第405話 大樹海一人旅with小狐
寝床を片付け手早く準備を整えると、俺は再び南東方向へ歩き出した。
「いいか?一緒に来てもいいのは大樹海を抜けるとこまでだからな」
少し後ろを当然のようについてくる小狐に言う。
わかっているのかいないのか、小狐から返事はない。
結局、俺は小狐を連れて行くことにした。
最大の理由は安全に大樹海を抜ける方法がほかに思いつかなかったからだが、ついてくるなと言ったところで無駄だという理由も大きい。
考えてみれば当然だが、昨夜俺を襲撃したらしい妖魔と違い、小狐は妖狐村からここまで俺に気づかれず追跡を成功させているのだ。
道中は背後を気にする余裕がなかったと言い訳もできるが、岩穴への侵入の件は言い訳のしようもない。
帰れと言っても無駄ならば、役に立ってもらった方がいい。
「しかし、お前も戦えたんだなあ……」
小さくても妖狐ということか。
今も不安定な軌道で宙を揺れる火球がこちらに迫る魔獣を直撃し、対象を爆散させた。
火球の威力は俺と遊んでいた四尾の分身体と同程度。
昨夜の戦闘が連戦にせよ乱闘にせよ無傷で切り抜けたなら、ある程度は期待できるだろう。
収獲は妖魔の魔石だけを回収し、魔獣の死骸は放置する。
処理に時間がかかるのもあるし、魔獣の死骸なんて焼いたら色々集まってきて目も当てられないことになるからだ。
大樹海なら魔獣の死骸を喰う存在には困らないだろうし、仮に変な妖魔が憑いたところで化け物が一匹増えるだけ。
それによって大樹海に何か影響があるとも思えない。
なお、倒した妖魔の魔石に込められた魔力は小狐にとってご飯のはずだが、手をつける様子は全くなかった。
多分、上等な餌だけ食ってカリカリには目もくれない猫と同じような心境なのだろう。
「おっ!?こら、なんだ!?」
突然、小狐が外套のフードの中に飛び込んできた。
戦争で一度はボロ布同然になり、フロルが繕ってくれたおかげで真新しく――――というか新品になっていた認識阻害の外套。
まともに修繕したら元の布地よりアップリケの面積の方が大きくなりそうだったので賢明な判断だと思うが、いずれにせよ外套として使用できる状態で保管庫に置かれていたので使わせてもらっている。
別物になった結果、認識阻害の効果がどれくらい残っているのか定かではない。
今は外套の機能だけ残っていれば十分だった。
昨日はひたすら走り続けたから着用しなかったが、今日は歩くことにしたので虫よけのためだ。
そして、そんなローブに飛び込んだ小狐が何をしているのかと言えば――――
「はあ……、もう好きにしろ……」
お腹が空いたらしい。
用心棒代のつもりか知らないが、また左足に纏わりつかれても邪魔なので小狐の好きなようにさせた。
走り続けると、いざ戦闘になったときに全力を発揮できないかもしれない。
そんな理由で歩きと小走りを繰り返した俺だったが、結局一度も戦わないまま夕暮れを迎えた。
付近にいる妖魔や魔獣を狩って俺から魔力をもらうという一連の行動が、小狐の中でひとつの流れとして確立されたらしく、襲ってくる奴らを小狐が全て撃退してしまったからだ。
アピールのつもりか、俺が見つけていない妖魔まで狩り出しては魔石をサッカーボールよろしく転がして運んでくることも何度かあった。
この旅も、小狐にとっては遊びの延長なのかもしれない。
それはさておき。
日が暮れそうなので、再び適当な岩場にセーフハウスを用意することにしたのだが――――
「…………」
昨日と同じ手順で用意した即席の寝床。
完成と共に内側から穴を掘り始めた小狐は、硬いはずの岩にあっさりと空気穴をこさえて満足げだ。
セーフハウス(アウト)。
謎の言葉が頭をよぎる。
何を考えているやら、もう自分でもわけがわからない。
(まあ、いいか…………いいのか?)
