第382話 盾の代金




「どうなんだ!?使えるのか!?」


 店の奥から現れたせっかちな男は名乗りも誰何もせず、ただそれだけを尋ねた。

 にじり寄る男のあまりの剣幕に、思わず一歩二歩と後ずさる。


「ああ、えっと……」


 使えるという言葉が即座に出てこないのは、盾を使う技術がないからだ。

 ただ、それを言ってしまえば、剣を使う技術があるのかと問われても結局は答えに窮してしまう。


 俺は深く考えるのを止めた。

 剣と違って盾を扱う技術にそこまで高度な水準は求められないだろう。


 この店の主と思しき男に向け、控えめに頷く。


「そうか!!盾を探してるんだな!?頑丈な盾が必要なんだな!?」

「まあ、一応――――」

「ちょっと待ってろ!!」

「あ、おい……」


 本当にせっかちな奴だ。

 今のうちに逃げたら推定店主がどんな顔をするか少しだけ気になるが、これはどう考えても何か良い感じの盾を持ってきてくれる流れだ。

 それがどのような品なのかは見てのお楽しみだが、コネがない俺としては貴重な機会をつまらない悪戯で逃すわけにはいかない。

 ドッタンバッタンと何かが倒れたり落ちたりする音が奥から聞こえ、ほどなく先ほどの男が箱を積んだ台車を押して戻って来た。


 積まれていたのは、無骨な防具ばかりの店にそぐわない小奇麗な箱だ。

 男は蓋を外し、満面の笑みを浮かべた。


「どうだ!?」

「おお……!」


 箱の中、綺麗な台座に据えられた盾が照明を反射して輝きを放つ。

 手にとってよく見てみたいのだが、素手で触れていいものか迷ってしまう。


 そうしている間に、男は慎重に盾を持ち上げた。


「手え出せ、装備してみろ!」


 裏側の構造は先の盾と同じ。

 ベルトに腕を通して握りを掴むと、男は慣れた手つきでベルトを固定してくれた。


「どうだ!?」

「おお……!」


 男と二人で鏡の前に移動して、盾を構える。

 盾はやや大きめの円形で、重量は先ほどの盾よりやや重い。

 少し腰を落とせば膝上から肩までをカバーでき、グリーブと合わせればほぼ全身を守れるようになる。


「重くないか!?」

「軽くはないが、これくらいの方が安定感があって好印象だ」

「その通りだ!軽い防具なんて信用ならない!お前、よくわかってるな!まず肝心の表面だが――――」


 盾に関して完全にド素人である俺の感想を男は大層気に入ったようで、得意げに盾の性能を解説し始めた。

 デザインはわりと好み、重量は許容範囲、頑丈さは保証付き。

 素材の合金は魔力が馴染みやすく、付与効果も防御力を上げる方向に寄っているが、この部分は後付けでカスタマイズの余地がある。

 どれもこれも、十分に満足できるものだ。


 値段に折り合いが付くなら、もうこれに決めてもいいかもしれない。


「……でもお高いんでしょう?」


 言ってみたかった台詞――――とはちょっと違うが、衝動的に言ってみたくなったので言ってしまった。

 今は保管庫に金貨がザクザクと積まれているので、多少値が張ったところで性能を優先する方針に変わりはない。


 店主は、気持ちのいい笑みを浮かべて首を横に振った。


「そんなことはない!この箱と台座も付けて、お値段なんと――――」

「なんと……?」


 何本指を立てるつもりか、男は握った拳を胸の高さに示した。


 そのまま数秒焦らされる。


 その後、さらに数秒焦らされた。


 待てども待てども返事がない。


「…………?」


 せっかちな男にしてはやけに勿体ぶることだと思ったが、気づけば男は視線鋭く他所を見つめている。

 釣られて振り返ると、三人の若い男が店を訪れていた。


「邪魔するぞ」


 邪魔するなら帰れと冗談を飛ばす地域があると、うわさで聞いたことがある。

 本当に良いところだったので本気で帰ってほしいのだが、客の一人に過ぎない俺にほかの客を追い返す権利はない。


 渋々ながら、黙って成り行きを見守ることにした。


「やあ、ソフィー。例の件、そろそろ返事を聞かせてもらえるか?」

「クレイン様……」


 レオナとおしゃべりに興じていた店員の少女が、困ったような表情で応じた。

 クレインなる銀髪の男の装いは、一目で貴族とわかるそれ。

 同じく貴族と思しき二人の取り巻きを引き連れ、クレインは悠々と少女たちのところへ歩み寄る。


 しかし、それを許さぬ者がいた。


「何しにきた!ここは貧弱な魔法使いが来るところじゃねえ!帰れ!」

「お、お父さん、やめて!クレイン様に失礼だよ!」

「全くだ。お前の父でなければ、もう何度首を刎ねているかもわからない」


 余裕を見せる貴族に店主は歯噛みする。

 少し離れた場所から傍観しているが、その関係性はいまいち見えてこない。


 店員の少女――――店主の娘であるようだが、彼女の貴族に対する反応は悪くない。

 困惑混じりではあるものの嫌悪感はなく、ある種の好意的な感情を抱いていることも見て取れる。

 銀髪イケメンはどこにいっても人気なのだろう――――そう考えたところで俺は気づいた。


(あれ、どこかで見た顔だと思えば……)


