第406話 大樹海一人旅?
坂を下りきると、俺は背後を振り返った。
上から見下ろすとそうでもなかったが、下から見上げるとほとんど崖だ。
崖の上に鬱蒼と茂る木々の中に銀色は見えず、俺の後を追って崖を降りてくる様子もない。
決して小さくない寂しさと、それよりも大きな安堵が胸に芽生えた。
「……さて、行くか!」
無駄に大きな声を上げ、俺は大樹海に背を向ける。
実際、感傷に浸っている時間はない。
当初は10日程度だった旅行の予定が、戦争と樹海生活のせいで何倍にも延びてしまったのだ。
フィーネがティアたちを誤魔化すのもそろそろ限界だろうし、ローザやアンも心配しているはず。
これほど長く屋敷を空けたのは初めてだから、フロルだって不安に思っているかもしれない。
(とはいえ、またしばらく歩くしかないんだが……)
周辺の地形は、坂の上にいるときに確認済みだ。
まず、正面と右手は果ての見えない草原。
崖の近くにはポツポツと木も見えるが、樹齢が若いのか栄養が足りていないのか、背後の崖の上にそびえ立つ木々と比べると高さは見劣りする。
遠くに見えるはぐれの魔獣もそうだ。
これもサイズは辺境都市近辺で見かけるものと大差ない。
大樹海では基本的に俺より大きい魔獣としか遭遇しなかったので、秘境を脱出した実感が少しずつ湧いてくる。
空を飛んでいる影も見えたが、これは魔獣か野鳥かわからなかった。
いずれこちらに興味を示しておらず、過度に警戒する必要はなさそうだ。
そして反対側、左手には幅が数百メートルくらいの大きな川。
3日前にぶつかって以来どこかで渡れないかと思いながら川沿いを歩き続けたが、向こう岸が近づいたり遠のいたりしながらも結局渡れる場所を見つけることができず、ずっと行く手を遮っている。
基本的には南東方向に流れる川だったため、川沿いを歩いているだけで目的を達成できたのは本当に幸運だった。
(当初の予定より、かなり南に逸れてるよなあ……)
城塞都市に戻るため、なるべく東へ進もうとしたが、全く思い通りにならなかった。
今も隣を流れている川もそうだが、毎日のように自然の要害に行く手を阻まれて迂回に迂回を重ね、東へ進んだのと同じくらいの距離を南に進まなければならなかったからだ。
結果として、俺は大樹海を南東方向に抜けたと思われる。
現在地は未だ不明。
多分、帝国南西部にある交易都市領内だろう。
ここから城塞都市の防衛線を目指すなら、大樹海を左手に見ながら北東に進めばいつかは到達すると思われるが――――
「…………」
正直に言うと、非常に人恋しいので一刻も早く人里にたどり着きたい。
女の柔肌という意味でもそうだが、まずはとにかく人間と会話したい。
20日間も行方不明ならレオナやソフィーには死んだと思われているだろうし、宮廷魔術師団が俺一人のために大樹海を捜索するはずもない。
帰還が1日か2日遅れたところで大差ないだろう。
(となると、やっぱりこのまま南東方向だな……)
左手にあるような川は運河として利用されていることが多い。
流石に大樹海の近くに街は作らないだろうが、このまま川沿いを歩けば帝都と交易都市を結ぶ大街道のどこかにぶつかるはず。
川と大街道が交わる場所が、街になっている可能性は低くない。
仮に街がなくても、橋か船でも見つかれば街に着いたようなものだ。
大樹海の内部と違い、大街道の方向やおおよその距離が掴めているので、精神的な負担は軽い。
しかし――――
(…………よし、走るか)
早く人間に会いたいというのは間違いなく本心。
ただ、小狐との別れによって生じた寂しさをどうにかしたいという理由も小さくなかった。
余計なことを考えないように、とにかく身体を動かしたい。
辿り着いた街に娼館でもあれば、寂しさも紛れるだろう。
そんなことを考えていたからか。
俺の耳が、後方から聞こえる音を拾った。
「――――ッ!?」
振り返るべきではない。
振り返ったって、どうせ連れて行くことはできないのだ。
そう思ったのに、気づけば俺は背後を振り返っていた。
「…………ッ」
胸の中に生じた想いはまとまらず、しかし、より強い想いが言葉となって喉元に押し寄せる。
堪えることはできない。
俺は衝動に身を委ね、舌が動くままに叫んだ。
「お前じゃねえ!!!樹海に帰れや!!!」
返事の代わりに放たれた蜘蛛糸を回避。
体勢を立て直すと、俺は前方を鋭く睨みつける。
視線の先に鎮座するのは、女の上半身が生えた大蜘蛛だ。
小狐とは、似ても似つかない。
(ああ、もう、なんだこれ!?なんだこの気持ち……!?)
何か思ったのと違う状況に陥ったことで生じた羞恥。
小狐と二度目のお別れをしなくて済んだ安堵。
恥をかかされた(?)ことによる苛立ち。
突如として生まれた強い感情を持て余した俺は、『スレイヤ』を召喚してアラクネに斬り掛かる。
八つ当たり気味な斬撃は当然のように回避されたが、意識が戦闘に移りアラクネとの距離も開いたことで、俺は感情を消化するための貴重な時間を得た。
「はあ…………。まあ、なんだ。お前を連れて行くわけにはいかないんだ」
召喚した『スレイヤ』を肩に担ぎ、誰に言うでもなく呟いた。
小狐だって難しいのだ。
アラクネなんて連れて行ったら、大騒ぎになって俺まで街から叩き出されてしまう。
「殺サナイ。オトナシク――――」
「断る!!」
20日振りに相見えたアラクネの言葉を切って捨てると、俺は再び『スレイヤ』を構えた。
寂しさから待ち望んでいた会話も、相手がアラクネでは興醒めだ。
人里に辿り着いたときに解放されるはずだった何かが損なわれた気がして、気分が悪くなる。
(ああ、そうだ。思えば全部、こいつのせいだ……!)
妖魔共に景品として扱われたのも。
妖狐村で餌として飼われたのも。
四尾の分身体に遊ばれたのも。
全部、こいつが余計なことをしたせいだ。
こいつがいなければ、今頃俺は辺境都市の屋敷でのんびり過ごしていたに違いない。
そう考えると、沸々と怒りが湧きあがってくる。
「……ちょうど良かった。帰る前に、何か手柄が欲しいと思ってたところだ」
このまま城塞都市、あるいは帝都に帰った場合、俺を待っているのは妖魔に攫われた間抜けというゴミのような評価だ。
B級冒険者最弱。
上級冒険者の面汚し。
そんな酷評を避けるため、最低限の仕事をした証明として持参するなら、アラクネの魔石はこれ以上なく相応しい。
だから――――
「お前のエサなんてまっぴらだ!お前が俺の糧に成れ!!」
ふざけた縁を断ち切るべく、俺はアラクネに宣戦する。
アラクネが、あらわれた。
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