第399話 思い込み




 アラクネと巨人との鬼ごっこが始まってから体感で2時間くらい経った頃。

 俺はゆったりと岩場に寝そべり、食事に勤しんでいた。


 今日の昼ご飯は、フロル手作りのハンバーガー。

 わざわざそれ用に焼き上げたパンズに、新鮮な野菜、肉厚のハンバーグ、甘辛ソースが挟み込まれた至高の逸品だ。

 俺の反応を見ながら少しずつ進化していく料理は、いつだって俺の舌を満足させてくれる。


(戦争都市で食べた大味なハンバーガーも、あれはあれで美味いんだが……)


 両者を比較すれば、やはりフロルの料理に軍配が上がる。

 

 最後の一口を口の中に押し込み、水筒に入った水をそのまま飲み干して、ホッと一息。

 両手を合わせてご馳走様を口にし、保管庫内の決められた場所に諸々を返却したところで――――俺は現実に引き戻された。


「はあ……」


 思わず溜息が漏れる。

 優雅なランチタイムを満喫した俺だったが、蜘蛛と巨人から逃げ切ったわけではない。

 むしろ状況は悪化の一途を辿り、逃げ場がなくなったから開き直っているだけだった。


(一体、どうしてこうなった……)


 アラクネと巨人から逃げる間も、追跡者は雪だるま式に増え続けた。


 いつぞや南の森の外縁部で遭遇した大蛇をさらに一回り大きくした巨大な蛇。

 歩くだけで巨木を次々となぎ倒す超巨大な猪。

 大樹海に住まう生物はみな巨大化する決まりでもあるのかと思いきや、前世でも見たことがある常識的なサイズの猿の群れもいた。


 多種多様な妖魔だか魔獣だかが、争いもせずに俺一人を追い回す様は異様と言うほかない。


 焦燥に耐えながら必死に逃げ続けたが、土地勘のない大樹海で正しい逃走ルートを選び続けることなどできるはずもなく、気づけば大自然の袋小路。

 足が止まったところを周囲の地面ごと吹き飛ばされて転がった先は、大きく口を開けた断崖。


 蛇やらムカデやらが狂ったように毒をまき散らして作った即席の毒沼に包囲され、ついに俺は完全に逃げ場を失った。


 もはやこれまで。

 俺は厳しい戦いに身を投じる覚悟を決め、『スレイヤ』を召喚し、異形の群れに剣先を向ける。


 追跡者たちはそんな俺を一瞥し――――あろうことか、こちらを放置して争い始めた。


 剣を構えたまま呆けることしばし。

 事ここに至って、ようやく理解した。


 追跡者たちは俺のことを欠片も脅威と思っていなかった。

 俺のことを活きのいい餌としてしか見ていないということに、ようやく気づいたのだ。


 俺は激怒した。


 人間を舐めるなと叫び、傲慢な大樹海の住人達に鉄槌を下すべく戦いに加わろうとして――――周囲を毒沼に包囲されていることを思い出して不貞腐れ、暇を持て余して今に至る。


(まあ、結果的に飛び込まなくて正解だったが……)


 大きな岩の上に腰を下ろし、怪獣大戦争を特等席で観戦していれば、己の非力を理解するのに多くの時間は必要なかった。


 他領で遭遇した大鬼より二回りくらいデカい一つ目巨人が、超巨大な猪の突進を受けて転倒する。

 そんな猪に大蛇が絡みつき、毒を吐きかけながら容赦なく締め上げる。

 彼らは復帰した一つ目巨人に諸共殴り飛ばされ、転がる猪のルート上に存在した大樹がボーリングのピンのように宙を舞う。

 隙を晒した一つ目巨人に猿やらムカデやらが次々に強力な魔法を浴びせかける。

 

 こんな戦いに人間が割って入る余地などありはしない。

 プチっと潰されないように逃げ回るだけで精一杯だろう。


「…………」


 今の状況をもたらした諸悪の根源、アラクネを見やる。

 防衛線の戦いではいい勝負をしたつもりになっていたが、奴も立派に怪獣大戦争の一翼を担っていた。

 蛇と猪が取っ組み合いをしているところに蜘蛛糸を吐きかけて動きを阻害し、一つ目巨人の攻撃をアシスト。

 かと思えば、一つ目巨人の背後に回って砲撃と見まがうような魔法で一つ目巨人を転倒させる。

 流石にサイズが違い過ぎるので正面から取っ組み合いはできないようだが、デカいのを相手に一歩も引くことなく立ち回っていた。


(ティアの<氷魔法>が破城槌なら、アラクネの魔法は徹甲弾ってとこか……)


 攻撃対象が硬すぎるせいで威力がわかりにくいが、あんなものを防衛線にぶち込まれたら間違いなく大惨事になる。

 俺との戦いでは、活きのいい餌を元気なまま確保するために手加減していたにすぎないのだ。


 やはり、俺はまだ弱い。

 