 クレインと言うのは、たしかクリスの次兄の名だったはず。

 年齢もレオナと同じくらいで、ちょうどクリス以上クルト未満というところにぴたりと収まる。

 髪の色が同じだからというのもあるだろうが、気づいてみればどことなくクリスに似た雰囲気を感じられた。

 優しげな印象のクリスよりもやや鋭い眼差しは、しかし穏やかな声や表情が手伝って厳しさよりもカッコよさの方が勝っている。

 どちらもイケメンだが、こちらはクール系だ。


「ソフィー、危ないからそんな鎧を着るのは止めた方がいい」

「なんだと!!俺の鎧を馬鹿にする気か!?」

「鎧自体の評価はしていない。ただ、魔術師である彼女には似合わないと言っている」

「うう……」


 鎧に詰められている少女は、クレインの厳しい評価にしょんぼりしている。

 そんな少女には申し訳ないが、これに関しては同意しかない。


(てか、こいつ魔法使いだったのかよ……)


 どおりで似合わないはずだ。

 父の店を盛り立てたい気持ちはわかるが、身体を張り過ぎている。


「ソフィー、前衛には前衛の、魔術師には魔術師の装備がある。しかも、この店の装備は前衛用としても人を選ぶものばかりだ。お前には到底――――」


 店内の商品を眺めていたクレインと目が合う。

 こちらはただの置物と化して会話を見守っていただけなのだが、なぜかその表情から笑顔が消えた。


(おっと……?)


 なんだかロックオンされた気配がする。

 今から視線をそらしてもかえって失礼だろう。

 こちらから声をかけるものでもないと思って黙っていると、やはり向こうから声がかかった。


「……そこの、名は?」

「B級冒険者のアレンと申します」

「……やはりそうか」


 どうやらクレインも俺のことを知っているらしい。

 カールスルーエ伯爵家ともなれば遠距離通信用の魔道具くらい簡単に用意できるだろうが、俺の情報をわざわざ帝都のクレインにまで伝えているのは少々意外だった。


(さて……)


 今更カールスルーエ伯爵家と揉めるのは御免だ。

 一方で、露骨に下手に出るのも悪手である。

 相手に敬意を払いつつ自分を低く見せない。

 そういうシビアなバランス感覚が要求される場面だ。


「お父上やご兄弟にお目にかかったばかりですので、もしやと思いまして。不躾な視線が不快でしたらお詫びします」


 胸に手を当てて軽く頭を下げるが、笑みは絶やさない。

 これくらい許してくれるよね、という空気を作り出してクレインに押し付ける。


 クレインの表情は変わらない。

 彼は許すとも許さないとも言わず、話題を変えた。


「戦場での働きは聞いているが、ここで何を?」

「もちろん防具の調達を。あれほどの人数に包囲されたのは初めての経験でしたので、この機会に頑丈なものをひとつ用意しておこうかと」

「……そうか。其方のような剣士であれば、この店の防具も似合うやもしれん」


 クレインは俺から視線を外した。

 どうやら無事に乗り切ることができたらしい。


 俺は気取られないようにゆっくりと息を吐き、再び置物となって気配を消した。


「レオナ、お前からも言ってやれ。俺に付くのが自身のためになると。お前もソフィーを飼い殺したいわけではないのだろう?」


 クレインは初めてレオナに話しかけた。

 彼女は言い返すことなく、ただクレインの視線を受け止めている。


「クレイン様、損得で動くような者が信用に値するでしょうか?」

「義理堅さは美徳だ。だが、このままではに参加することすらままならない。せっかくの機会を棒に振る気か?」

「それは…………あっ!」


 ソフィーが言いよどむと、レオナがクレインたちの横を抜けて立ち去った。

 ギリギリ早歩きの範疇だが、明らかに逃げたとわかる動きだ。


 遠のく背を見つめてソフィーは俯く。

 そんな両者を順繰りに眺め、クレインは溜息を落とした。


「申請期限は明日の夕方だ。昼の鐘が鳴るまで待つ」


 それだけ言い残すと、クレインも踵を返し、この場を去った。

 去り際、こちらにも一瞬だけ視線を寄越したものの、今度は声を掛けられることもなかった。


「…………」


 ただでさえ閑古鳥が鳴いていた店が、お通夜のような雰囲気に包まれる。

 しばらく待っても立ち直る気配がなかったので、俺は焦れて口を開いた。


「何やら立て込んでるようだが、客を長時間放置するのは感心しないぞ」

「あ、ああ……。すまんかった……」


 しょんぼりする父娘を急かすのは忍びない。

 しかし、こちらも後の予定が詰まっているので、いつまでも付き合うわけにはいかないのだ。


「で、こいつのお値段は?」

「そうだな、いくらにしようか……。ちょっと待て」

「…………」


 呆れたことに値段を決めていなかったようだ。

 この手の職人に稀にいる、作るのが大事で商売は考えないタイプかもしれない。

 防具屋ギルド直営店という商業性の高い場所で、こんな職人がいるとは思わなかったが。


(まあ、いいか……)


