第408話 帝都へ




 アラクネを滅ぼした後、俺の旅は極めて順調に進んだ。


 はぐれ魔獣や飛行生物は双眼鏡を覗いても映らない。

 おそらく俺とアラクネの戦闘に身の危険を感じ、逃げるか隠れるかしたのだろう。


(自分で言うのもなんだが、これが自然な反応だよな……)


 大樹海の妖魔共は、なぜか俺を餌としか認識しない節がある。

 俺より明らかに弱い妖魔ですらそうだ。

 自分たちは上位種だから負けないなんて傲慢な考えが、連中に浸透しているのだろうか。

 普通に考えて魔力が多い生物なら、それ相応の危険を見積もって然るべきだと思うのだが。


(あるいは危険を顧みないほどに美味しそうなのか……)


 変なフェロモンでも出ているのかと思い腕の辺りに鼻を近づけてみると、普通に汗臭かったので安心した。


 ただ、臭いのせいで最近は風呂に入れていなかったことを思い出し、眉をひそめる。

 そろそろゆっくりお湯に浸かりたい。


「風呂、フロ、ふろ……」


 風呂ならある。

 『セラスの鍵』を使用してフロルに注文し、保管庫から取り出せばお湯にはありつける。


 しかし、だ。

 ソロで道なき道を往く途中、ゆっくり入浴などできるはずがないのだ。


 いつ魔獣に襲われるかわからないのに、装備を外して全裸になるなんて――――


「………………」


 スッと双眼鏡を取り出し、もう一度丁寧に周囲を観察する。

 ついでに全方位に<フォーシング>。


 感なし。


「…………ヨシ!」


 そうと決まれば手早く済ませてしまおう。

 保管庫にメモを放り込み、待つこと数分。


 信頼と実績のフロル便で、浴槽一杯分のお湯が届けられた。




「はあああ……」


 草原と大河しかない大自然の中、着替えを置くための棚と簀の子だけ雑に召喚し、掛け湯もそこそこに浴槽に飛び込む。

 衝立は簡易寝台やテントと一緒に妖狐村に忘れてきたので、フルオープンの露天風呂だ。

 忘れないうちに買い足しておかないと、次の遠征時に俺だけ寝袋になってしまう。


(まあ、遠征は……クリスたちには悪いが、しばらくお休みかな……)


 しばらくは屋敷でゴロゴロしたい。


 クリスは事情を説明すれば許してくれるだろう。

 ネルはフロルがケーキを投げつければ黙るはず。

 あるいはクリスの猛攻に耐えるのに必死で、ケーキどころではないかもしれないが。


(問題はティアか……)


 すぐ帰ると言ったから、きっと寂しい思いをしているだろう。

 体の関係になったらすぐ放置というのは結構なクズ男ムーブでは――――と思ったが、そうなる前から割とほったらかしだった気がする。

 だったらセーフかというとそんなわけもないので、反省が必要だ。


 とりあえず、帰ったらデートに誘ってご機嫌取りをしなくては。


「……さて、そろそろ行くか」


 手拭いを枕にこのまま寝てしまいたい欲求に耐え、浴槽から出る。

 お日様の匂いがする服に着替え、防具を身に着け、俺は川沿いを歩き出した。


「…………」


 今更過ぎるが、やはり保管庫の使用はリアルタイムで把握されているらしい。

 決まった時間にメモの有無を確認して云々という当初の運用はどこへやら。

 いつの間にか、俺もそういう前提でメモを入れてしまっている。


 思えば、数分でお湯が届くのも結構謎だ。

 水筒ならともかく小さめとはいえ浴槽なのだから、一度保管庫の外に運び出してお湯を入れてから保管庫に戻すという手順になるだろう。

 狭くもない屋敷でそれをやるのは、中々に大変な作業であるはずだが。


(うーん……)


 甘やかしは、今日も天井知らず。


 魔力の粉飾決算など、追及できそうになかった。

 

 

 