 俺が望む英雄になるためにもっと強くならなければと決意を新たにしつつ、俺は土塗れになった体を綺麗にするため、保管庫から風呂を召喚した。






 入浴したり体操したり実況したりしながら戦いの成り行きを見守ることしばし。

 永遠に続くような気がしていた怪獣大戦争も、いよいよ終盤戦に突入しようとしていた。


「さて、そろそろだな……」


 怪獣共の取っ組み合いを前にして俺はあまりに無力だが、だからといって優勝賞品扱いを受け入れたわけではない。

 奴らが消耗し、残り一体になるのを待っているのだ。


 つい先ほどボロボロになった猪が、樹木が薙ぎ払われて見通しが良くなった戦域からよたよたと撤退したばかり。

 一つ目巨人がアラクネを吹っ飛ばしたところから始まった戦いは、最後も両者が削り合う展開となっていた。


 しかし、互いに決め手がない。


 チクチクと魔法で攻めるアラクネに対し一つ目巨人は大樹の棍棒で応戦するが、最初の一発以来クリーンヒットを飛ばせていない。

 アラクネも大樹が薙ぎ払われてできた中途半端な平地を縦横無尽に跳ね回り、無傷で戦い続けているが、一つ目巨人に対して決定打となるような魔法はなさそうだ。


 戦いは千日手の様相。

 にもかかわらず、両者の戦いは時を追うごとに激しさを増している。


 理由はおそらく、遠くの方からが迫ってきているからだ。


「マジで、なんなんだあれ……?」


 山というのは比喩ではなく文字通りの山だ。

 最初は何かの見間違いかと思い、少し高いところから双眼鏡を覗き込んでいたが、わずかに伝わる揺れと共にはるか遠くにある山が動いたのを見て、俺はあの山が少しずつこちらに移動しているのだと確信した。


 おそらく山の下に何かがいるのだろう。

 本命は亀、対抗でヤドカリ、大穴でカタツムリあたりか。

 わかっているのは、怪獣大戦争を勝ち抜いているアラクネと一つ目巨人が焦りを見せる程度には、やばい存在らしいということだけ。


 そもそもサイズが違い過ぎる。

 今日見た妖魔の中で最も大きい巨大猪ですら、戦いが成立するか怪しいものだ。


「おっと……」


 山に気を取られていると、巨人が振り下ろした樹木の先がへし折れ、大樹の破片が毒沼に着弾した。

 飛び散る毒を回避すると、状況は思わぬ好転を見せる。


(これは、行けるか……?)


 破片と言っても元は大樹。

 煙を上げて溶けつつあるが、飛び石の役目を十分に果たせるだけの質量がまだ残っている。

 大樹の破片に着地し、もう一回ジャンプすれば毒沼を越えられそうだ。


 今ならアラクネと巨人の警戒も薄い。


 そろりそろりと立ち位置を変え、膝を曲げて走り出そうとした――――その瞬間。


「あ……?」


 突然、俺の身体が1メートルほど宙に浮いた。


 何かに襟首を掴まれた――――いや、噛まれたのだ。


 見下ろせば、白金色の前足とふさふさの尻尾。

 両側から大きな狐が宙を駆けて怪獣大戦争に加わるのを見て、俺は自身をくわえている何者かの正体を察した。


(あ、やば――――)


 俺を口にくわえた狐はそのまま反転し、宙を駆ける。

 どうやら先の二匹がアラクネと一つ目巨人を足止めしているうちに逃走するようだ。


 アラクネと一つ目巨人は優勝賞品を横取りされて激怒するだろうが、アラクネと一つ目巨人と狐なら――――まあ、狐が一番マシだろう。


(とにかく、ここを離れることが先決だ……)


 アラクネと一つ目巨人もそうだが、特に不穏な山。

 あれから逃げられるなら、一旦は餌扱いも甘受しよう。


 本日二度目の空中散歩も、気を紛らわせてはくれない。


 吹き付ける風に揺られながら、俺は小さく溜息を吐いた。





 ◇ ◇ ◇





 吹きすさぶ風を受けて空輸されることしばし。

 完全に現在地を見失って遭難者となることと引き換えに、俺はアラクネたちから逃れることに成功した。


「……っとと」


 狐が着地したのは、大樹海の木々に埋もれるように存在する岩場。

 雑に放り出された俺は、素早く起き上がって身構えた。

 身体が冷えて動きにくいが、そんなことは言っていられない。


 周囲を見回して新手を警戒しながら、俺はと対峙する。

 

(よし、思ったほどデカくない。いや、そうでもないか……?)