 今更原価を計算し始める店主の様子を黙って見守る。

 少しだけ緊張する流れもあったが、良い盾を買えそうで思わず頬が緩んだ。


 しかし――――


「あ、あの……」


 そんな油断を突いたつもりはないのだろうが、俺の袖を引く者がいた。

 店主の娘、ソフィーだ。


「あなたは……アレンさんは冒険者の方なんですよね?」

「ああ、そうだが……?」

「依頼を、受けてもらえませんか……?」

「依頼ねえ……」


 その内容は、聞かなくても何となく予想できる。

 こうして言葉を交わした相手を見捨てるのは忍びないとも思う。


 だが、彼女の依頼がクレインの話と関わっていることは、先ほどの断片的な会話からでも察せられる。

 彼女の依頼を受けることで、おそらくはクレインの望まぬ方向に物事が進むだろうことも。


「悪いが休暇中だ。依頼を受ける気はない」

「そこを何とか、お願いします!……あ、わっ!?」


 またしても倒れるソフィーを支える。

 三度目なので痛い思いはしなくて済んだ。


「懲りない奴だ」

「す、すみません……。それで、その……」


 ちょっと涙目の少女。

 推定同年代の少女に向けるべき言葉ではないが、小動物じみた可愛さがある。


 だが、絆されるわけにはいかない。


「俺はB級冒険者だ。何の依頼か知らないが、俺を雇う金はあるのか?」

「えっと、ちなみにおいくらぐらいで……?」

「その前に……店主、値段は決まったか?」


 手を止めて聞き耳を立てている店主に問う。

 こちらの金額を聞いてから、吹っ掛けられてはたまらない。


「ああ、値段は決まった……」


 目が泳いでいる。

 重ねて催促すると、店主はようやく口を開いた。


「……さっ……ごっ……は、8千万!いや、1億デルだ!」

「…………」

「お、お父さん、流石にそれは……」


 もしかしなくても、ソフィーの依頼料を稼ぐためだろう。

 わずか数秒で定価――たった今計算した金額に定価もクソもないが――の3倍以上の値を付けた阿呆を睨む。


 しかし、店主は退かなかった。


「ダメだ、1億だ!1デルもまからん!」


 一度言い出したら聞かないタイプと見た。


 まあ、仕方ないだろう。

 これも必要な出費だ。


「1億デルだな。買った」

「ええっ!?」


 悲鳴を上げるソフィーに構わず『セラスの鍵』を起動すると、数日前に『戦華』のジャックから譲り受けた金貨袋をひとつ取り出し、商談用のテーブルの上にぶちまけた。

 資金的な余裕が生まれた今でも1億デルというのは小さい額ではないが、これと思う装備との出会いは一期一会。

 機会に恵まれない俺としては、貴重な機会を逃すわけにはいかない。


 念頭にあるのは、もちろん『スレイヤ』だ。

 結局タダで譲り受けた愛剣だが、当時のほぼ全財産を使ってでも迷わず買いを宣言した判断は絶対に正しかった。

 値段に日和って諦めたら、間違いなく後悔することになったはず。

 『スレイヤ』のおかげで乗り越えた局面は一度や二度ではなく、今となっては1億どころか10億積まれても手放せない。


(この盾も、もしかしたらそうなるかもしれないからな……)


 これからも前に進んでいくために、上級冒険者に相応しい力を身に着けるために、装備への投資を惜しんではいられない。

 金は、また稼げばいいのだ。


 ソフィーが呆然と見守る中、俺は金貨を数えるために10枚ずつ積んでいく。

 まもなく金貨10枚の塔が10個、テーブル上に出来上がった。


「1億デルだ。確認してくれ」


 金貨に手のひらを向けて示すと、その手を店主に掴まれた。

 

 売買成立を意味する握手ではない。

 店主が掴んだのは、俺の手首だった。


「頼みがある!」

「……1億デルだ。確認してくれ」


 聞こえないフリをして復唱。


 しかし、店主は俺の言葉を聞き流し、今度は俺の肩を掴んだ。


「頼みがある!!」

「……ちょっと用事が――――」

「頼みがある!!!」

「お前、無敵かよ……」

 

 本当に、何をやってもダメな日だ。


 鼻息荒い男に腕と肩を掴まれ、俺は顔を背けながら頬を引きつらせた。



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