第390話 号砲




 城塞都市から防衛線に移送された俺たちは、すぐさま防壁内部を通過して西側に移動した。

 長年拡張され続けたであろう防壁は戦争都市の前線基地のように要塞化され、中には常時数千の兵士が詰めているという。


 今回の任務もこれらの兵士たちとの共同作戦であり、防壁側の準備はすでに万全。

 主力となる宮廷魔術師団が到着すれば、すぐにでも開始できる状態だった。

 

「これが城塞都市の前線か」


 足元にある、防壁と大樹海に挟まれた荒地。

 その幅が東西で精々300メートル程度と思いのほか狭いのは、大樹海が気の遠くなるような長い時間をかけて防壁との間に存在していた草原を侵食した結果だというから驚きだ。

 防壁から行う魔導砲の滅多打ちは、実のところ妖魔の誘引だけでなく大樹海の侵食を減衰させるという目的も含んでいるのだとか。


 なんにせよ、そういった超長期戦略は城塞都市の偉い人、あるいは帝国という国家が考えるべきことであって、俺のような冒険者の出る幕はない。


 この場における俺の役割は単純明快。

 森から湧き出す妖魔を狩り尽くす。

 ただ、それだけだ。


 それに、その役割を担うのも俺一人ではない。

 共に荒れ地を踏むのは宮廷魔術師団員、騎士、兵士、そして冒険者。

 防壁の西側には千人を遥かに超える強力な部隊が陣を敷いている。


 とはいえ――――


「わかってはいたが、まあこうなるよなあ……」


 誰にも聞かれない呟きは独り言となって空気に溶ける。

 千人を遥かに超える戦線、支援部隊や後方に待機する防衛線の予備戦力を含めれば数千人規模の作戦であるにもかかわらず、俺の周囲だけが無人だった。


 それもそのはず、今回の任務における主戦線は南北に1200メートルと非常に長い。

 この戦線をレオナやクレインが率いる部隊を含む8個大隊で均等に分担するため、1個大隊に割り当てられる戦線は南北150メートルにもなる。


 通常編成の部隊なら後方に魔法使いを並べてキルゾーンを作り、その範囲に妖魔の群れが入ったら集中砲火で殲滅、討ち漏らしがいればキルゾーンと魔法使いの中間あたりに陣取った騎士や兵士たちが各個撃破する――――というのがオーソドックスな狩り方だ。

 絶え間なく押し寄せる妖魔に対抗するため、魔法使いを交代制にして殲滅力を維持するのは前提条件。

 前世の戦国時代における鉄砲隊三段撃ちのような、ありふれた戦術ではあるのだが――――


(前衛込みで3人ではなあ……)


 あいにくレオナ隊は交代制を採用できるほどの人員がいない。

 何ならレオナが得意とする魔法の性質上、瞬間的な殲滅力すら期待できないという。

 ソフィーは普通に攻撃魔法を使うそうだが、見習い一人の火力ではたかが知れているので、つまりレオナ隊は殲滅力のほとんどを前衛である俺一人に依存することになる。


 しかも、どういう決め方をしたのか知らないが、レオナ隊の担当範囲はよりによって戦線のほぼ中央。

 押し寄せる妖魔の密度は主戦線の中でも屈指のものになるはずで、ここが崩れれば隣接する部隊の負担が極度に増加することは想像に難くない。

 となれば両サイドの部隊からは当然のようにが寄せられるものと思っていたが、意外にもその気配はなかった。

 大樹海に向かって左手のクレインの部隊はともかく、右手の知らない部隊も粛々と戦いに備えている。

 レオナと同格の大隊長はもとより、場合によっては生死にかかわるはずの前衛たちも同様だ。


(クレインあたりが何か言い含めてくれたか……?)


 派閥の関係で仲良くはできなくとも同じ宮廷魔術師団に所属する者同士、そこまで険悪な関係ではないのかもしれない。


 そんなことを考えていたからではなかろうが、背後から足音が近づいてきた。


「アレンさん、少しよろしいですか?」


 困り顔で声をかけてきたのはレオナだったが、俺に用があるのは彼女の背後にいる男の方だろう。

 騎士よりは兵士に近い風貌をしているが、装備はやや上等なもの。

 偉そうな態度からして、一般兵ではなさそうだ。


「なんだ?もうすぐ時間じゃないのか?」

「はい。ただ、こちらの方が少しだけお話を伺いたいと……」


 渋々という様子を隠そうともしないレオナに紹介された男は、貼り付けたような笑顔で所属と名を告げた。

 どうやら彼は、防壁を守る歩兵部隊のひとつを率いる指揮官であるらしい。

 