虫や蛇が入ってこないか不安になるが、残念なことに俺のサバイバル能力は小狐未満だ。
ここはつまらない意地を捨てて大樹海の原住民に従う方がいいのだろう。
そう思わないと、やっていられなかった。
◇ ◇ ◇
妖狐村脱出から3日目。
四尾と山亀の戦いの影響も皆無となり、大樹海は本来の顔を取り戻した。
どこかに隠れ潜んでいた大樹海の住人たちが再び森の中に現れ始め、妖魔だろうが魔獣だろうが遭遇すればほぼ必ず戦闘に突入する。
昨日まで隠れていた奴らは、四尾と山亀の戦闘を見て身を潜めないと不味いと判断するだけの知能を持っているということで、つまり昨日の段階で通常営業だった間抜け共と比較して手ごわいのが多いということだ。
しかし、それでも多くの戦闘は俺が『スレイヤ』を振る前に決着していた。
小狐の火球を耐えたり回避したりするモノはそれなりにいて、そういった取りこぼしは俺が<結界魔法>で止めて『スレイヤ』で処理していたのだが、いつからか火球が効かないと見た小狐がその小さな体躯で敵に飛び掛かっていくようになったのだ。
おかげで相手が単体のときはやることがない。
ただ、戦闘を全面的に任せることができて楽になったかというと、そんなことは全くなかった。
いや、事実として楽にはなっている。
なっているのだが――――
「あ…………、あぶっ……、よし、そこだ、いけっ!」
小狐と手ごわい魔獣が目の前で繰り広げる、手に汗握る戦闘。
戦力的に優勢とはいえ、両手に乗るサイズの小狐と人間より二回りほども大きい魔獣が戦っているのを安心して見ていられるわけもなく、心臓に悪い場面もわりとあるので精神的に疲れてしまう。
小狐が存外機敏に動き回るので間違って小狐を斬ってしまわないか心配で、戦闘に割り込むのも簡単ではない。
やきもきしているうちに火球を目くらましに接近した小狐が魔獣の頭部に飛びつき、小狐がそこからピョンと跳ねると同時に魔獣の首はあっさりと落ちた。
魔獣にトドメを刺したのは小狐の爪だ。
岩を削るくらいだから相応の強度があることは察していたが、ずいぶんと威力の高い爪をお持ちの様子。
単純な物理攻撃ではなく魔力を使って何かやっているようなので、もしかしたら『スレイヤ』と似たようなことをしているのかもしれない。
ただ、その爪を使って魔獣の死骸から魔石を掘り出すことはしなかった。
汚れるのが嫌なのだろう。
あるいは汚れた結果、俺に丸洗いされるのが嫌なのかもしれないが。
「戦えるのはもうわかったから……。あと、頼むからそれを俺に向けてくれるなよ?」
何が気に入ったのか、あるいは目覚まし代わりのつもりか。
今朝も小狐に頭をカリカリされて目が覚めた。
俺の頭は当然魔獣よりも脆いので、魔獣の首が落ちるような威力でカリカリされたら頭皮よりも頭蓋骨を心配しなければならなくなる。
冒険者など死に方を選べない職業の筆頭のようなものだが、連れている妖狐に頭をほじくられて死ぬのは流石に御免だ。
土に爪を擦り付けて魔獣の血を拭った小狐が、しれっと外套のフードの中に戻ってくる。
俺は魔獣の死骸を見下ろして溜息を吐き、小狐がうっかり俺の首を落とさないことを祈りながら再び歩き出した。
小狐を連れて東へ、ひたすら東へ。
妖魔と魔獣が蔓延る大樹海の中、俺は方位磁針を頼りにとにかく東を目指した。
大自然の要害は幾度となく俺の前に立ち塞がり、地形を迂回するために丸一日を費やすこともあった。
断崖はともかく大河は泳いで渡れないかと迷ったが、向こう岸までの距離がわからないような川なら深さも相当だろう。
水泳の最中に巨大な水棲生物とこんにちはする可能性を考えると、選択肢はないようなものだった。
とはいえ、大樹海の広さも無限ではない。
そもそも大樹海の奥地なんて言ったところで、大樹海全体から見れば所詮は外縁部。
妖狐村から防衛線までは、四尾の妖狐が数時間で移動できる距離に過ぎないのだ。
四尾が時速100キロメートルで空を駆けたとしても、稼げる距離は精々300から400キロメートル。
実際はそこまで速くなかったと思うから、いいとこ200キロメートル程度だろう。
足場が悪く、高低差もあり、直線では進めない。
それでも体力に自信がある俺ならば、踏破は決して不可能ではない。
