第404話 大樹海一人旅




 ここ半月の悪戦苦闘が嘘のように、俺はあっさりと妖狐村からの逃走に成功した。

 妖狐村の妖狐たちの半数ほどは山亀との戦争に掛かりきりになり、残る半数も西の方へ避難していく。

 妖狐たちをして生存を優先させるほど、山亀の脅威は大きいということだ。


 そして、脅威を感じて逃げ出すのは俺と妖狐たちだけではなかった。

 極めて強力な妖魔同士の正真正銘の大戦争は、付近に生息する雑魚妖魔の生存本能をこの上なく刺激したらしい。

 南東方向へ逃走する道中、普段は俺を発見するなりこちらに寄ってくる妖魔たちも戦闘より逃走を優先する個体がほとんどだった。

 頭の悪い妖魔との間で短時間の戦闘が何度か発生した以外、ひたすら南東へ向かって逃げ続けた。

 障害物を迂回するために時折遠回りしながら、可能な限り距離を稼いだ。


 四尾と山亀の戦闘の気配が全く感じられなくなる程度に距離を稼いだ頃。


 木々の隙間から覗く空は、暗くなり始めていた。






「はあ…………ふう…………」


 軽く殴りつけてトレントでないことを確かめてから、俺は大樹のひとつに寄りかかって呼吸を整える。


 <強化魔法>と<リジェネレーション>によって継戦能力が非常に高くなっている俺は、実戦で身体的疲労を感じることがほとんどない。

 ただし、それは俺が無制限に運動を続けられるということを意味していない。

 精神的疲労の方が先に表面化するから結果としてそうなっているだけのことなので、精神的疲労を忘れ<リジェネレーション>による回復を超えてがむしゃらに動き続ければ、当然身体の方にも疲労は蓄積し、そのうち限界が訪れる。


 そんなわけで、俺は久しぶりに身体的疲労による限界を感じて小休止していた。


(あー……。しんどい……)


 これほど必死になって逃げたのは、いつぞや火山で黒い妖魔と対峙して以来か。

 あのときは<強化魔法>の加減すら忘れて魔力体力ともに底をつく醜態を晒したので、今回<強化魔法>のコントロールを失わなかったことは成長だと思いたい。


 ただ、それはそれとして。

 今の俺には、やはり十分な休息が必要だった。

 

(さて、どうするか……)


 木々の隙間から空を見上げると、藍色が濃くなり始めている。

 すでに体力は樹海の中をハイキングできる程度には回復したし、少し歩いていれば走れる程度に回復するのも遠くない。


 だが、ここは大樹海だ。


 雲がなくても月の光は微か。

 夜目が効くわけでもなく索敵も十分に機能しない。

 妖魔にせよ魔獣にせよ見つかれば確実に先制されるであろう状況下、自分より格上の生物が跋扈する夜の森を進むのは、どう考えても無謀だろう。

 

 半月前に俺を追い回した大型の妖魔共は明らかに俺をする目的で動いていたが、次に捕獲されたとき、そいつが俺をムシャムシャしない保証なんてどこにもない。

 捕獲されたら終わりと考えて、慎重に動くべきだ。

 

(まずは寝る場所だ……)


 現在地は不明だが、大樹海を抜けて平野部に到達するのは早くても数日後。

 それまで寝ないで動き続けることは不可能なので、大樹海の住人たちをやり過ごす手段を確立しなければならない。


「木よりは岩か……」


 頑丈そうな岩壁を探し、前に立つ。

 『スレイヤ』にかかれば岩壁に人間一人分の穴をこさえることも、こさえた穴の前に積む石材を切り出すことも造作ない。

 造った穴の中に入って入口に石材を積み、石材がこちらに崩れたときの保険兼警報器として<結界魔法>を設置した。

 ミリ単位の隙間も残さず張り合わせた6枚の<結界魔法>は、エレメント系の妖魔がすり抜ける隙間すら存在しない。

 インスタントな障壁として運用するばかりだった<結界魔法>が、珍しく結界らしい仕事をしている。


「ヨシ!」


 臨時のセーフハウスにしては十分な出来だ。

 これなら一晩耐えられるし、耐えられないとしても危機に際して飛び起きることはできるだろう。


 内側の小さな空間に寝床を作り手早く食事を済ませると、俺は剣を抱いて防具を装備したまま毛布にくるまって横になった。

 石材の隙間から差し込む光は人間が活動するにはあまりに乏しい。

 灯りを使えば人間が居ると喧伝するようなものだから、寝るしかないのだ。


 幸い妖狐村でも似たような暮らしをしていたから、超健康的な生活は体に馴染んでいる。


 疲労感も手伝って、俺は速やかに眠りへと落ちていった。





 ◇ ◇ ◇





「ん…………?」


 外部からの刺激で目が覚めた。


 寝ぼけた頭で来客でもあったかと思いながら目を開け、腕の中にある『スレイヤ』の重みと見知らぬ天井――――ならぬ岩を見て、俺は自身の置かれた状況を思い出す。


 ならば、俺の頭を触っているのはフロルではなく小狐か。


 小狐か?


「…………」


 今も俺の頭頂部のあたりを爪でカリカリと引っかいている。

 相変わらず力加減は絶妙だ。

 一度叱りつけた後は、俺の頭皮を削ることもなくなった。


 しかし、そのまま二度寝するわけにはいかない。

 俺はのそりと上体を起こし、目をこすった。


「…………なんでやねん」


 小さな銀色の毛皮は雑なツッコミに答えることもなく毛布の中に潜り込み、定位置でもぞもぞと体を動かしている。


 まさか、<結界魔法>が破砕される音にすら気づかず眠りこけていたのか。

 愕然としながら出口の方に顔を向けると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。


 なんと、昨日寝る前に設置した<結界魔法>もその向こうに積んだ石材も、そのままそこに存在している。


 そして、俺が設置した<結界魔法>の下。


 が存在していた。

 

「………………」




 問い:<結界魔法>を破壊せずに中に入りたい。どうする?


 答え:穴を掘ってを潜り抜ける。




「……お前、天才か?」


 きっと天才だ。

 そうに違いない。


 そうでなければ、俺の知能が小狐未満ということになってしまう。


「はああああ……、マジかあああ……」


 たっぷり数十秒、ガッツリ項垂れた後で全く役に立たなかった警報装置を自力で破壊する。

 けたたましい破砕音が、どこかむなしく響いた。

 

 しかし、俺の落胆はそこで終わらない。

 出口に積んだ石材を雑に崩して外に出た後で、またしても絶句することになる。


「…………これもお前か?」


 岩穴の入口付近、小さな魔石が6つ。

 左足に纏わりつく銀色に問うと、小狐はどこか自慢げにこちらを見上げた。

 

 魔石のサイズからして雑魚妖魔のものだろうが、俺は戦闘があったことすら知らなかった。


「…………」


 どうやら大樹海では、俺の戦闘能力だけでなくサバイバル能力も通用しないらしい。

 これでは人里にたどり着くまでに何度ムシャムシャされるかわかったものではない。


 もちろん、一度ムシャムシャされたらそれまでだが。


 実際、昨夜の戦闘に勝利したのがコイツでなかったら、俺は死んでいたかもしれないのだ。


「はああああああ…………」


 もう溜息しか出ない。


 俺は力なく地べたに座り込み、人の気も知らず食事を始めた小狐をわしゃわしゃした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る