第400話 おいでよ、妖狐の村1



 妖狐によって連れ去られた俺は、その後、妖狐の群れに集られて餌になった。


 といっても、むしゃむしゃされてスプラッタになったわけではない。

 妖狐は妖魔であるからして、彼らの食事はラウラやフロルと同じく魔力だ。

 仰向けに転がされ、俺を攫ってきた一番デカい四尾の妖狐に右側から腹を踏みつけられる中、群れの妖狐たちが次々とやってきて左側で食事を始める。

 左腕を甘噛みされたり左足を舐められたり添い寝(?)されたりするのを、俺は寝転がって見ていただけだ。

 どうやら本格的に飼うことにしたらしく、甘噛みを超えて噛みつこうとした妖狐には、ボスと思しき四尾の妖狐が前足パンチで制裁する念の入れよう。

 四尾の妖狐は俺の逃亡を阻止するだけでなく、ほかの妖狐がしないように見張りも兼ねているらしかった。


 命を取られることはなさそうだと理解した俺は、入れ替わり立ち代わりやってくる妖狐たちの容貌を観察した。

 毛の色は前世でもよく見たような黄色系や金色、あるいは白金色。

 ただし、サイズは大型犬くらいのものからトラックサイズのものまで。

 それを眺めているのは面白かったが、それも最初だけですぐに飽きた。


 余りに暇すぎるので、空いている右手で四尾の妖狐の前足――サイズが違い過ぎるので足というか指だが――に触れてみると、無茶苦茶キレられた。

 静電気らしきものがバチッと飛び散り、四尾の妖狐も食事中の妖狐も飛び退ってこちらを威嚇する。

 それ以来、右側から俺の腹を抑える役目は四尾の分身体になった。

 足に触られたのがよほど気に障ったと見える。

 触れていたのは一瞬だが、ふさふさの毛並みの触り心地は悪くなかったので残念だった。


 妖狐たちの食事が終わると、俺は自由になった。

 岩山を住みやすいように無理やりくり抜いたような岩場の中、ところどころ毛皮やら草やらが敷いてあるところが妖狐たちのプライベートスペースらしく、そこに踏み入らなければ割と自由に動くことができた。

 



 というわけで――――食事が終わって解放されるなり、俺は逃げた。




 四尾の妖狐に勝てないからといって、逃げられないわけではない。

 岩場から飛び降りて<結界魔法>で減速しながら着地し、東を目指してひた走る。

 妖狐の群れは大樹海にぽつんと佇む岩場一帯を縄張りにしているらしく、走り始めてしばらくは妖魔にも魔獣にも遭遇しなかった。


 これはいける。


 そう思っていられたのは、最初の数分だけだった。


 妖狐村の外に出ると、そこに待ち構えていたのは大樹海の住人たち。

 野生動物と大差ないようなものから何種類か混ざったようなキメラまで選り取り見取りで連戦に次ぐ連戦。

 <フォーシング>は妖魔全般に効かないらしく、魔獣はあっさりと逃げ散る一方で妖魔は一目散にこちらに寄って来るため、本来の使い方はできそうにない。

 魔力を喜んでいるため恐怖センサーは沈黙、索敵も機能しなかった。


 <フォーシング>という保険がない状況での戦闘は、俺の精神力を急速に削った。


 戦いながらようやく数キロメートルほど進んで注意力が鈍り始めた頃――――ふと、体が宙に浮く。

 

