第401話 おいでよ、妖狐の村2
「んおわっ……!?」
早朝、外部からの刺激で目が覚めた。
寝ぼけた頭で来客でもあったかと思いながら毛布から顔を出し、見知らぬ天井――――ならぬ見知った青空を見て、俺は自身の置かれた状況を思い出す。
ならば、俺の頭を触っているのはフロルではなく小狐か。
今も頭頂部のあたりを爪でカリカリと引っかいている。
絶妙の力加減が気持ちいいのでしばらくそのままにしていたのだが、そのうちカリカリでは済まない勢いになり、猛烈に俺の頭皮を削り始めた。
「おまっ、何しやがる!?」
小狐を鷲掴みにして自室(仮)の外に放り投げ、跳び起きて『セラスの鍵』から手鏡を取り出す。
頭皮の状態を確認しようと右往左往するが、自分の脳天など鏡一枚で確認できるものではない。
俺は諦めてポーチからフロル製ポーションを取り出し、薬液をヒリヒリと痛む箇所にゆっくり振りかけた。
大樹海の奥地で特製ポーションの浪費など本来なら言語道断だが、備蓄は保管庫内にダース単位で用意されているので何も問題はない。
ひとつ取り出してポーチのポーションホルダーに差し込み、代わりに空の瓶を保管庫の棚の上に置いておく。
こうしておけば、そのうちフロルが補充してくれるはずだ。
「お前、次やったら出禁にするからな……」
俺の頭皮に一体何の恨みがあるというのか。
悪びれる素振りもなく戻って来た小狐を指差し、もう片方の手で頭を抑えながら睨みつける。
言葉は通じていないだろうが、身振りで理解してくれると信じたい。
時間を確認すると、もうすぐ妖狐共の食事の時間。
昨日、毎回朝駆けでは行動を読まれてしまうと思い、失敗する前提で食事直前に逃げ出したところ、四尾の分身体だけでなく妖狐村総出で捜索隊を組織され、俺は村から出ることもできずに御用となった。
食事の時間が遅れた妖狐共は、皆不機嫌そうに尻尾で俺を叩いていた。
尻尾で済んでいるうちは良いが、そのうち前足パンチの制裁が科されるかもしれない。
妖狐共のエサとして生存権を得ている都合、食事に影響するような行動は避けるべきだろうか。
(…………なんで俺がそんなこと気にせにゃあならんのか)
溜息を吐きながら、服を着替える。
妖狐村、滞在7日目の朝だった。
妖狐共の食事は朝夕の2回。
逃亡のチャンスは寝ている妖狐が多い早朝と昼の2回。
しかし、今日は早朝の逃亡を見送った。
昼の方に全力を注ぐためだ。
「フッ!」
岩場を降り、土の上で素振りをする。
ずいぶん長く続けている日課だが、時折ジークムントの指導を受けるようになった今でも振り方は我流のままだ。
ジークムント曰く、剣の重さも切れ味も普通と違い過ぎるため、普通の剣術では役に立たないどころかむしろ害悪であるという。
たしかに『スレイヤ』の斬撃は対人戦においてオーバーキルも甚だしく、当たれば勝ちなところがある。
剣でも盾でも鎧でも関係なく斬ってしまうのだから、それで止められる前提の剣術では役に立たないだろう。
まして、人間や人間大の魔獣を想定した剣術が大型トラックサイズの妖狐に通用するはずもない。
結局は自分が振りやすいように振るのが一番ということだった。
「ハッ!」
無心で剣を振り続ける。
雑念を排し、自分の動きと剣だけに集中する。
普段であれば決して難しいことではない。
しかし、今日はとある事情により集中が乱れていた。
「お前さあ……、流石におかしくないか?」
前に踏み出した左足。
そこには銀色の小狐が纏わりついていた。
今だけではない。
昨日か一昨日あたりから、俺が逃亡を図るとき以外はほぼ常に左足首に纏わりついて断続的に魔力を吸収している。
岩場で引きずられても土の上で引きずられても、毛皮に小枝が引っ掛かっても気にしない。
今も土まみれになって銀色の毛皮が汚れてしまっている。
足を振って吹っ飛ばしてもすぐに戻ってくるので気にしないように努めているが、なんだか虐待しているようで微妙に落ち着かない。
俺は小狐の尻尾を掴んで持ち上げ、逆さに吊るした。
「まあ、いい。そろそろ時間だし、風呂にするか」
目の前に出現した浴槽と簀の子から、この後何が始まるか察したらしい。
小狐は今頃ジタバタと藻掻き始めたが、もう手遅れだ。
「さあ、綺麗にしましょうねー」
適当に土や枝を落としてから、お湯を入れたタライに小狐を沈める。
最初は抵抗していた小狐も、シャンプーを掛けられて泡だらけになると諦めたようだ。
諦観漂う憮然とした顔で丸洗いされている。
泡まみれになった小狐を見下ろして、ふと思った。
(あれ、人間用と動物用のシャンプーは別のがあるんだっけ……?)
