第383話 帝都冒険者ギルド西支部




「で、根負けして受けてきたわけ?」

「はい……」


 帝都防具屋ギルド直営店を訪ねた日の晩。

 ホテルの部屋で仲間たちに囲まれた俺は、またしても床に正座していた。


 2日前に受けたお説教のような厳しさはない。

 ただ、呆れたような視線がチクチクと刺さった。


「アレン一人かい?」

「ああ、そうだ。なんか宮廷魔術師団の催しに一緒に参加してほしいとか……城塞都市で妖魔狩りだそうだ」

「城塞都市って、つまり大樹海じゃないか」


 帝都からほぼ西方向、飛空船で数時間の距離にある城塞都市。

 地図で見ると、大陸中央部に広大な面積を持つ大樹海の侵食から帝国を守っているように見える。


 そして、その見方は強ち間違いではない。

 大樹海から日夜押し寄せる妖魔や魔獣から帝国を守るために、城塞都市は存在しているのだ。


「盾なんて他にいくらでもあったでしょうに。そんなに気に入ったの?」

「『スレイヤ』を初めて見たときに感じたような、こう……直感があってな。最初は1億デルで買うはずだったんだが、タイミングが悪かったというかなんというか……」

「1億ですか……」


 ティアとネルが目を丸くする一方で、クリスは納得顔だ。


「アレンの剣と同格の盾なら、1億は安い買い物だと思うよ」

「だろ!?」

「はあ、まったく……」

「それより、宮廷魔術師団というのが不安です。貴族も多いでしょうから、無茶を言われるかもしれません。本当に大丈夫でしょうか……」


 ティアは心配そうにこちらを見つめる。

 彼女は俺を引き留める理由を探しながら、その程度の不安や可能性で俺を翻意させることはできないと理解し、困っている様子だ。

 

 そんなティアには申し訳ないが、レオナに職質された件を伝えたら格好の反対材料を献上することになるので、仲間たちへの報告は見合わせている。

 参加すると決めた以上、ティアに余計な不安を与えないよう打ち明けるタイミングは慎重に選ばなければならない。


 微妙な空気を変えるため、俺は意識して笑顔を浮かべ、話題を変えた。


「そういえば、お前の兄貴に会った」

「え……?ああ、クレインかい?」

「ああ、元はと言えば――――」


 その後、椅子に座ることを許された俺は、防具屋での出来事を語った。


 各自が選んだ防具の話も含め、酒を飲みながらの話は次々と移り変わり、例によってクリスがダウンするまで続いた。


 今日は4人部屋なので酔いつぶれたクリスはそのまま寝かせ、就寝前の準備を整えると、それぞれベッドに入る。


「…………」


 明かりを落とした後、隣のベッドからそろりと忍び寄る気配。

 侵入者は薄手の毛布を捲り、体をベッドに滑り込ませた。

 甘い香りとともに、さらさらの髪が頬をくすぐる。


「おやすみなさい」


 耳元に小さなささやきと口付けを落とす彼女の髪を梳き、寄り添って眠りに落ちた。






 翌日、俺たちは予定通り帝都観光を楽しんだ。


 昼までは4人一緒に行動し、昼食後からは2組に分かれてデートの時間。

 広い帝都を1日で回りきることはできないので、いくつか目星を付けておいた観光スポットを訪ね、宝飾店でティアに似合うネックレスを贈った。


 ありきたりだが、恋人になったばかりの俺たちに奇抜さは必要ないだろう。

 俺が受ける依頼のことが気になるのか時折不安そうな表情も見せていたが、ティアも楽しんでくれていたと思う。

 



 そして、二人で夜を明かし、依頼が始まる当日の朝。


 俺はクリスたちとの合流地点である飛空船発着場まで、ティアを送り届けた。


「それじゃ、例によってしばらく自由行動だ。長期間都市を離れるときは、ギルドに伝えるかフロルにメモを渡してくれ」

「わかりました。アレンさんこそ、本当に気を付けてくださいね」


 ティアを抱きしめて一時の別れを惜しむ。

 クリスやネルが見ているからキスはしない。


 彼女の口唇は昨晩も今朝も十分に味わったし、どうせ数日の辛抱だ。


 3人が乗った飛空船が飛び立つのを見送ると、踵を返す。




 帝都冒険者ギルド、初訪問だ。





 ◇ ◇ ◇





「これが、帝都のギルドか……」


 時折迷いながら乗合馬車を何度も乗り継いで、帝都内を東から西へ。

 ソフィーが待ち合わせ場所に指定した帝都冒険者ギルド西の前に降り立った。


 西支部と付くのは、帝都内の冒険者ギルドが一箇所だけではないからだ。

 辺境都市の20倍とも30倍ともいわれる膨大な人口を抱える帝都では、冒険者の数も下手すれば一万に届く。

 広大な帝都から荒くれ者が一か所に集まればトラブルが多発して受付業務も非効率になるため、城塞都市方面の依頼は西支部、交易都市や商業都市行きの護衛依頼は東支部、貴族関係の依頼は本部――――というように、ある程度の棲み分けがされているのだという。