 入浴後、走ったり歩いたりを繰り返すこと数時間。

 街らしき影を確認した後はダッシュで駆け抜け、日が沈まないうちに何とか人里へ到着した。


 到着したと言えないのは、街を守る隔壁を通過するときに行う検問というか審査に気づかず、数十メートルほどオーバーランしたせいだ。

 慌てて追いかけて来た衛士に連行され、隔壁の横に造られた小屋で事情聴取と説教を受けたのだが、人里が久しぶりで少し興奮してしまったと説明したら今度は妖魔の類と疑われ、事情聴取が更に延びてしまうという失態も演じた。

 後からやってきた魔法使いが魔道具を使いながら色々やるのをボケッと見ているだけで嫌疑が晴れたから良かったものの、知らない土地なのだから、普段にもまして言動に気をつける必要があった。

 大樹海を抜けて緩んでいた気を引き締める、良い機会になったと思う。


 その後、街にひとつしかない安宿に部屋を確保した俺は、情報収集のために酒場に繰り出し、暇そうにしていた男から酒代と引き換えに情報を引き出した。

 男によると、やはり現在地は交易都市領の北西部にある街だという。

 元は小さな村だったのだが、ここより大樹海に近い村々が妖魔や魔獣の襲撃で滅んだため、避難民が集まって徐々に大きくなった場所だそうで、だから街の規模に対して冒険者ギルドを含めた各種施設が充実していないのだとか。

 行き止まりの街だから訪れる者も少ないのだろうと、失礼ながら納得してしまった。


 俺が東へ向かっていると伝えると、乗合馬車より金が掛かってもいいなら船に乗るのがおすすめで、朝の便に乗れば夕方には大きな街に到着すると教えてくれた。


 一番の収穫は、隣を流れる大河が辺境都市の北を流れる大河の上流だとわかったことだ。


 頭の中で、地図が繋がった。


 今立っている場所が見知らぬ場所ではなくなったことで、ようやく生還を実感できた気がした。






 安宿の硬いベッドで夜を明かし、翌日早朝に船で東へ。


 交通の要衝である大きな街で一泊し、少しだけ迷った末に快速の魔導馬車で北東方面へ。




 そして、アラクネ討滅から2日後の夕方。


 俺はついに、再び帝都の地を踏んだ。





 ◇ ◇ ◇





 帝都到着から一夜明け、俺は目的地へと走る乗合馬車に揺られながら道行く人々を眺めていた。


(はあ、癒される……)


 相変わらずどこから湧いてくるのか調べたくなるほどの人混みを見て、鬱陶しさよりも安堵を感じる日が来ようとは夢にも思わなかった。

 今の俺にとっては、普段であれば苛立ちしかない検問の行列すら癒しスポットだ。

 知らない人間を眺めているだけで、なんだか幸せな気持ちになる。


「冒険者ギルド西支部前、到着です」

「おっと……」


 ぼんやりしている間に目的地に到着したようだ。

 降車すると伝え、運賃を支払って雑踏の中に立つ。


(大樹海ならな……)


 ボケっとしても妖狐に空輸されない世界。


 嗚呼、なんと素晴らしいことか。




 帝都冒険者ギルド西支部は、当然ながら先月訪ねたときと全く変わっていなかった。

 前回もこの時間だったと思うので、1階の依頼人用フロアを行き交う人々にも目立った変化はない。

 違うのは1階の両サイドにある階段の存在を知っているため、冒険者の姿を探して右往左往しなくて済むということだけだ。

 

 2階の冒険者用フロアに上がると、手前側に広い待合スペース。

 そこで酒盛りに興じる冒険者たちと受付との間に広がる空間では、またしても賭け試合が行われていた。


(やっぱり帝都ではこれが日常なのか……)