 妖狐便で空輸された俺は、再びスタート地点に放り出されるのであった。





 ◇ ◇ ◇





 妖狐村で飼われ始めてから5日目の午後。


 都合の脱走に失敗した俺は、四尾の分身体に襟首をくわえられ、またしても岩場に放り出された。


 四尾の妖狐は一番高い場所に寝そべり、白金色の尻尾を揺らしながら呆れたようにこちらを見下ろしている。

 逃がすわけないだろうと言いたげな眼差しに返せる言葉がないのは非常に悔しいが、あまり本気で警戒されても成功の目がなくなってしまうから困りものだ。


「はあ……」


 幸いというべきか、妖狐村での暮らしは概ね快適だった。

 四尾の妖狐はこの付近では相当に強い妖魔であるようで、時折襲撃してくるほかの妖魔や魔獣は配下の妖狐たちによって危なげなく撃退されている。

 皮肉なことに、俺一人で宛てもなく大樹海を彷徨うより、この場に留まる方がよほど安全だった。


 衣食住も『セラスの鍵』がある限り困ることはない。

 俺が戦争都市で戦争に参加していようが、大樹海で妖狐に囚われていようが、フロルは毎日しっかりと仕事をしてくれる。

 大樹海の奥深く――どのくらい奥なのかはさっぱりだが――で三食温かい食事を取り、ゆっくり風呂に入れる奴は上級冒険者でもそう多くないだろう。


「あん……?」


 再度分身体にくわえられ、宙ぶらりんで岩場内を移動する。

 水場の方に連れていかれたので、時間的に食事前に風呂に入れということだろう。


 妖狐たちは案外綺麗好きだった。


「まあ、いいけどさ……」


 化かされた俺が言うのもなんだが、妖狐たちは非常に賢い。

 奴らは人間が生きるのに食事や水が必要なことを知っており、初日はそれらを用意して俺の前まで持ってきてくれたり、俺が『セラスの鍵』で食事や水を取り寄せるのを見ると、それをしなくなったり。

 俺が岩場の中で野営地を構築するのを興味深げに見ていたと思いきや、次の日には魔獣の骨やら毛皮やらで各所に立派な日除けを作っていた。


 なお、せっかく建てたテントは大型犬サイズの妖狐たちのたまり場になり、俺のベッドを置く空間はなくなった。

 仕方ないのでテントの横に風呂用の衝立を並べ、その中に簡易ベッドを設置して自室にしている。


 入浴を終えると、30体くらいの妖狐たちと四尾の分身体が岩場の中央で待ち構えていた。

 分身体の前に敷かれた布――地べたは嫌なので俺が敷いた――の前に並ぶ妖狐たちは、俺が布に寝そべると大きい妖狐から順に食事を開始する。

 俺の魔力の味は理解されたようで、もう初日のように面白半分で噛みついてくる奴はいなかった。


(うーん……、順調に飼いならされてら……)


 もちろん妖狐ではなく、俺のことである。


 だが、このまま飼われているわけにはいかない。


 なんとか、脱出する手段を考えなければ。






 妖狐たちの食事が済むと、左半身に付いた妖狐の毛を払い、自室(仮)に戻る。


「またお前か……」

 

 比較的小さめの妖狐たちが隣のテントで戯れる中、一番小さい小狐が俺のベッドの上で丸くなっていた。

 トラックサイズやワゴン車サイズの妖狐たちが闊歩する岩場で、両手に乗るサイズの妖狐は逆に目立つ。

 初日は見かけなかったので、多分ここ数日で生まれたのだと思う。


(妖魔だからなあ……。狐ってわけじゃないんだろうが……)


 妖魔は、環境に適応して姿形を変えると言われている。


 妖狐しかいない岩場で生まれた妖魔は、やはり妖狐になるのだろう。

 しかし、金色で腹が白い妖狐や全身が白金色の妖狐が多い中、なぜかこの小狐だけは全身銀色だ。


 見た目が異なるせいで群れから排除される動物の話はよく耳にする。

 思えば食事のときも列に並んでいなかったから、もしかしたら虐められているのかもしれない。


(なんて、狐の心配してる場合じゃないんだが……)


 まあ、食事くらいはいいだろう。

 俺は昼寝をしようとベッドの上で薄い毛布を被ると、小狐は毛布の下に潜り込み左足首のあたりで丸くなった。

 最初はくすぐったかったが、それもここ数日で慣れている。


 小狐を蹴らないように注意しながら、俺はゆっくりと眠りに落ちていった。



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