 3階建てのギルドを思ったほど大きくないと感じてしまうのは、昨日、一昨日と大きな建物ばかり目にしていたので感覚が麻痺しているのかもしれない。


 しかし、いざ中に入ってみると、辺境都市や戦争都市のギルドとは一線を画す広さのロビーが、田舎からやってきたお上りさんを容赦なく威圧してくる。


(ああ、やっぱり広いな。いや、もう広すぎて何が何だか……)

 

 後続の邪魔にならないよう空いている壁際に寄りかかり、ギルド内部の構造を把握するため周囲を観察する。


 正面に広がる窓口では10人以上の受付嬢が依頼者と話している。

 商談や相談に使うスペースは個室になっているようで、中の様子を窺うことはできない。

 混雑する時間帯なのか、それともこれが通常なのか。

 依頼者と思しき人々だけで少なくとも100人以上がフロアを行き交っていて、よく見ると正面玄関からして出口と入口に分かれていた。


 しかし――――


(あれ、冒険者はどこに……?)


 冒険者ギルドのくせに肝心の冒険者の姿が見当たらず、窓口も全て依頼者用に見える。

 待ち合わせの時間までに指名依頼の手続を済ませなければならないので、少しだけ焦りが生まれた。


(まさか、建物を間違えた……?いや、あれは……)


 冷や汗をかきながら彷徨わせた視線の先、正面入り口に近い両サイドの壁際に階段があることに気づいた。

 3人か4人は並んで歩ける幅の階段を、二人組の冒険者が下りてくる。


(ああ、1階は依頼者用で2階が冒険者用か……)


 これだけの広さがありながら、さらにフロア分けまでされているとは。

 3階建てと理解していれば思い至ってもおかしくないのだが、辺境都市のこぢんまりとした冒険者ギルドに慣れているからこその先入観が理解の邪魔をしていたようだ。


 待ち合わせ場所は1階を指定されていたが、時間にはまだ余裕がある。

 指名依頼の受注を済ませるついでに2階も見てみようと思い、俺は向かって右手の階段を上がった。


「おお……」


 視線が床の高さを越え、2階の様子が目に飛び込んでくる。

 1階同様に広すぎるフロアは、しかしその広さを感じさせないほど多くの冒険者たちで賑わっていた。


 朝から酒をあおる者。

 壁際で談笑する者。

 真剣な顔つきで交渉する者。

 無言でにらみ合っている者。

 そんな冒険者たちの間を縫うように、可愛い制服に身を包んだ受付嬢とウェイトレスがフロアを行き交う。


 人数のわりに整然としている1階よりも目の前のやかましさに落ち着きを感じるのは、心まで冒険者に染まりきっているからだろう。

 俺は少し迷った末、1階でそうしたように空いている壁に背を預けた。


(さて、挨拶はどうするか……)

 

 もちろん、その辺に屯している冒険者に自己紹介をしようというのではない。

 戦争都市でそうしたように、帝都冒険者ギルドに『黎明』のリーダーとして来訪を告げるべきなのか。

 ここにきて迷いが生じたのだ。


(帝都におけるB級冒険者の立ち位置がどうなのか、誰かに聞いてくればよかったな……)

 

 辺境都市や戦争都市にB級冒険者はほとんどいない。

 辺境都市は美味い狩場から遠いから本拠地とするには不向きで、戦争都市はどうしても戦争がらみの依頼がメインになるから危険が多く実入りが悪いというのがその理由だ。


 しかし、この点、帝都は全く事情が異なる。

 A級冒険者ならいざ知らず、B級冒険者なら帝国全土に数百人規模で存在するので、今この場で騒いでいる者たちの中にB級が交じっていてもおかしくないのだ。

 戦争都市や辺境都市とは希少性が違うから、わざわざ挨拶しても「B級ごときが有名人のつもりか?」みたいな反応になる可能性は小さくない。

 一方で、挨拶を欠いて「これだから田舎者は……。」となる可能性も同等に存在するから面倒極まる。


(まあ、田舎者は事実だし、とりあえず顔だけ出しておけばいいか……)


 深く考えず、まずは指名依頼を受注することにした。

 手続のついでに会話の中で自分のことを伝えれば十分だろう。

 自意識過剰でもなく最低限の礼節もカバーできる、我ながら素晴らしい案だ。


 考え事をしている間に、2階の中央部では殴り合いが始まった。

 冒険者たちは当然のようにどちらが勝つか賭け始め、受付嬢も止める素振りがない。

 これがここの日常なのだろうか。

 御当地文化にケチをつけるつもりはないが、ロビーでおっぱじめるとは物騒なことだ。


 俺は騒動の中心地とその周囲を薄く囲う冒険者たちを迂回し、窓口に足を運ぶ。

 受付嬢の営業争いは帝都でも変わらないようで、列の長さは受付嬢によってまちまち。

 すでに専属受付嬢が付いている俺は、気にせず一番奥の列が短い窓口を選んだ。


「ようこそ、帝都冒険者ギルド西支部へ。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 俺の順番になると、受付嬢は定型句を口にしながら笑顔を浮かべた。