 以前戦っていたのは生意気な金髪と全身鎧だったが、メンツは前回と異なるようだ。

 また絡まれても面倒なので隅の方を素早く通り抜けると、空いている窓口がなかったので仕方なく列が一番短いところを選択。

 上機嫌で受付嬢と話し込む冒険者の後ろに並び、自分の順番を待った。


「でな、その店の料理がまた美味いんだ!値段は張るがそこは気にしなくていい、俺に任せとけ!」


 身体も声も大きい目の前の男は、受付嬢を食事に誘っている様子。

 ただ、残念なことに受付嬢はあまり乗り気ではなさそうだ。


(どこの受付嬢も苦労してるんだな……)


 少しばかり同情しつつも、男を止めることはしない。

 長々と話し込むのはマナー違反であるが、依頼の報告は受付嬢に自分をアピールする絶好の機会だ。

 どの辺からマナー違反になるかも地域ごとに様々であるし、今日は急いでいるわけでもない。

 左右を見ても似たようなことになっていて、黙々と仕事を進める無愛想な受付嬢の窓口は、ナンパに興味がない冒険者が列をなしている。

 列を選び直した方が早く済むかは微妙なところだった。


 少しだけ迷った末、俺は男がナンパを切り上げるのをのんびりと待つことにした。


 前の男を急かしたり音を立てたりしたつもりはない。

 しかし、目の前の冒険者は背後に並んだ俺に気づき、こちらを振り返った。


「なんだあ、おめえ……?」

「うん……?」


 受付嬢とのやや一方的な会話で上機嫌になっていた男は、一転して不機嫌そうにこちらを睨んでいる。

 なんだも何も、列に並んでいるだけなのだが。

 何が気に障ったのかもわからない。


「てめえ、さてはレベッカちゃん狙いだな!?許せねえ、俺と勝負しろ!!」

「………………」


 レベッカちゃん is 誰。

 状況的にこの男の話し相手になっている受付嬢がそうなのだろうが、いくらなんでも理不尽ではなかろうか。


「おお、次の組み合わせが決まったか!」

「ゴメスか黒髪か!さあ、賭けた賭けた!」


 声が大きい男――ゴメスというらしい――のせいで揉め事はあっという間にフロア中に伝わり、背後が俄かに騒がしくなった。

 俺が同意していないにも関わらず、「ゴメスに3枚!」「俺は4枚だ!」と胴元の前に銀貨が積みあがる。

 前回もそうだったが、相手の方ばかり賭けられているのが無性に腹立たしい。

 

(まあ、このみてくれじゃあ仕方ないか……)


 かたや厳つい顔に恵まれた体格、頬に古傷を持つベテラン冒険者。

 対するは目つきが悪いだけのパッとしない若手冒険者。


 俺に賭けるのは大穴狙いか物好きだけだろう。

 

 そう思ったのだが――――


「黒髪に15枚!!」

「俺は20枚!」

「5枚だ!くそっ……さっき負けた分があれば!」


 下手に食い下がるより終わらせた方がいいと考え、早々に抵抗を放棄した俺がフロアの中心で相手と向き合う中。

 賭けの締め切り直前、数人の冒険者が次々と俺に賭け始めた。

 

「おい、なんだ?どういうことだ……?」

「お前ら、黒髪のこと知ってんのかよ!?」


 相手に賭けていた者たちから戸惑いの声が上がるも、俺に賭けた奴らはどこ吹く風だ。


 多分前回のときに居合わせたのだろう。

 相手の方に掛け金が積みあがるのを見てから一斉に賭けてきた辺り、これもここでは日常なのかもしれない。


「……おめえ、ランクは?」


 今更ながら、ゴメスが俺の素性を問う。


 なぜなら俺の冒険者カードは服の中。

 前回はこれのせいで絡まれたからシャツに入れて隠していたのだが、ゴメスの反応を見ると今回は出しておくのが正解だったらしい。


(まあ、対策が裏目に出るなんて、よくあることだけどさ……)


 溜息とともにシャツの中から引っ張り出された金色混じりのカードが、衆目に晒される。


 ゴメスの頬が引きつり、彼に賭けた者たちが悲鳴を上げた。



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