「時間もないので端的に聞こう。たった一人で、どうするつもりだ?」

「どうもこうもない。森から出てきた妖魔を狩るだけだ」

「妖魔の群れに、お前一人で対処しきれると?」


 言葉こそ疑問形でありながら、その態度が彼の内心を物語っている。

 まあ、気持ちはわからないでもない。


 俺は指揮官が呈した懸念に対して、でき得る限り誠実に回答した。


「そう思っているから、俺はここにいる」

「…………は?」


 指揮官はあっけにとられた様子でポカンと口をあけた。

 数秒間のフリーズを経て、指揮官は声を荒げる。


「冗談を言っている場合ではないのだぞ!?」

「冗談ではないが」


 一体どんな返答を期待していたのか。

 どんな種類の妖魔を何体吐き出すかわからない大樹海を前にして、「大樹海の妖魔なんて俺にかかれば余裕だぜ!」などと言えるわけもなかろうに。


 仮にそう言ったところで、この指揮官は信じようともしないだろうが。


「あいにく妖魔と遭遇した経験自体、さほどない。斬った妖魔の数が百に届かないんだから、何を言ってもあんたを安心させることなんてできない。怖いのはわかるが諦めてくれ」

「なっ!?ふ、ふざけるな!!」

「ふざけてなんかない。至って真面目な話だ。それとも――――」


 指揮官の肩に手を置き、視線を合わせて笑う。


と言えば、安心してくれるか?」

「――――ッ!」


 <フォーシング>は使っていない。

 何の力も込められていないただの言葉によって指揮官は後ずさり、自分が気圧されたことに気づいて顔を赤くした。


「結構だ!せいぜい足掻いて見せろ!」


 指揮官は捨て台詞を吐き、レオナを置き去りにして背を向けた。

 肩を怒らせて立ち去る背中を見送って、俺は溜息を吐く。


「何しに来たんだ、あいつは」

「すみません、止めたのですが……」

「まあ、知らん奴に戦線を任せるんだ。不安になる気持ちもわかるが……」

 

 あの男のこちらを見下し侮るような態度からして、俺がどんなに言葉を尽くしても納得はしなかっただろう。

 かといって俺がしくじったときの善後策を協議しに来たわけでもないのだから、本当に時間の無駄でしかない。


 あの男に限らず、何を聞いても安心できないくせに絶対の保証を求める奴はどこにでもいる。

 不安なら防壁内に引きこもっていればいいものを、そういう奴に限って得られもしない安心を求めて他人に迷惑をかけるのだ。

 

「ああいった手合いはまともに相手にしたって仕方がない。適当にあしらってお帰りいただくに限る」

「まあ、それは……」


 レオナは曖昧な返事でお茶を濁した。

 宮廷魔術師団という組織に所属する以上、あれの同類を相手にする機会も多いだろう。


 ただ、思ったことをそのまま口にすれば角が立つのが組織というもの。

 周囲に人がいない状況でも徹底しているのか、彼女はわざとらしく話題を変えた。


「しかし、驚きました。上級冒険者ともなれば、あのようなハッタリも通るのですね」

「うん……?」

「え……?」


 レオナとの間に奇妙な沈黙が流れる。

 数秒して彼女の表情が困惑に寄り始めたところで、俺は表情を崩した。


「冗談だ」

「……ッ!?も、もう!驚かさないでください……」


 レオナは控えめに不満をこぼし、胸をなで下ろしながら配置に戻っていった。

 少し緊張していたようだから、これで少しは解れるといいのだが。

 

「まったく、何を言ってるんだか……」


 戦場で斬った人数なんて覚えていられるはずないだろうに。

 それとも、魔法使いは違うのだろうか。

 

 いずれにせよ、万の軍勢を飲み込む氷の波濤を目の当たりにすれば千人斬りなんて驚くに値しない。

 ともすれば誤差の範疇とすら言える。


「さて……」


 作戦開始まで残り時間はわずか。

 気を取り直し、俺は正面を見据えた。


 地に足をつけたままで大樹海の全貌など望むべくもない。

 しかし、徐々に大地を侵食する深き森の木々は、大口を開けて妖魔を吐き出すときを待っているように見えた。


 一方、左右を見やれば少し距離はあるものの、これから同じ敵と対峙する戦友たちが固唾を飲んでそのときを待っている。


(こうしていると、昨年の暮れを思い出すなあ……)


 放浪の末、再び辺境都市にたどり着いて間もない頃。

 逃げ惑う避難民を背に庇い、南方の火山方面から押し寄せた魔獣の群れと対峙したことは、今でもはっきりと覚えている。

 まだD級冒険者だった俺は、武器屋の爺様が用意した試金石を振り回し、その重量だけを頼みに魔獣をへし斬るような戦い方をしていたのだった。

 

(あれから、もう半年か……)

 

 仲間が増え、パーティを組んだ。

 強力な武器を入手し、新たなスキルも習得した。


 俺は上級冒険者になり、俺が望む英雄への道を着々と歩んでいる。


 そして、今日――――


「作戦開始!!」


 姉を想う少女の涙と願いを背に受けて。


 防壁から放たれる魔導砲の斉射を祝砲に代えて。




 またひとつ、英雄への道のりに足跡を刻むべく、俺は足を踏み出した。



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