毎日着実に進んでいけば、いつかは東端にたどり着くのだ。
そんな気持ちで歩き続けること数日。
妖狐村脱出から7日目。
大樹海生活を開始してからたしか20日目。
ついに俺は、目の前に広がる平原を見た。
◇ ◇ ◇
「着いたああああああっ!!!俺は自由だあああああ!!ヒャッハーッ!!!!」
大樹海から脱出した俺は、まず叫んだ。
驚いた小狐がフードから飛び出すのも構わず、空に両手を突き上げる。
その直後――――
「――――ッ!」
『スレイヤ』を召喚して背後を振り向く。
そして、空を見上げる。
「………………」
敵影なし。
安全確認ヨシ。
「ふう……。マジで脱出できたのか……」
『スレイヤ』を保管庫に送り返し、周囲を見渡す。
この数日間、小狐に戦闘の大半を任せていた理由は妖狐便を警戒していたからにほかならない。
奴らは一瞬の隙を突いて7日間の旅を振り出しに戻しかねないのだ。
これがすごろくであればゴール直前の振り出しマスを踏むのも一興だが、現実でそれをやられたらもう立ち直れない。
だからこそ、俺が最も油断するであろう瞬間に、馬鹿みたいに隙を晒して見せたのだが。
「まあ、来ないならそれに越したことはないか」
結局、妖狐は釣れなかった。
もし奴らが俺を狙っているとしたら、忍び寄るにしても戦うにしても見晴らしのいい平原より戦い慣れた大樹海を選ぶはず。
このタイミングで来ないなら、もう妖狐からの襲撃はないと考えていいだろう。
「まさか、全滅ってことはないと思うがなあ……」
左足に纏わりつく小狐を見下ろし、妖狐たちと山亀の戦いに思いを馳せる。
山亀の移動速度は文字通り亀の歩みであるからして、空を自在に駆け回る妖狐たちが逃げるのは容易いことだ。
必殺技と思しき極太ビームも、威力はさておき攻撃速度はいまいちなので撃墜された妖狐はいなかったと思う。
仮に妖狐村となっていた岩場が山亀の体当たりで崩壊したとて、奴らなら新たな住処を見つけるのも苦労しないはず。
何かの間違いで四尾が撃墜されたとしても二番手の妖狐が群れを率いるだろうし、群れの壊滅は考えにくい。
やはり、単純に疲弊したせいで俺に構うどころではなくなったのかもしれない。
そうであれば、こちらとしては大変ありがたいことである。
山亀サマサマだ。
「さて……」
飽きもせず左足に纏わりつく小狐を見下ろす。
小動物と共に生活するなんて前世ぶりのことだったから、正直なところ悪い気はしていなかった。
ただ――――名残惜しいが、そろそろお別れの時間だ。
「約束は覚えてるな?」
小狐は左足に身体を擦りつけながらくるくると回り、最後に俺から少し離れてお座りの姿勢になった。
どうやら、意図は通じていたらしい。
「お前には色々世話になったなあ……。正直なところ助かったよ、うん」
一緒にいる時間が長かったので愛着も湧きつつあるが、小狐は妖魔だ。
人里に連れて行けば少し目を離した隙に狩られてしまうか、あるいは狩ろうとした奴を返り討ちにして大虐殺が始まるか。
どちらに転がってもハッピーエンドにはなりそうもないので、ここでお別れしておくのがお互いにとって幸せだろう。
「どれ、最後だから念入りにやってやろう」
布を敷いてブラシを見せると、小狐は布の上に転がって腹を見せた。
餞別代わりと思って、いつもより丁寧にブラシをかけてやる。
片側が済んだら反対側を向かせて裏側も。
時折口を開けて欠伸をしながら、小狐は気持ちよさそうに目を細めた。
「さて、そろそろいいか……」
小狐の腹を2回、ポンポンと軽く叩く。
ブラシおしまいの合図だ。
小狐はゆっくりと布から降りて、こちらを振り返る。
「じゃあ、元気でな」
小狐は少し口を開けて鳴くような仕草を見せたが、その音は俺の耳に届かなかった。
あまり留まると、そのまま連れて行きたくなりそうだ。
ブラシと布を仕舞い、最後にひと撫でして小狐に背を向けると、周囲を確認してから勾配が急な坂を滑るように駆け降りる。
「…………」
大樹海生活が続き、風邪をひいたのかもしれない。
じわりと垂れてきたハナを、一度だけすすった。
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