 彼女の視界にも背後のドタバタは映っているはずだが、そちらを気にする様子は全くない。


「B級冒険者のアレンだ。指名依頼が来ていると思うから確認してほしい。ああ、あと金も預けたい。帝都の冒険者ギルドは初めてだから手続きは丁寧に教えてくれると嬉しい」

「承知しました。まずはカードをお預かりしますね」


 俺は首から外しておいたカードを受付に載せる。

 銀色の所々に金色が混じるデザインはB級冒険者の証。

 記名を確認すると、受付嬢はカードを手元に置き、代わりに柔らかい生地でコーティングされたトレイを受付台に載せた。


「指名依頼は確認中ですので少々お待ちください。その間に、お預かりするお金をこちらにお願いします。ここに乗らないようであれば、別室にご案内しますが……」

「いや、枚数は少ないからここで大丈夫だ」


 俺は『セラスの鍵』から皮袋を1つ取り出し、トレイの上でゆっくりと逆さにする。

 防具屋の店主に受取拒否された金貨100枚がトレイに小さな山を作った。


「100枚ある。確認してくれ」

「はい、少々お待ちください」


 この額の取引もありふれているのだろう。

 金貨100枚程度では、帝都の受付嬢の表情は変わらない。


 なお、うちの専属受付嬢は120枚かそこらの金貨を任せたとき、キャーキャーと大騒ぎして文句を言っていた。

 なんでも1億デルどころか1千万デルを扱うことすら稀なので、紛失したらと思うと気が気でなかったらしい。

 面白い――――もとい大金の取り扱いに慣れてもらうため、辺境都市に戻ったら300枚くらい金貨を預けてみようと思う。

 屋敷で引き渡してギルドに運んでもらうように頼むのもいい。

 どんな顔をするか、今から楽しみだ。


「金貨100枚、たしかにお預かりします」


 金貨を数えた受付嬢は手元の紙に何かを書き留めると、待機していた別の受付嬢にトレーごと金貨と紙を預け、代わりに依頼票を受け取っていた。

 どうやら短時間でより多くの冒険者をさばくために分業制を敷いているらしい。

 待ち時間が短くなるのは、こちらとしてもありがたいことだ。


「ソフィー様からの指名依頼でお間違いありませんか?」

「ああ、そうだ」

「では、内容の確認を。問題ないようであれば、こちらに署名をお願いします」


 依頼票に軽く目を通してから受付嬢が差し出す書類にサインする。

 書類は受付嬢に返却し、依頼票は四つ折りにしてポーチにねじ込んだ。


「ありがとうございます。それではカードをお返しします。これで手続きは……あっ!?」


 受付嬢が定型句を打ち切って声を上げたので、を回避するように体を横に滑らせた。

 直後、今まで俺が立っていた場所に背後で殴り合いをしていた冒険者の片割れが突っ込み、金属製の防具が大きな音を立てる。


「ぐっ!?」


 受付台に体を打ち付けられて呻くのは、重そうな全身鎧を着た冒険者の男。

 頑丈な受付台はこの程度ではびくともしないが、受付台に置かれた物が倒れたり、手続中の受付嬢や冒険者が驚いて振り返ったりといった反応があった。

 辺境都市の受付台なら一発で破損だろうから、それに比べれば損害は軽微だと言える。


 ただ、最も強い衝撃を受けたであろう正面の受付台に乗っていたトレイは無事では済まず、俺のカードと一緒にこちら側に落下して金属特有の甲高い音を立てた。


(まったく、乱暴者め……)


 横にうずくまる男と中央で盛り上がっている連中を一瞥すると、床に落ちたカードとトレイを拾い上げる。

 幸いどちらもキズらしいキズはなかったので、トレイだけを受付嬢に返却した。


「ほら」

「あ、ありがとうございます」

「こちらこそ。それじゃ、また機会があれば」


 受付嬢に感謝を伝え、踵を返す。

 吹っ飛んできた男は起き上がり、再びフロアの中央へと向かっていった。


 俺は再び取っ組み合いを迂回して階下へと向かおうとして――――あるところで立ち止まる。


「ぐがっ……!」


 目の前の壁に、先ほどの男が再び打ち付けられた。

 立ち止まらずに歩いていたら巻き込まれていただろう。


 今度は取っ組み合いを見ながら歩いていたので流石にぶつからない。

 というか、投げた方の男と目が合っている。


 俺の視線の先、20歳くらいの若い冒険者が憎たらしげに笑っていた。


「人を呼び止めるときは、声をかけるのが礼儀だと思うが」

「そりゃあ済まなかった。せっかくだからもう少し詳しく教えてくれるか、上級冒険者サマ?」


 手の動きでこちらを挑発しながら、冒険者は言った。



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