前世の話だったか、それとも辺境都市でも見かけたか。
まさか妖狐がシャンプーに負けることもないだろうし、酷いことにはならないと思うが。
一応、泡が残らないように入念に洗い落とし、最後に綺麗なお湯ですすいでからタオルで水気を取った。
俺自身がドライヤーを使わないので、乾燥はお日様と風にお任せだ。
「一応言っておくが、土まみれでベッドに上がってきたら蹴り出すぞ」
しぼんで一回り小さくなった小狐は、心なしかしょんぼりして見えた。
小狐を丸洗いした後は俺自身も入浴し、念入りにストレッチを済ませてから懐中時計を見る。
数分間繰り返し時計の針を見つめ、長針と短針が重なる12時丁度。
「そら!!」
グリーブを装備しても変わらず左足に纏わりつく小狐を引きはがし、岩場に放り投げる。
それと同時、俺は妖狐村から逃亡を開始した。
逃亡を始めた瞬間、俺を追跡する妖狐たちが次々と空に舞い上がる――――ということは全くない。
多くの妖狐たちはお昼寝の時間で、残りはおやつを探して大樹海を徘徊している頃だ。
彼らの行動範囲は非常に広いようで、よほど運が悪くない限り逃走中にバッタリということにはならない。
だから、逃走序盤の相手は妖狐ではない。
多種多様な大樹海の住人たちだ。
「なんか、日に日に増えてないか!?」
妖狐の縄張りである岩場の近くまでは来ないようだが、わざわざ妖狐村の近くでうろうろしている理由がわからない。
まさか、こいつらも俺を狙っているのだろうか。
「どいつもこいつも、人を餌扱いしやがって!!」
<フォーシング>で魔獣を散らし、寄ってくる妖魔を近いところから斬り捨てる。
一定以上の力を持つ奴らが近づくと妖狐が迎撃に出張ってくるからか、この辺りの妖魔はあまり強くない。
しかし、だからといって無視して素通りするのは悪手だ。
処理が甘いと徐々にお祭り行列になってしまい、後が辛くなる。
妖魔共に包囲されてそちらの処理に集中すると、いつの間にか襟首をくわえられて空中散歩というのが必敗パターンだった。
ゆえに、今日の俺は焦らない。
寄ってくる妖魔を一体ずつ処理しながら着実に距離を稼いでいく。
腹を空かせた妖狐共が血眼になって追跡を始めるまで、まだ3時間近くの猶予があるのだ。
それまでは妖魔と――――
「お前らの相手に集中できるってな!!」
手近な妖魔に斬りかかる最中、攻撃を中断して跳び退る。
瞬間、俺と妖魔が居た空間を薙ぎ払って木々の中に消えていく白金色の影。
木々の合間を警戒しながら空を見上げれば、大樹海の上を悠々と歩くもう一体も見える。
俺が斬ろうとした妖魔が魔力の塵となって舞い散る中、森と空から四尾が放った刺客が迫る。
四尾の分身体×2が、あらわれた。
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