 目の前に鎮座するのは、大型トラックサイズの妖狐だった。

 アラクネよりは遥かに大きいが、怪獣大戦争に参加していた超巨大猪や一つ目巨人とは比べるべくもない。

 サイズ感だけなら何とか戦えなくもないという範囲にギリギリ収まっているし、斬れば倒せそうな外見をしているだけでも今は十分だった。


 アラクネたちから逃れた今、こいつを倒せば俺は晴れて自由の身だ。


「助けてくれて感謝するが、餌になるわけにはいかないんだ」


 4本の尻尾を揺らしてこちらを観察する白金の妖狐と睨み合いながら、静かに魔力を収束させる。

 

 敢えて『スレイヤ』は召喚せずに油断させ、<フォーシング>を叩き込む。

 行動不能にしたら即座に距離を詰め、『スレイヤ』で仕留める。


 勝利までの流れをイメージし、俺は口角を上げた。


 そして――――


『ひれ伏せ』


 気づかなかったか、それとも耐えられると高を括ったか。

 溜めに溜めた魔力を練り上げて発動した過去最大級の<フォーシング>は、無警戒の妖狐を直撃した。


 妖狐はよろめいた。

 酩酊した人間のようにたたらを踏み、巨躯を支えようと足掻く前足は震えている。


 しかし――――


「マジかよ……」


 妖狐は耐えた。

 渾身の<フォーシング>をその身に受け、それでも妖狐は沈まなかった。


 流石は大樹海。

 だが、一度でダメならもう一度。

 それでダメなら二度でも三度でも叩き込めばいい。

 魔力だけはあり余っているのだ。

 効かないなら、効くまで撃ち込むだけだ。


 ふらつく妖狐に止めを刺すべく、俺は容赦なく<フォーシング>を叩き込む。


 小刻みに震えながら、前足を突っ張って涎を垂らす妖狐。

 だが、あと一押しで崩れそうなところからなかなか崩れない。

 

(そろそろ行けるか……?)


 できれば抵抗できない状態までもっていきたかったが、また別の妖魔が集まってきても面倒だ。

 俺は5発目の収束型<フォーシング>を叩き込むと、妖狐に止めを刺すべく一歩を踏み出す。


 そして、そのまま動きを止めた。


「………………???」


 俺が足を踏み出した途端、ふるふると震えていた妖狐がスッと姿勢を正してこちらを見下ろした。


 一瞬で状態異常が回復したというわけではないだろう。

 そんな気配は全くなかった。


「…………」


 口を半開きにしたまま妖狐と見つめ合う。

 もう一度だけ<フォーシング>を発動すると、妖狐はわざとらしくよろめいた。


「お、おま……ッ!?」


 頬が盛大に引きつる。

 妖狐は俺が気づいたことを察すると、つまらなそうに大欠伸をした。


 <


 それどころか、妖狐を喜ばせている。


 これではまるで“饅頭怖い”だ。


 俺は、狐に化かされたのだ。


「ざっけんな!!ぶっ殺してやる!!」


 妖狐に詰め寄るべく踏み出した足が空を切り、身体が宙に浮く。


 気づけば、背後にも妖狐。

 前方にも虚空から炎が吹き上がり、その中から妖狐が現れた。


 それはアラクネと一つ目巨人の足止めに差し向けたものと同じで、おそらく妖狐の分身体だ。


 お前なんかいつでも殺せる。

 こちらを見下ろす妖狐が、そう言っている気がした。


「ぐぎぎぎぎいっ…………ッ」


 今すぐ叩き斬ってやりたいが、現実は非情だ。

 <フォーシング>が効かないとわかった以上、どこからともなく現れる分身体をどうにかする方法を見つけないと戦いにもならない。


 妖狐の分身体に襟首をくわえられてどこかへ運ばれながら、俺は理解できない現象に頭を抱えた。


(なんで……、どうして効かない!?)


 <フォーシング>は妖狐にも効く。

 今の今まで、俺はそう信じていた。


 根拠がない思い込みではない。

 、妖狐にも効くと思うのが当然だ。


「…………あ?」


 そう思ったところで、はたと気づく。


 戦争都市の闘技場。


 <フォーシング>を浴び、奇声を上げてふるふると震えていた鬼畜精霊の姿が、先ほどの妖狐と重なった。




「ああああっ!!?ラウラあああああああっ!!!」




 騙された。

 

 悔しい。


 悔しすぎて発狂しそうだ。


 こんな重要情報を隠しやがってと心の中で罵声を浴びせれば、「だって、聞かれなかったから。」とにやけ顔が嘲笑する。


「絶対、泣かせてやる!!そのにやけ面に、渾身のデコピンを叩き込んでやる!!」


 それまで、決して死ぬわけにはいかない。


 物珍しそうにこちらを眺める妖狐の群れに囲まれながら、俺は故郷への帰還を誓い、固く拳を握り締めた。



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