しかも先ほどは少し息を切らしているようにも見えた。

 おそらくギルドのロビーにでも配下を張り付け、報告を受けて急いで駆け付けたのだろう。

 正面に座る彼から焦りを感じないところを見るに、俺を捕まえたことで目的の一部は達せられたようだが、そうなると俺を捕まえた理由が俄然気になってくるというもの。


 正直に言えば難しい話の方を先に済ませてしまいたいのだが、クリスと違ってクレインに無理は言えない。


 渋々ながら、俺は料理に手を付けた。






 俺とクレインの関係を考えれば、真っ先に話題に上がるはずの防衛線の一件。

 それがから徹底的に排除されたため、本題を察するのは難しくなかった。


 食事が終わり、テーブルにお茶とお菓子が並ぶ。

 ウェイターが退出して室内に俺たちしかいなくなったところで、クレインはようやく本題を切り出した。


「本当にすまなかった。このとおりだ」

「ええ……?」


 何がくるかと身構えていたが、クレインの初手はなんと謝罪だった。

 しかも、しっかりと頭を下げて行う本気の謝罪だ。


 予想外の展開に疑念の声が漏れるのを止めることはできなかったが、我に返って頭を上げるようクレインに求めると、彼はゆっくりと頭を上げる。

 少しだけ混乱した頭の中に、謝罪も様になるのはやはり兄弟だなとしょうもない感想が浮かんだ。


「一体どうされたのですか?私には、貴方に謝罪される心当たりがありません」

「そんなことはない。いくつかあるが、まずはこちらで雇った冒険者が『捕食者』を其方のところに誘導してしまった件だ」

「ああ、そういえば……」


 何かと思えばローマンのことか。

 今にも死にそうな顔で裏返った悲鳴を上げながら走って来たので、とにかく必死だったのだろう。

 自分では到底勝ち目のない妖魔を前にしてとっさに頭を働かせた結果、隣のエリアにいる上級冒険者のことを思い出したということなら、決してほめられたことではないが強く糾弾する気にはなれない。


 しかし、クレインの認識はこちらと少し異なるようだった。


「強大な妖魔を連れてほかの部隊の担当区域に逃げ込むなど、敵前逃亡も同然だ。それによって他部隊に甚大な影響を与えたのだから謝罪は当然で、謝罪だけで済むとも思っていない」

「あー……それは何と言いますか、ローマンを処刑するとか、そういう話で……?」

「もちろんそれも有力な選択肢だが、彼を雇ったのは俺の部隊の者だから、責任は俺にある。詫びを用意しているので、どうか受け取ってほしい」


 なるほど、事情は何となく理解できた。

 部下がやらかして隣の部署に迷惑をかけたとなれば、クレインの立場上謝罪しないわけにはいくまい。


(だから、取り巻きも従者も連れずに声をかけてきたわけか……)


 クレインは部下たちから信頼されているようだった。

 そんな彼が俺に頭を下げたとなれば、理由はどうあれ良い気はしないだろう。

 部下の悪感情が謝罪の要因ではなくこちらに向かないとも限らないので、俺にとってもありがたい配慮だ。


 部下や従者に謝罪の場面を見られたくないという意図も、もちろんあるのだろうが。


「事情はわかりました。ただ、ローマンには良くしてもらいましたので、可能であれば寛大な沙汰をお願いします」

「其方が言うのなら、そうしよう」


 ローマンの件も、処刑されてしまっては助けた甲斐がないので一言添えておく。

 幸い彼の処遇に関してクレインはあまり興味がなさそうだから、こちらが望めば酷いことにはならないだろう。


 一旦話が落ち着いたので頭の中を整理していると、ふと疑問が浮かんだ。


「いくつかある……とおっしゃいましたが、ローマンの件以外に何かありましたか?」


 口にしてから聞かなければ良かったと後悔したのは、クレインが露骨に渋い表情を浮かべたからだ。 

 ここまでの話でこの状況やクレインの態度に納得がいったことで、自然と警戒を緩めてしまった。

 思ったことをそのまま口にしてはいけない場面で、あまりにも迂闊な失敗だ。


 ただ、渋い顔をしているクレイン自身、いくつかと言った以上最初から隠すつもりはなかったのだろう。

 彼にその表情をさせているのは、俺の言葉というよりもこれから口にする話の内容だと思われた。

 

 少しだけ間を取って喉を潤すと、クレインが重々しく切り出した。


「あと2つあるのだが……。あれだ……其方が『捕食者』に、その……連れて行かれた件だが……。魔導砲撃で、其方を巻き込んだ馬鹿がいただろう?」

「ああ……」


 相槌が少し低くなったので、代わりに顔に笑みを貼り付ける。

 もちろん手遅れだったようで、クレインは黙ってしまった。


 これは少し迂回しないと話が進まなそうだと打開策を探した頭の中に、ひとつのアイディアが浮かぶ。


「一応確認ですが、『捕食者』というのは蜘蛛に女が生えている例の妖魔のことでよろしいのですよね?」

「……ああ、そうだ。長年帝国を苦しめて来た妖魔で、前線に現れては魔術師を攫っていくことから『捕食者』と呼ばれている。あれに攫われて生還したものは一人もいない。父上から其方の話を聞いていなければ、とても信じられなかっただろう」

「そうでしたか。ならば、良い報告ができそうです」

「なに……?」


 お茶とお菓子の皿だけが乗っている広めのテーブルに右手をかざす。

 俺の右手首から先が消失すること数秒。

 驚きを隠しきれていないクレインの前に、黄土色の大きな魔石がゴロリと転がった。


 魔石は同じサイズの石や金属と比べて軽いものが多い。

 アラクネの魔石も例に漏れず見た目の印象より軽かったが、それは大きさや重さでは決して表せない異様な威圧感を放っている。

 

「まさか……」

「私がこの手で、世界に還してやりました」

「――――ッ!!!」


 クレインは今度こそ絶句した。

 宮廷魔術師団の魔法使いたちが放つ魔法はアラクネにまるで効いていなかったし、『捕食者』などという物騒な固有名を付ける程度には手を焼いていたのだろう。

 難敵が冒険者の手で打倒された結果、手柄を奪われて面白くないと思われることが若干の懸念要素だったが、どうやらそういった感情もなさそうだ。

 

 予想以上に驚いているクレインを見て、俺はさらにひとつ思いつきを実行に移すことにした。


「こちら、献上させていただきます」

「んなっ……!!?」

「代わりと言ってはなんですが、ひとつお願いを聞いていただきたいのです」


 動揺が収まらないところに追撃を受け、似合わぬ大声を上げたクレイン。


 そんな彼に、俺は笑顔で取引を持ち掛けた。



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